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第6話 美味しそうに食べる人

「あ…ごめんなさい…嬉しくてつい…」


 子供のようなはしゃぎ方をしたのと、手を繋いでしまったことが恥ずかしくて思わず手を引っ込めようとしたが、累に手をがっしりと握られてしまい、それもできなくなった。


「嬉しいよ。結菜ちゃんから手を握ってくれて、だからこのまま…だめかな?」


「いいえ…だめではないです」


 恥ずかしさのあまり少し俯いて私がそう言う。見上げるとやはり累は慈愛にみちた眼差しで私のことをみてくれる。私はそれがくすぐったくてふっと視線を外す。すると累は私の手を引いてゆっくりと歩き始めた。


「ここに来たら必ずよる店があるんだ。そこでいいかな?」


「はい!累さんの好きなもの、私も食べたいです」


「好き嫌いとかある?」


「いいえ、母の方針で子供の頃からなんでも食べられるので、大丈夫です」


「いい子だね。それにいい親御さんだ」


「ありがとうございます。累さんは好き嫌い、あるんですか?」


「実はね。俺も好き嫌いないんだ。幼い頃はなんでも食べないと生きていけない環境だったからね」


 (食べないと生きていけない…)

 おそらく累さんは幼いころ何か事情があってそうなったのだろう。私が踏み込んではいけない領域だと思って口をづぐんだ。


「さあ、着いたよ。ここ。俺鰻が好きでね。ここのひつまぶしがすごく美味しいんだ」


 意外なお店に来て私は少し驚いた。てっきりトンカツやイタリアンとか、そう言った男の人が好む店に行くのだと思ったから。


「意外だった?ここにくると毎回動物と触れ合って、ここの鰻を食べて帰るのが楽しみなんだ。勝手にお店を決めてごめんね。鰻。食べられる?」


「私も鰻大好きです。甘いタレとふわふわした身が美味しいですよね」


「うん!そうなんだ。さあ、入ろうか」


 累はお店の扉をガラガラと開けて、手慣れた様子で入っていく。

 私は少し緊張していた。というのも。しがない会社員である身では、鰻なんて高級品、滅多に食べられないし、鰻のお店なんて価格的にもオーバーしてしまうから入ったことがなかったのだ。


「こっちだよ。結菜ちゃん」


 私は累に緊張を悟られないように気をつけながら店内に入っていった。通されたテーブルは高級感のある木のテーブルでピカピカに磨かれている。店内も清掃が行き届いており、とても綺麗だった。

 厨房からは鰻を焼く香ばしい香りが漂ってきてお腹の虫を刺激する。


「いい匂い。結菜ちゃんはどうする?俺はひつまぶし一択なんだけど、鰻重でももちろんいいよ」


「えっと、せっかくだから累さんが好きなものを食べてみたいです」


「じゃあひつまぶし2つね。すみません」


 通りかかった店員さんを呼び止めると累はひつまぶしを注文してくれる。その所作がスマートで本当にこの店の常連なのだと分かった。


「楽しみだな。ひつまぶし。最近はちょっと忙しくて足が遠のいていたから。結菜ちゃんと一緒に来れてよかった」


 心から楽しみにしている様子の累が可愛くて私はそれをみているだけで幸せな気持ちになった。累は大人で何事もスマートに行動すると思っていたので、気が緩んだ瞬間を見られるのが嬉しかった。そして私は勝手に決めつけていたみたいで反省した。見た目がとてもスマートだからきっと行動全てが大人なんだろうなと思い込んでしまっていたから。

(累さんの子供っぽいところ、みられて嬉しいな。ちょっとだけ親近感が湧く…)

 そう思うと先ほどの告白を思い出した。累はどうして初めて会った

私に告白をして来たのだろう。確かに、累が配信を始めた初期からずっと応援していたけど、それなら私以外の女の子もいただろうに。自分が選ばれた理由がわからずそこが引っかかって累に好きと告げることができなかった。

(累さんは私のどこが気に入ったのだろう。容姿は人並みだし、格好も地味だし、もしかして中身を見て、人間性が気に入ってもらったのかな。だったら嬉しい)

 私はまた思案に耽っていたのだが、累は何も言わずにお茶を啜って私の思考の邪魔をすることはなかった。


「あ!累さん、ごめんなさい、私、ついまた考え事を…」


「いいんだよ。結菜ちゃんが考え事してるアンニュイな表情、いいなと思ってるから」


 累はどんな時も私を否定しない。会ってまだ数時間なのに、もう長く一緒にいるような感覚になる。いつでも優しい眼差しをむけてくれる。優しい言葉をくれる。今までそんな経験がなかったから、嬉しかった。


「累さん、ひつまぶし楽しみですね。そういえば、累さんて一人暮らしなんですか?レシピサイトに時々レシピを掲載されてましたよね?」


「俺?ずっと一人暮らしだよ。家事はまあ、全般できるけど料理は好きだな。いつか結菜ちゃんにも料理、食べてほしい」


「わあ。累さんの料理、私もまねして作るんですけど、どのレシピも作り方がわかりやすくて毎回おいしく仕上がるので…それを累さん自身に作ってもらえるなんて嬉しいです」


「ふふ。俺の料理は美味しいよ。前は生きていくために必死に覚えたけど、今では好きな子の胃袋を掴むためにのんびり楽しんでるんだ」


 好きな子。つまり私のために料理を作ってくれているということ。私はそれがただ純粋に嬉しかった。累さんが私の家に来るか、私が累さんのお家にお邪魔させてもらうのか。どちらも楽しそうで心が浮き立った。


「ねえ、いつか、俺のこと本当に信頼してもらえたら、その時は俺の家に来て料理を食べてくれる?」


 私の考えを見透かしたように累が問いかけてくる。私はもちろんそうしたかったので即座に答えた。


「はい。累さんのお家行ってみたいです。それの料理も…食いしん坊みたいで恥ずかしいですけど、レシピが美味しそうなものばかりなので。食べられたら嬉しいです」


 素直な気持ちをストレートに伝えると累は嬉しそうに微笑んでくれた。私はその微笑みがあまりに甘くて優しいので、目を逸らせなかった。

(綺麗な微笑み…累さんは声も体も心も全部綺麗…)

 私はどうだろう?振り返ってみてもよく分からなかった。ただ、正直でいようと思っていたのでそれは自信があった。

(正直者なだけしか取り柄がないなんて…本当に累さんに釣り合ってない)

 また落ち込む。いつもそうなのだ。誰かと付き合うことになると、自分に自信が持てずに、一方的に別れを告げて相手と向き合うことから逃げてしまうのだ。

(累さんとは…きちんと向き合いたい。逃げずにちゃんと…)

 そう決意して私は累さんに向き直って話し始める。


「あの…私、はっきり言うと累さんに釣り合っていないんです。累さんはかっこよくてスマートで、配信者としても成功している。それは全て努力のたまものなんでしょうね。そんなすごい人が、見た目も冴えないし、特技の一つもない私と釣り合うはずがないんです。でも、それでも…私は累さんの隣にいたいんです。これから、私はいろんなことに努力して、累さんに何か一つでも誇れるものを見つけますから。それまで隣にいてくれますか?」


「それはどれくらいかかりそうかな?」


「まだわかりません。まだ何をするかも決めていない状態ですから。でも、何かを始めたいんです」


「できれば長くかかればいい。そうしたら結菜ちゃんの隣にずっといられるから」


 累はそういうとふっと優しく目を細めた。私はその柔らかい表情に心がくすぐったくなる。心が落ち着かない。でもそれは嫌な感情ではなく、むしろ強く心を温かく揺さぶられるようだった。

(累さんと一緒にいると私の心がどこまでも澄み渡っていく。きっと累さんの心清いからなのかもしれない)

 私は心は胸に手を当てて、目を閉じる。すると青空がどこまでも澄み渡っている様子が見えるようだった。


「お待たせしました。ひつまぶしです」


 その時、店員さんが二人分のひつまぶしを運んできてくれた。

 テーブルに置かれた器には美味しそうなひつまぶしが詰められていた。


「美味しそう!いただきます」


「うん。ゆっくり味わって食べてね」


 ゆったりした口調で累はそう言うと箸を割って手を合わせる。


「いただきます」


 そう言うとゆっくり味わいながらひつまぶしを食べ始めた。

(ちゃんと”いただきます”って言ってから食べ始めるんだ。丁寧で素敵だな)

 私は感心しながら手を合わせた。


「いただきます」


 そしてひつまぶしを一口含むとゆっくりと咀嚼する。ジワリと香ばしい香りと甘辛いタレがからんでとても美味しい。一口目を飲み込むと、即座に2口目を食べる。

「美味しかったみたいだね」


 私が夢中で食べている姿を見て嬉しそうに言った。


「あ…夢中になっちゃって、すごく美味しいです!鰻がふわふわでタレも香ばしくて…今まで食べた鰻の中で一番美味しいかも!」


「よかった。喜んでもらえて。ここの鰻はどうしても結菜ちゃんに食べてもらいたかったんだ。美味しいを共有できて嬉しい」


「はい!私も嬉しいです。美味しいを共有…確かに嬉しいですね」


 その響きがくすぐったくて心地よくて私はほのかに頬を染めてひつまぶしを堪能した。ただ一緒のご飯を食べているだけなのに、心が通じ合えていることができて、私は嬉しかった。

 幸せな気持ちで二人黙々とひつまぶしを食べる。時々顔を上げて累を見ると、累も見上げてくれてふっと微笑みあった。


「はあ。美味しかったです。ごちそうさまでした」


「よかった。ちょっと量が多かったかなって思ったけど綺麗に食べてくれて嬉しいよ。食べ物を大切にする子って好きだな」


「えっ…あの…ありがとうございます。私も美味しそうに食べる人って好きです」


「…」


 そこで累が一瞬動きが止まった。私は不思議に思って累を見ていると、わずかに目が潤んでいた。 

 私は驚いたがきっとそのことを指摘されれば累は嫌がるだろうと思ったので、私は見なかったことにした。


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