目が覚めると真っ白な病室で、ちょうど朝日がのぼる時間だった。
「綺麗…」
それを眺めていると看護師さんが部屋に入ってきた。ここは私の両親の意向で個室での入院をしているのだが、この時間に看護師さんがくるのは初めてだった。
若くて、よく見るとまつ毛をぱっちりあげており、髪の毛も可愛くカールしてハーフアップにしている可愛い子だった。
「あの〜。突然ごめんなさいね。私、高木先生のことでお話があって来たんです。泉川さんって高木先生の幼馴染なんですよね?よかったらあなたから先生に私を推してもらえませんか?」
言葉の意味が飲み込めなかった。なぜ見ず知らずの女性を大切な幼馴染である良平に紹介しないといけないのか。それに良平は私のことを好いてくれている。そんな人から他の女の子を紹介されたらきっと傷つけてしまう。そんなこと絶対にしたくない。
「失礼ですがお名前を伺っても?」
「田部凪子です。歯科助手をしています」
凪子さんはまっすぐな瞳で私を見つめてくる。言いにくいけれど、はっきり断らないといけないだろう。
「ごめんなさい。私は凪子さんのことを知らないので紹介はできません。それに知り合いだとしてもいきなり患者の病室に入ってくるようは人は良平にお勧めできないです」
なるべく刺激しないように言ったつもりだったが、凪子は目を伏せるとぶつぶつと独り言を喋り始めた。
「私が好きになった人なのに、他の人が好きだなんて許せない。しかもその人に振られるなんて、絶対私の方が高木先生に似合うのに…許せない…許せない…」
(この人…あまり正気じゃないかも…怖いし早く出ていってくれないかな)
私はそうっとナースコールに手を伸ばすと凪子はその手をガシッと掴んでギリギリと締め上げた。見た目のふわふわした雰囲気からは想像できない腕力で私は戦慄する。
「何しようとしたんです?私と高木先生の中を邪魔するつもりなんでしょうか?だったら許さない。許さない許さない許さない」
凪子はポケットからメスを1本取り出すと私の口を塞いだままベッドに押さえつけてメスで胸元を貫いた。熱い血液が噴き出す。私はなんとかナースコールを手繰り寄せて押すとそのまま意識を手放した。
『結菜は好きな男いるのか?』
『え〜どうしたの?突然』
『別にいいだろ?』
『うふふ。実はね、昨日告白されて付き合い始めたんだ』
これは中学1年の頃の記憶。初めて彼氏ができて嬉しさのあまり良平に報告すると良平は喜ばず、相手のことを根掘り葉掘り聞いてきて、私も単純だったからそれを全て教えてあげたのだが、翌日の朝、告白は取り消されて私のお付き合い最短記録になってしまった、
(今にして思えば、相手の男の子、後から女癖が悪いことがわかって付き合わなくてよかったねってみんなと話していたっけ)
あの時はなんとも思わなかったけど、今考えると良平が動いてくれたのだろうと予測できた。
(良平はいつも影から私のことを守ってくれていた。男のみるめのない私に変わって付き合った人全員の素性を調べて、脅して、大変だったろうな)
「りょ…へ…」
集中治療室らしくビニールに囲まれたベッドで私は口に酸素マスクをつけられて眠っていたらしかった。
目を開けるとそこにいたのは良平ではなく累だった。累はひどく傷ついた顔をしたが、すぐにそれを押し隠し、私に向かって状況を教えてくれた。
「結菜、君は良平のストーカーに胸を刺されて昏睡状態になっていたんだ。なんとか一命を取り留めたけど、危なかったんだよ。もうすぐご両親も来るから。無理に喋らないでね、喋ると痛むらしいから」
「る…い…」
「どうした?何か欲しいものでもあるのかな?」
「手を…」
「うん。面会時間ギリギリまでこうしてあげるよ。愛してる。結菜」
たったそれだけの会話なのに体の力が抜けて私はまた眠りに落ちた。
(よかった。私生きていた)
最後に思ったことはそんなことだった。
白いふわふわした空間に出たのはその少し後、黒くて体にまとわりつく闇に苦しんでいる時に、突如として私の周りが柔らかな雲のようなふわふわしたもので覆われた。そこは上も下も左も右もない。不思議な空間だった。
(ああ。どこまでの自由で心地いい。ずっとここにいたいなあ)
私はふわふわの雲に顔を埋めてまどろんでいた。
「…な!…ゆい‥な!!」
「ん?何か言った?」
「結菜!!」
びっくりして体がどこかに引き戻される感覚があった。見るとそこには良平が悲しそうな顔をして私の手を握って私の名前を呼びかけていたから。
「りょ…へ…」
「喋るな。お願いだから逝かないでくれ。お前がいない世界なんて考えられない。俺のものにならなくても、他の男のものになっても、お前が存在さえしてくれたら俺はそれで十分幸せなんだよ。だから逝くな。気をしっかりもて」
必死な顔でそう呼びかける良平に私は感謝した。おそらくあそこで良平が呼び戻してくれなかったら私は死んでいたのだろう。それが直感で分かった。
(あの世とこの世の境目にいたのね。だからあんなに心地よかったんだ。死んだら何も考えなくて良くなるから)
それからというもの、良平は毎日私の病室に来て、手を握って幼い頃のことを話して聞かせてくれるようになった。