出社すると会社内がばたついていた。何が起こったんだろうと不思議に思っていると愛花が私の元に走り寄ってきた。
「おはよう結菜。大変だよ。うちの会社、買収されてトップが変わったってもう聞いた?」
「ええ!?いつの話?」
「今日発表されたけど、水面下でずっと計画されていたみたいなの。とりあえず、今いる社員はそのままの業務をすればいいらしいから良かったけど、しばらくはばたつくよねえ」
うちはしがない中企業なので買収しても買い手に何か得があると思えない。そのことが少し引っ掛かるが、とりあえず業務内容の変更がないと聞いて安心した。
業務を始めるとみんなもソワソワしながらもいつも通りに仕事をこなしていく。
「泉川、これやっといて」
いつも仕事を押し付けてくる先輩がいつも通り私に大量の雑務を押し付けてきたがそれを見た課長が慌ててかけてきた。
「泉川に雑務を押し付けるなと上からお達しがきてるんだ。お前それくらい自分でやれ。首になりたいのか?」
その瞬間周囲が凍りついた。なぜ私に雑務を振ったくらいで首になるのか。そもそも私がいつも雑務を押し付けられていることを上の人が知っているのか。謎が多すぎて困惑したが、課長が私にヒソヒソと耳打ちする。
「どうも上の者が君のことを気に入っているらしくてね。もしかしたら近々視察に来られるかもしれないからその時は対応よろしくね」
「ええ!私がですか?」
一体何が起こっているのだろう。いくら考えても自分が会社の上層部の人間に気に入られる要素がなかったので頭を捻った。
その日の業務が終わる頃には私の特別扱いが周りに浸透して、今まで私に無理やり仕事を押し付けていた人達が私にヘコヘコし始めたので、辟易していた。
「本当あいつらクズだよね。今までと態度変えて、マジで許せん」
愛花はプリプリ怒りながら帰り支度をする。私もその隣で苦笑いしながらパソコンの電源を落とした。
「でも私本当に心当たりがないから。一体どこで出会ったんだろう」
「あ!もしかしたら電車とかバスで席を譲ったりしてそこで気に入られたとか?結菜優しいからいつも何かしら親切にしてるじゃない。道がわからない人に一緒についていってあげたりとか」
「う〜ん。でもそれは当たり前のことしてるだけだからなあ」
「ふふ。その当たり前ができる人、案外少ないんだよ」
2人で笑い合いながら会社を出るとそこには1台の車が止まっていた。
そういえば累が迎えにくると言っていたことを思い出して愛花を累に紹介するいい機会だと思って愛花に声をかけた。
「実は今日累が車で迎えに来てくれてるの。紹介したいから一緒にきてくれる?」
「お!噂の彼氏にご対面できるんだね。どんとこいだよ」
2人で累の車に向かって行くと中から累が降りてきた。
「結菜!そちらの人は?」
「初めまして、同期の佐々木愛花です。よろしくお願いします」
「ああ。君が。いつも結菜によくしてくれてるみたいで、ありがとう」
「いえいえ。結菜はいい子ですから、どうか大事にしてあげてくださいね」
愛花の言葉に累はニコッと笑って答えた。
「せっかくだから佐々木さんも送っていきますよ。乗ってください」
累はそう言うと後部座席のドアを開いた。
「そんな、申し訳ないです」
「気にしないでください。家はどのあたりですか?」
「じゃあお言葉に甘えて、ここから3駅先の**町です」
「わかりました。結菜も乗って。行こうか」
そうして3人は車に乗り込むと車はスルスルと走り始めた。朝は激しかった雨は今では小降りになっていた。これならば迎えにきてもらわなくても徒歩で帰れたのに申し訳ないことをしたと考えていると、累がその思考を読んだように言った。
「もしかして、こんな小雨でお迎えなんて申し訳ないって思ってる?」
「あ…はい。これなら歩いて帰れたかなって」
「いいんだよ。俺が迎えにきたかっただけだからさ」
累は前を向いたまま微笑んだ。その横顔はとても優しくて、ただの優しい恋人のように見えた。
(今でも信じられないな。累があんなことしたなんて)
累は家庭環境が不遇だったこともあり、人を信じられないのかもしれない。それを思うとやはり累のことを責めることができなかった。
(累は人の愛情に飢えているだけなんだよね。きっと。私がその穴を少しでも埋めてあげられればいいんだけど)
私は手をぎゅっと握って目を閉じて深呼吸した。
「累さんは今までの彼女にも同じことをしていたんですか?」
愛花が突然聞きにくいことをズバッと累に尋ねた。
(愛花!?確かに気になるけどそんなズバッと…)
ハラハラしながら2人の様子を伺っていると累は静かに語り出した。
「今まで付き合った子たちにはそんなことしてないよ。正直、付き合ってたって言えるかもわからない。告白されてOKしただけだから。そのあとは特に何も進展なく大抵1ヶ月くらいで振られてたからね。結菜に出会うまで他人にそんなに興味がなかったんだ」
「え…もしかして…まだ綺麗な体のままとか?」
「はは。その表現いいね。まあ、そうなるね」
私と愛花は絶句した。累はかなりスペックが高い方なのに、まさかまだ一度も誰とも肌を合わせたことがないなんて、私も同じようなものだから人のことはいえないが、意外すぎて驚きだった。