しばらく海辺を歩いていると販売機があったのでホットコーヒーを買って腰掛けて飲む。冷えた体に暖かなコーヒーが沁みて美味しい。
「あ!そういえばおやつ持ってきてたんだった」
私はカバンからクッキーを取り出して累に手渡す。それはお気に入りのケーキ屋のクッキーで、美味しいからよく2人で買って食べていたものだった。
「これ…今も好きなんだね」
「うん。累との思い出が詰まっているから今日に相応しいかなって思って」
累はしばらくそれを手の中で弄んでいたが、やがて袋を破いて中を取り出すと一口齧った。
私もそれを見届けてから同じように袋を破いてクッキーを齧る。適度に甘くてほろほろ崩れる。
(美味しい…。いつも2人でお店に行って、ケーキを買うついでにこのクッキー買ってたっけ。2人で何味にするか、迷いながら)
そのことは思い出せるけど、その時の感情を思い出そうとしても無しか浮かばない。本当にどうして感情だけ抜け落ちてしまったのか。こんなによくしてくれている累に報いるためにも、もう一度早く累に恋をしたかった。
「累、私頑張るから。だから、もう少し待っていてね。でも待てなくなっていい人ができたら…その時は…」
言い切らないうちに累に抱きしめられる。
「言わないで…そんなこと冗談でも。俺には結菜しかいないんだ。だから…言わないで」
苦しそうに痛みに耐えるように累はそう声を絞り出す。ああ、また私は失敗してしまったのだ。累が少しでも私の呪縛から解放されればと思ってのことだったが、それは真逆の効果を与えてしまった。
「累。ごめんね。私累にこれ以上辛い気持ちになってほしくなくて…」
「うん…わかってる。結菜はそういう子だから。だから余計に辛いんだ。今、俺は結菜の気を遣われる対象。甘えたり、わがまま言ったり、そういった対象じゃないことが辛い」
甘えたいと思うかと聞かれると全く思わない。わがままも遠慮して言いえない。累の言う通り、今の私は累のことをただの知人程度の感情しか持ち合わせていなかった。
(どうしたら元の気持ちが戻るんだろう。もし私が他の人の方が好きになってしまったら…どうなるんだろう)
それは決してあってはならないこと。なんとかして累への恋心を取り戻さないといけない。こんなに献身的になってくれている人なのだから。
気持ちは焦るが一緒にこうやって出かけても、楽しくはあるがドキドキと胸がときめくことはない。
「累…最初に謝っておくね、ごめん」
「それ聞かないとダメかな?俺…続きを聞きたくないんだけどな」
「お願い聞いて。私やっぱり累のこと知人以上の感情を持てないの。いつも優しくしてくれて、私のこと思ってくれてるのに…それが辛いの。ごめんなさい。累」
「それは…俺と別れたいということ?」
「…うん…」
累はハラハラと涙をこぼした。そしていつも胸につけていたネックレスについていた婚約指輪を海原に向かって投げつけてしまった。
「俺こそごめんね。結菜のこと縛ってしまって。同居も解消しよう。結菜は元の家に戻って生活するといいよ」
「累。ごめんなさい…」
「言わないで…」
累は立ち上がると服についた砂を払って海を眺めていた。私も残っていたコーヒーを飲み終えると立ち上がり服についた砂を払った。
「帰ろうか。荷物をまとめないと」
「うん…」
海に来た時とは明らかに雰囲気が違う累に申し訳なさが増していく。だけどこうするしかない。お互い辛いまま生活を続けるのは無理だった。
帰りは2人とも少し距離をとって終始無言で帰宅すると私は早速荷造りを始めた。幸いというか、ここに越してきてまだまもないので荷解きが全て終わっていなかったので、今使っている服や小物を片付けるだけでよかったため、荷造りはすぐに終わった。
「じゃあ、残りの荷物は後日配送会社を手配して取りに来るから。鍵を返すのはその時でいい?」
「うん…本当に行っちゃうんだね、ねえ。もしかして…良平くんが好きになっちゃったのかな?」
「それはないかな。良平はあくまでも私のお兄ちゃんだから。それ以上の感情はないよ、というより、異性に対して感情が持てないの。もしかしてこれも後遺症なのかもしれない」
そう。累に対してもだけど異性、同性問わず、深い感情が持てなくなっていた。周り全員知人ではあるが、恋人、友人に対する感情が持てない。そんな症状が現れていた。
(いい人達ばかりなのに。どうしてだろう。感情が抜け落ちている)
私はキャリーケースに当分必要なものをつめてタクシーに乗り込む。累は別れが辛いと玄関で別れを済ませた。累に恋しないといけないという重圧から解放されてようやく息ができた心地だった。
「累ごめんなさい。あなたのこと、忘れない」
タクシーに乗り込むと累のマンションがどんどん遠ざかっていく、それが寂しくもあり、解放さかれた安心感で心がぐちゃぐちゃだった。