「良平のこと覚えてるの!?」
ななみが私の肩を持って私に目線を合わせる。
「うん…小さい頃からずっと優しかったお兄ちゃんだよね?どうして来てくれなかったんだろう…良平はいつでも私と一緒にいてくれたのに」
「…良平は…俺に結菜をあずけてくれたんだよ。だからここには来ないと思う」
累が苦しそうに絞り出すようにつぶやいた。
「でも良平はお兄ちゃんみたいな存在だし、どうして累さんに私をあずけてそのあとは会わないことになったんでしょう?」
不思議だった。記憶がなくなっても思いが残っている深い絆で結ばれている兄のような存在なのに。どうしてきてくれないのだろう。
「…良平は君のことを愛していたからだよ。何度か、アプローチしてダメだったから。もう結菜には会わないって言ってた」
花は苦しそうに教えてくれた。
「良平が…っつ!頭が痛い…」
ズキズキと激しい痛みが襲ってくる。身体中に冷や汗が垂れて気持ち悪かった。思い出した光景で良平は言っていた。
『来世では………』
バタバタと足音が聞こえてきて看護師と医者が私のそばにきて脈を測ったり目線のチェックなどを行い始めて、見舞いに来てくれていた人は全員部屋から出されてしまった。
「記憶が戻る度に眩暈や気持ちの悪さが出てくるかもしれませんね。何かあったらすぐに休めるように…くれぐれも無理に思い出そうとしないようにしてくださいね」
医者は他に問題がないことを確認すると部屋から出ていった。
そうして誰もいなくなった病室で私は何かするでもなく横になると目を瞑った。
夢を見た。幼い日私は何が悲しいのか分からずに泣いていたら、良平がかけてきてぎゅっと抱きしめてくれた。
『良平〜。来てくれた』
『結菜は俺が守るから。だから何かあったら俺のこと呼んで』
『うん!良平大好き』
ふっと誰かの気配を感じて薄目を開けるとそこには良平が白衣を着て椅子に座って私を見つめていた。このまま目を覚ましたらきっと良平はこの部屋から去ってしまう、そう感じた私はそのまま目を閉じて寝たふりを続けた。
良平は私の手を取るとそっと額に手を当てて祈るように囁いた。
「愛してる…どうか。早く元の結菜に戻ってくれ…。でないと俺は…また…」
悲痛な声に私は知らず涙を流していた。良平は私が悲しい夢を見ていると思ったのか、ハンカチで涙をそっと拭うと口元に唇を寄せたが、ふっと動きを止めると額にキスをしてその場を後にした。
良平が去った後で私は半身を起こして泣いた。良平に愛されていることが嬉しかったのだ。今は累という婚約者がいる身だから良平も身を引いているようだったが、全てが朧げな今の世界で分かっているのは良平だけ。どうして良平を愛せなかったのか。そのことを自問したが、どうしても良平はお兄ちゃん以上の感情を抱くことが出来ず、
結局私の本当の愛は全く覚えのない人、累に向けられていたのだろう。
(少しでもいいから良平にそばにいて欲しいけど、もう会わないと言われて…良平は一度決めたことは曲げないから、私が眠っている時にこっそりと様子を見に来てくれている。だから私も良平に頼ってはダメ。ちゃんと自分の足で立たないと)
本音では良平に甘えて助けて欲しかったけれど、それをすると累にも良平にも不義理だ。今はとにかく累のことを思い出すことを最優先にしようと決意した。
「累さん…あなたは一体どんな人なのでしょうか…」
お見舞いに来ていた累のことを思い出す。すごく優しげで、それなのに逞しい体つきをしていた。声は耳に心地いいトーンで、仕草はどこか懐かしい。そんな印象の人だった。
(深く私を愛してくれている良平を差し置いて愛するくらいだからきっと素敵な人なんだろうな…。早く思いだして安心したい)
そう、入院期間はあと1週間。その後は2週間家で療養してから仕事に復帰するし、恋愛関連のことばかり考えてはいられないから。
(仕事…不思議と今取り掛かっていることとか、これからやることなんかは全て頭に残ってる。仕事は問題なさそう)
人間関係はすっぽり抜け落ちているのに、仕事や家事などはしっかり頭に残っている。それが幸いだった。
色々考えて疲れたのか、私はまた眠りに落ちていった。
『結菜…愛してる…』
夢にはまた良平が出てきて私に愛を囁いてくれた。でも私は首を振る。良平は悲しそうに笑うが私を柔らかく抱きしめて頭を撫でてくれた。
『いつか…俺のことを愛して』
その日は来ない。思い出したらきっと私は良平より累さんを選ぶだろうことがなんとなくわかっていたから。今は他に頼れるものがないから心が弱って良平に頼ろうとしているだけ、それだけなのだ。
(決して我欲のためだけに良平を利用するようなことはしたくない。絶対に…だから自分の力で全て取り戻さないと)
そう決意すると私は体力をつけるためにとまた深い眠りに落ちていった。
その夢の中で私はある人と手を繋いで歩いていた。すごく幸せて心満ち足りていた。いったいこの人は誰なのだろう。累さんなのかな?早くこの人のことを思い出して、また手を繋いで歩きたい。愛してるが溢れて止まらない。こんなに愛してるのに。どうして思い出せないのだろうか、それが不思議でならなかった。