自宅に帰ってきてから私は久々の自分のベッドに横になる。いつでも帰れるように布団などは置いてきたのが幸いして、生活には困らなかった。電気やガス、水道もそのままになっていた。
(とりあえず冷蔵庫が空っぽだから買い物に行かないと、でも重い荷物はしばらく持たないように言われてるから、ネットスーパーで済ませようかな)
そう思ってパソコンを開くとそこには色彩検定の学習ページが開かれていた。累が作ってくれた資料はあの部屋に置いてきた。だけど色彩検定だけは受験しようと思っている。
(せっかく新しい道を示してもらったんだもの。活用しないと)
でも今は買い物が優先。新しくページを開いて近くに店舗があるネットスーパーを見つけたので会員登録をして商品を選ぶ。1人分の買い物なので量はそんなにいかないけれど、重たいお米を持ってきてもらえるのはありがたかった。
「最近は便利な世の中になったな。これなら私一人でも生活できそう」
1人は寂しくなるかと思ったが、気疲れしないので思いの外快適だった。
(なんだか甘いものが欲しくなったからリハビリも兼ねてコンビニにでも行こうかな)
そう思うとコートを羽織り、カバンを持つと室外へと向かって歩き出した。
外に出るとマフラーとコートを着ていても寒い。震えながら近所のコンビニまで行くとデザートコーナーでプリンを選び、寒いので肉まんと夜用のカップスープを購入してコンビニを後にした。
コンビニの横で肉まんにかぶりついていると知っている声が聞こえてきた。
「あれ?もしかして結菜ちゃん?俺だよ。飯田栄。覚えてくれているかな?」
「ああ!ご無沙汰しています。これから良平のところへ?」
「うん。今日は良平が休みだから宅飲みする予定。でも結菜ちゃんは引っ越したんだよね?どうしてこんなところにいるの?」
当たり前の疑問だった。でも答えるのに躊躇する。
沈黙していると栄はちょっと待っててと言ってコンビニに入り、出てくるとホットコーヒーを差し出してくれた。
「あの…これ…」
「一人で飲むのは味気ないから一緒に飲んでくれたら嬉しいなと思って。ダメかな?」
(私に気を遣わせないように…さすが良平の友だち)
私はありがとうございますと言ってコーヒーを一口飲む、甘さと温かさでほうっとため息が出た。
「それで、どうしてここにいるのか聞いてもいいかな?」
「はい。実は累と婚約と同居を解消して自宅に戻ってきたんです」
「ええ!?同棲始めたばかりだよね?しかも実質一緒に生活していたのって1週間にも満たないんじゃないのかな?」
「驚かれますよね。私も自分の決断にびっくりしています。実は記憶は戻ったんですが、恋愛感情や友愛が完全に抜け落ちていて、人に対して普通に接することは出来るんですけど…人を思う心が消えてしまったいて…」
「そっか…じゃあ累くんのことも?」
「はい。愛そうと努力しようとしたんですけど、難しくて。一緒にいるのが息苦しくて逃げ帰ってきてしまったんです」
栄は少し考えるそぶりを見せると言った。
「じゃあ良平のことはどう思ってる?」
「良平は…お兄ちゃんですね、でもそこに親愛はなくて、ただ事実として幼馴染のお兄ちゃんだってことしか感じないんです」
「そっか…それは厄介だね」
栄は押し黙ってコーヒーを飲む。
私も残りの肉まんを口に放り込んでからコーヒーを一口飲んだ。
「これからどうするの?日常生活に戻れそう?」
「ええ。仕事のこととかははっきり覚えているので。生活に問題はありません」
栄は何か思案していたがまた質問してきた。
「愛花のことも友愛は無くなった感じなのかな?」
「はい…仲の良かった友達ですから、これからも大切にしたいと思っているのですが。そこに愛があるかというと…」
栄は困った顔になって少し考えた後、また口にした。
「じゃあさ、そのことは愛花に話してあげて。後遺症だからきっと理解してくれると思うから。隠される方がきっと寂しいと思うから。ね?」
「はい。アドバイスありがとうございます」
気付くとコーヒーは空になっていた。私は栄もコーヒーを飲み終わったところだったので、ゴミ箱に缶を捨てて2人ならんでマンションに向かって歩き始めた。
「ねえ。今の話、良平にしてもいいかな?」
「ええ。いいですよ。でも良平はもう会わないって言っていましたし、私がどういう状況でも気にしないのでは?」
「そうだね…でも…きっと良平は知りたいと思うよ」
わからなかった。良平は私のことを手放したのだから、きっともう交わることはないだろう。お隣だから多少は接触があるかもしれないがそれだけのことだ。私と良平の縁は完全に切れているはずだった。
栄は今の愛花のことを話して聞かせてくれた。私のことを心配してくれているらしい。ありがたいが愛花のことも親愛を持つことができずに少し悲しくなった。
(いつか…私の中からこぼれ出た愛が戻る日が来るんだろうか)
そんなことを考えながら、私は栄と談笑しながらマンションに戻った。