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第36話  苦悩

「では、何か困ったことがあったらこの番号に電話してください」


合原は名刺を私に渡すと車を出して走り去っていった。


「まーた新しい男か?」


後ろからいつの間にか良平がやってきて私は驚いた。

さっき怖い話をきいたばかりだったので咄嗟に不審者かと思ったのだ。


「良平、おどかないでよ、今の人は累さんの所属してるスタープロダクションの合原さんていうマネージャーさんよ」


「ああ、累、マネージャーついてたのか」


私は今日起こったことをかいつまんで良平に話した。すると案の定良平はしかめ面になって言った。


「また累は結菜を危険に晒してるのか!?あいつ…」


「良平怒らないで…今回は私も悪いの」


良平はその言葉に苦虫を噛み潰したような顔をした。

私のことを思っていてくれている彼のことだから、また累より自分をというに決まっていたから累を庇ったのだが逆効果だった。


突然良平に抱きしめられた。強く強く。痛いくらいに。


「良平、苦しい」


「結菜!もうあいつから離れろ、お前ばかり苦労して…あいつのこと好きな気持ちはわかる。だけどもうあいつのせいで傷つくお前を見ていられないんだ」


良平の優しさに私は涙が滲む


「なあ。キスしていいか?お願いだ。たった一度だけでいい」


「それはだめ。累さんにも良平にも不誠実だから。私は自分を曲げたくない。まっすぐ生きていきたいの」


そう言うと良平は抱きしめたいた身体を話して少し距離をとった。


「そうか…だったら、せめて母さんがいるときになのはに会いに来い。これから1ヶ月累には会えないんだろう?だったら癒しが必要だ」


「良平。ありがとう」


そのあとはお互い無言で部屋の前まで帰って、おやすみと言って部屋に入った

良平の気持ちを知ってもやっぱり良平のことはお兄さんのような存在なので全く以前と変わらず接することができている。


「良平のばか。なんでキスなんていうの」


私は玄関にうずくまって泣いた。


******

「俺のアホ」


一度帰った道をまた歩く。行き先はいつも何か凹むことがあったら通っているバー蓮花。


「マスター強いの」


「良平さん奥の席にどうぞ」


 俺の一言でロックウイスキーをそっと出してくれる。バーには同じく常連の五木ななみが飲んでいた。


「どした?結菜と何かあったの」


ななみは俺と結菜の関係を知っている。だから気兼ねなく愚痴れる。


「ついさ、言っちゃったんだよ、キスしていい?って…」


「ええ!どういうこと!?」


ななみは何を話しても大丈夫な友達なので累のことはぼかして話をした。


「結菜がさ。ちょっと余裕ない状況だから。つい抱きしめちゃって、そしたらキスしたくなっちゃってさ。バカだよな俺。この前自分の思いを言ってからもう我慢が効かなくなってる」


「それで?結菜はなんて」


「もちろん断られたよ、誠実でありたいって」


「らしいね」


そいうって2人静かに酒を煽る。

(ななみはいつも余計なことを言わないからいい。居心地がいいっていうか…なんだかおんなじ匂いを感じるんだよな)


「ななみはさ、もしかして片想いしてる?」


 ななみは一瞬複雑な顔をしたがすぐに笑顔に戻って言った。


「してる。しかも完全に見込みなし」


 ななみは寂しそうにカクテルを飲む。蓮さんは静かにレコードの曲を変えてくれた。そういうところなのだ。このバーの魅力は。

他に客がいるのであえて話し声が聞き取りづらい明るいジャズ。

俺はななみに話し始めた。


「ななみはどんなやつに惚れてんの?」


「そうだねえ。誰にでも親切で優しい善良を絵に描いたような人。ただ誰にでも優しいから特定の人になってからは不満だろうなって思える人」


「なんだよそれ」


「しかも本命に相手にされてない心の穴を埋めるために彼女とか作ってんの。善人ぶって酷い人なんだよ」


「何でそんな奴が好きなの?」


「単純な理由で親切にされた時、心が弱っててね、すごく助けられたから。それからずっと片想い。身体だけの関係になってもいいかなって思ってた時もあったけど、結菜とか見てるとそういうの虚しいなって思えてさ」


「それはわかるかも。結菜見てると眩しくてさ」


 ロックウイスキーを一気に煽って2杯目を頼む。今日の酒は全く酔が回ってこない。すると背中を元気づけるようにななみにポンポンと叩かれて、思わず涙がグラスにこぼれ落ちた。


「情けないだろ。男の涙とか」


「綺麗だと思うよ。私はね」


 一般的にはどうかなって思うけど、と付け足して言うとななみもグラスに残っていたカクテルを一気に煽ると良平と同じロックウイスキーを注文した。

 静かに2人で言葉もなくただ酒を飲む。それだけで随分心が穏やかになっていくのを感じた。この先、俺はもう間違えない。結菜が振り向いてくれるまでずっとせめていく。そう決意してウイスキーを煽る。2杯目のウイスキーは1杯目より甘く感じた。


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