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第25話 甘えん坊

調理の間、私は困惑していた。


「あのお…累さん?危ないですしソファで座って待っていてください」


 あの後、累は全て出し切ってもう怖いものがなくなったと言って。べったり私に甘えるようになってしまったのだ。


「こうしていたいんだ。やっと思いが本当の意味で通じ会えたんだから…結菜は嫌?俺に抱きしめられるの」


(うう…ずるい聞き方。そんなの抱きしめられたら嬉しいに決まってる)

 だけど今は調理中。包丁を使う作業はもう完了しているけど今は火を使った調理中。火傷でもさせたら大変なのでハラハラしながら調理を進めていた。


「いい匂い。これは何を作っているの?」


「ニョッキのトマトソースを作っているんです。あとはサラダとビシソワーズが冷蔵庫に冷やしてあります」


「すごい!レストランみたいだね」


「ふふ、いつもはもっと簡単なご飯なんですけど、ちょっと頑張っちゃいました」


「俺のために頑張ってくれたの?」


 耳元で低音イケボで囁かれると全身がゾクゾクとした。


「ふふ。結菜、耳まで真っ赤。可愛い」


「もう!いくら累さんでも起こりますよ!私怒ったら怖いらしいんですよ!」


「あはは。全然想像がつかない。だって結菜最近怒ったことないでしょ?」


「う…」


確かに最後に怒ったのはいつだろう。恵まれた環境にいたせいか怒りの感性が死んでしまっているようで、大概のことは笑って許すか、無になってやり過ごしていた。


「そういえばないですねえ。子供の頃は怖かったらしいですけど、怒るってどうするれば?」


 だがそもそも今怒るようなこともないので怒ることなんてできない。


「じゃあ、俺が怒らせてあげようか?」


 累が突然低音ボイスで囁くとするりと手をスカートの中に滑り込ませてきた。


「ちょっ!!今は調理中ですよ!それに急に!イタズラにしても酷すぎます!!」


「ふふ。怒れたね。本当だ怖い」


累は何かスイッチが入ってしまったようで今度は耳を甘噛みする。


「んっ!やだ!本当にやめてください!!」


 私は怒りのあまり咄嗟に思いっきり累の足を踏みつけてしまった。


「〜〜!!」


累はよほど痛かったのか声にならない声をあげて蹲った。


「はあ…はあ…もう!累さんの意地悪。こんなことしたら嫌いになっちゃいますよ!」


「ごめんね…ちょっとやりすぎたって反省してます。でも怒り顔可愛い。もっと見たかったな」


「次したらもう出て行ってもらいますよ?」


 私がガチギレしているのを見て累はなぜか嬉しそうだった。

(もう!私がこんなに怒ってるのになんで嬉しそうにしているの!?)

 プリプリ怒っていると累はそっと私の頬にキスをしてリビングに行ってしまった。


「ごめんね。本当に邪魔するつもりはなかったんだよ。リビングで反省してます」


そう言って累はリビングで大人しく本を読み始めた。

(よかった。これで安心して調理ができる)

 私はホッとして調理を続けた。


「できましたよ」


ダイニングテーブルに出来上がった料理を並べながら累に声をかけると累は読んでいた本に栞を挟んで手伝いに来てくれた。


「運ぶものがあれば手伝うよ」


「ありがとうございます。じゃあこの大皿と取り皿を運んでもらえますか?」


「了解」


2人で準備したからか食卓には美味しそうな料理が並んだ。


「じゃあ食べましょうか」


「うん。いただきます」


 累は早速大皿に盛ったニョッキに手を伸ばす。

(得意料理だし味見もしたから大丈夫だろうけど、お口に合うかなあ)


ドキドキしながら累がニョッキを口に入れて咀嚼する様子をチラチラと観察した。


「美味しい!ニョッキって食べるの初めてだけどもちもちしてて美味しい。それにこのソースもトマトの酸味があまり感じなくて食べやすいよ。すごいね結菜」


「お口にあってよかったです。この料理はお母さんから教わった秘伝のトマトソースを使っていて、みんなによく褒めていただくんです」


「お母さん秘伝…か」


(あれ?累さんちょっと元気なくなった?)


「どうしました?」


「いや、いいお母さんなんだね」


「はい!自慢の母です」


 累はその後も黙々と食事を続け、作りすぎてしまったニョッキは綺麗に空になった。


「おいしかったよ。また作って欲しいな」


「じゃあ次は和食にしますね。お母さんに教えてもらったレシピ、まだまだたくさんあるので」


「うん…楽しみ」


(う〜ん。累さんお母さんの話してから元気がない。そういえば累さんのお宅は事情が複雑だったな)


 確か義父の奥様と実のお父さんがガンで亡くなって、お母さんと義父が再婚していると言っていた。その辺りと関係あるのだろうか。


「累さん…何かあったら私なんでも話を聞きますから。遠慮しないでくださいね」


「結菜…君には敵わないな。じゃあちょっとだけ聞いてもらえる?」


「はい…」


「俺の母は死んだ父さんのことを愛しててね、亡くなった時はひどく荒れて大変だったんだ。食事も作らずお酒ばかり飲んで、幼かった俺はお腹が空いて母さんの酒のつまみをこっそり盗み食いしたり、砂糖を舐めて飢えを凌いでいたんだ。幸い小学校で給食が出たから死にはしなかったけど、あの数年の辛さは今でも忘れられない。義父さんに出会ってから母さんがようやくまともになって、その頃のことを散々謝られたよ。あの時はどうかしてたって。それでも辛かった数年のことが忘れられない。ああ。もちろん母さんの心境だって理解できるからもう許しているんだけどね」


 思っていた以上に重たい内容に言葉が出なかった。

(だから累さんは食事を大切にしているのね)


 私は何も言わず累の手を握った。累は気づいていなかったかもしれないが、わずかに手が震えていたからだ。

 当時の過酷な環境を思い出してのことだろう。少しでも癒しになりたかったのだ。


「私はいつでも側にいます。どんなことでも受け止めます。だから、どうか…辛いこをがあったら私には話してください」


ポロポロと握った手に涙の雫が落ちる。累が泣いていたのだ。


「あ…俺…」


 私はいてもたってもいられず席を立つと累の側に駆け寄るとその頭をギュッと抱きしめた。傷ついた心はいつか癒えるというのはうそだ。本当に傷ついた心には底深い傷跡が残り、それに触れるたびに疼いて痛みをぶり返す。そういうものなのだ。


「累さん。私がいます。ここに、ずっといますから」


「結菜…結菜が欲しい…お願いだ…拒絶しないで」


 こんなに弱った累を拒絶することなんてできない。私は累の手を引いて寝室へと向かった。そしてベッドに並んで横になると累の頭を撫でながら子守唄を歌うと、累はうとうとと眠りについた。


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