シャワーを浴びながら良平について考える。最初の記憶は幼いころ私の手を引いて歩いてくれるその優しい手だった。男の子にいじめられていたらどこにいても飛んできてその相手をボコボコにして泣く私を抱きしめてくれた。
お腹がすけばお菓子をどこからか調達してくれるし、進路に悩めば一緒に進む道を探してくれた。勉強も教えてくれたし、就職した際は親より喜んでくれて奮発してディナーをご馳走してくれた。だから私もお礼に良平に初任給で腕時計を買ってプレゼントした。本当ならもっといい時計をつけたいだろうに、いまだにその時計をつけ続けてくれている。
良平はいつでもいいお兄さんだったしいつも私のことを考えてくれていた。学校の先生に外科医にと求められていたのに歯医者になったのもあまり忙しいと私との時間が取れなくなるからだと酔っ払った時に聞いた。その時はただの冗談だと笑い飛ばしたが告白を受けてからそれが真実だと知って悲しい気持ちになった。
(良平はいつも私のことだけを考えて思ってくれていたのに。私は自分のことしか考えてなかった)
今更それを変えることはできないがさっき最後に言った来世では…という言葉で私は胸が痛んだ。もし、もしも来世があるなら。私はきっとまた累のことを好きになるだろうから。
「ひどい女だ」
どうあっても私は累しか愛せない。それはどんなに生まれ変わっても変わらない。魂が彼を求めてしまうだろう。でも良平はこの先の人生一人きりだなんて寂しすぎる。どうか誰かと幸せになって欲しいから愛花たちに頑張ってもらうしかない。
シャワーを浴びて終わってから私は累に電話をかける。無性に声が聞きたくなったからだ。累はすぐに電話に出てくれてたが私が沈んだ声を出していたので心配して訪ねてくれた。
『何があった?』
『うん…さっき良平に累と婚約したことを伝えたら。今世では諦めるけど、来世、生まれ変わったら自分を愛して欲しいって言われたの。でも私は生まれ変わってもきっと累のことを愛してしまうと思うからすごく悲しくなって。声が聞きたかった』
私の心痛が伝わったのか、累は優しい声で言った。
『寂しいよね。そんなこと言うってことは良平くんはもう結菜に会うつもりはないんだろう。ずっと守ってくれていたお兄ちゃんだったもんな。でも、良平くんの代わりにはなれないけど俺が結菜を守るから』
優しい言葉に心が温かくなる。
(ああ。やっぱり累が好き。この気持ちは変えられない。どんどん好きになっていく)
私は弱い。いつも迷うし道を間違える。それは累も同じで2人で迷子にもなったりもした。その道を正してくれた周りの人達に感謝しつつこれからの生活に想いを馳せた。
そしてやってきた3連休。佐和子さんが朝から手伝いに来てくれていた。
「寂しいわね、結菜ちゃんが婚約してその人と同棲するって聞いた時は驚いたけど、応援しているわ。結菜ちゃんは私の娘みたいな存在だから、少しでも幸せでいて欲しいの。ね?約束して。絶対幸せになるって」
「はい…私、必ず幸せになります。佐和子さん。今までお世話になりました」
頭を下げると佐和子さんは涙ぐむ。つられて私も涙ぐんでしまった。
「もう。お別れの時は笑顔でいようって決めてたのに。だめね。ずっといるのが当たり前になっちゃってたから。ねえ。困ったことがあったらいつでも訪ねてきてね。私も良平もいつまでも結菜ちゃんの味方だから」
優しく告げられて私はコクリと頷く。言葉は出なかった。何か言うと泣いてしまいそうだったから。それを察してか佐和子さんも何も言わなかった。その後は気分を帰るためになのはとちくわの話をして盛り上がった。お母さんとお父さんがそのうち一時帰国するかもしれないことを話すと久しぶりに2人に会いたいと嬉しそうに離してくれた。
そうこうしているうちに少ない荷物はあっという間にまとめられて業者さんがトランクに乗せてくれた。
「では私は行きます。佐和子さん、体に気をつけて…良平にも…そう伝えてください」
「わかったわ。本当にもう。あの子ったら!お別れは済ませたから会わないって朝から出かけてしまったのよ。困った子よね」
寂しそうに笑うその笑顔にはやはり良平が選ばれなかったことへの同情のようなものが見え隠れする。気づいてもどうにもできないのが歯痒かったが、ここで謝るのも返って良平に失礼になるから気づかないふりをして微笑んだ。
「ねえ。もし結婚して子供ができたら必ず見せにきてね。と言うより私が行っちゃう!」
「ふふ。気が早いですね。まだ婚約したばかりなのに」
「人生何が起こるかわからないわよ?結菜ちゃんが幸せならなんでもいいけれど、もし悲しいことがあったらいつでも頼ってね。約束よ?」
「ありがとうございます。では私はこれで」
そう言うと私は駅に向かって歩き始めた。何度も振り返って佐和子さんに手を振って。姿が見えなくなるまで佐和子さんはずっとそこに佇んでいた。
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今日は最悪な1日になりそうだった。
常連のよしみで朝からウイスキーをカウンターで飲む。蓮には全て話した。
結菜が婚約して累と同棲を今日から始めること。最後に一度抱きしめて来世は一緒になりたいと懇願したが、それすら断られたこと。
無様すぎて泣きたくなったが、蓮は俺に同情せずにいつも通りに接してくれた。そう、昼の営業では出さない酒を出してくれたから一応は俺のことを気遣ってくれているのだろうけど。
「俺はどうしたら良かったんだ」
いつかなんとなく付き合って結婚すると思って完全に油断していた。結菜が俺に兄以上の感情を持っていないことには気づいていて、いつそれを払拭するかタイミングをずっと見計らっていたが、気づいた時には全てが遅すぎて、結菜には心から愛する人ができてしまった後だった。
告白しても結菜は困った様子を見せるだけで、唯一結菜のそばにいられる兄ボジションも失って、もう完全に縁が断たれた。これからはもう完全に別の道を歩く。そのことがたまらなく辛い。