異世界マンションにも駐輪場がある。
駐輪場といっても名前に偽りありで、自転車だけではなくて移動用魔獣なども繋がれている。むしろ、移動用魔獣がメインの飼育小屋といった方が良いかもしれない。100世帯程度のマンションであるが、田舎の一軒家で育った僕にとって「異世界マンション」は未知の世界であった。
異世界マンション管理人の業務に慣れてきた僕に対して、ある魔族の母親から相談があった。魔族と言っても気高き竜神族である。
「子供をマンション近くの保育園に通わせるつもりでいたけど、保育園選考の結果、近所の希望保育園に落ちてしまい、移動用魔獣に乗って片道30分程度の距離にある保育園に子供を通わせることになってしまった」
住んでいる地域ではマンション建設の活性化にともない、子供の数が急激に増え、そのため保育園数が不足し、多くの待機児童が発生している状況であった。
「まだ通える保育園があるだけでもありがたいのよ」
竜神族の母親が嬉しさを滲ませた顔で、正直な気持ちを教えてくれた。僕は保育園選考に楽観的な考えをもっていたので、その考えを改めないといけないと思った。そう言えば、こういう保育園活動を保活という名称で呼ばれていることを思い出した。
「無事に通える保育園が見つかって良かったですね」
僕はマンション管理人として、当たり障りのない返答をした。
すると、竜神族の母親の顔色に陰りが見え始めた。
「新年度になり、子供の送迎が始まったのよ。夫婦共働きのため、お互いの勤務時間を調整して子供を移動用魔獣で保育園まで送迎する日々が続いたのよ。移動用魔獣で片道30分の保育園までの経路には急な坂道があり、普通の移動用魔獣では体力的に徐々に辛くなってきたの。そこで、負担軽減のために移動用魔獣から移動用ドラゴンの購入を検討することにしたのよ」
移動用魔獣は陸上しか移動できないけれど、移動用ドラゴンは空も飛べる。いまや移動用ドラゴンの需要は拡大の一途を辿っている。
竜神族の母親はさらに続ける。
「ここで予想外の落とし穴があったのよ。色々と調べていくと、移動用ドラゴンの重量は約100kgであることがわかったの。一方で、マンション駐輪場の設置場所は二階建て構造でり、私の世帯の駐輪場所は上段が割り当てられているの」
ここで、竜神族の母親は一呼吸おいて、管理人の僕の目をまじまじと見てくる。
「100kgの移動用ドラゴンを上段から降ろし、また持ち上げるという作業を毎日繰り返すのは過酷なの。さらに設置場所の上段に移動用ドラゴンを置くのは床面の耐荷重や寸法を考慮すると難しそうだということが明らかになってきたの」
竜神族の母親は懇願する目で僕を見つめて、こう続けた。
「だから、保育園送迎用に移動用ドラゴンを購入するためには、マンションの駐輪場の場所を上段から下段に変更しなければいけないの。その調整を管理人さんにお願いできないかしら?」
困り果てた竜神族の母親はマンション管理組合に相談することにしたが、駐輪場の下段には空きがないこと、および駐輪場に関するルールが一部未整備なため、事態は進展しなかったそうだ。そこで、管理人の僕に直談判したそうだ。
「そうですね、、、、」
僕は内心では困惑しつつ、マンション管理組合の理事達が話していたことを思い出した。現在のマンション管理組合には「マンションの一部施工不良の対応」と「修繕計画修正にともなう管理費値上げ検討」という喫緊の議題があり、住民の細かい要望に対応しきれない状態であった。なかなか積極的に「マンションの一部施工不良の対応」と「修繕計画修正にともなう管理費値上げ検討」という未解決議題に取り組みたいという理事はいないようであった、、、。
しかし、困っている住民の要望を断るわけにはいかず、僕は竜神族の母親に対して優しい口調でいった。
「わかりました。マンション駐輪場の場所を上段から下段に変更したい、という要望をマンション理事会で議論できるように取り計らってみます」
さっきまで暗い顔をしていた竜神族の母親の顔が一気に明るくなった。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
竜神族の母親は何度もお礼を述べてくれた。
何はともあれ、こうして僕は、マンション駐輪場の問題に取り組むことになった。
「マンション理事の招集を希望します」
僕は理事長に事情を説明して直談判した。
「やぁ、管理人さん。あなたが直談判なんて珍しいね。理由を教えてくれるかね?」
理事長は穏やかなエルフ族である。エルフ族は協調を好むため、理事長などの重責を担うことが多い。僕は理事長に竜神族の母親からの訴えを伝えた。
「わかりました。マンション理事会を開催しましょう」
こうして、駐輪場の再整備に向けて事態は動き出した。
マンション理事のメンバーは合計6名であり、エルフ族の理事長を筆頭に、巨人族、悪魔族、魚人族、ドワーフ族、人間族である。
マンション理事会での議論の結果、家族構成の変化から同様の要望がある世帯は他にも存在するかもしれないということになり、全世帯に駐輪場に関するアンケート調査を初めて実施することになった。
「では管理人さん、アンケート調査は調査用紙を各世帯に配布して回答頂く方式とするので、未回答世帯へのフォローや集計作業をお願いします」
マンション管理人の僕は、こういった細々とした作業に、予想以上に時間がかかるということを痛感した。
アンケート調査の結果、「マンション駐輪場の場所を上段から下段に変更したい」という要望があるのは竜神人族の世帯を含めて4世帯あることがわかった。僕は予想以上に同様の要望を抱えている世帯があることに驚いたと同時に、マンション運営はマンション管理組合が積極的に施策を展開していかなければならないと感じた。もちろんマンション管理人である僕も円滑に物事を進むように協力していく。
次に、4世帯の要望を円滑に実現するためにはどうすべきか、ということをマンション理事会で議論した。まず、駐輪場の増設を検討したが、マンション敷地に余裕がないことや消防法上の問題で難しいということがわかった。つぎに、マンション管理規約を変更して対応することを検討したが、総会の開催時期の関係から時間がかかりすぎるということになった。
「全世帯にマンション駐輪場の場所変更のお願い、という依頼を紙でしよう」
理事長が理事達の提案して、最終的に承認され、回答を待つことになった。
全世帯に「マンション駐輪場の場所変更のお願い」の紙を配布した結果、駐輪場の下段から上段に変更しても良いという回答が3世帯あり、駐輪場の下段の保有権を放棄しても良いという回答が1世帯あった。マンションの住民達の協力もあり、目標の4世帯分の駐輪場の下段を無事に確保することができた。
ある朝、竜神族の母親が管理人室によってくれて、満面の笑みで僕にお礼を述べてくれた。
「おかげで、移動用ドラゴンを購入することができ、片道30分の保育園までの送迎がとても楽になったの」
また、駐輪場の下段に変更することができた他の3世帯の方々からもお礼の言葉を頂くことができた。他の3世帯の方々も、どのように意見をマンション理事会や管理人に伝えたらよいか悩まれていたようであった。
僕としては、「ありがとう」という感謝の言葉が何よりも嬉しかった。あの時、現状に我慢せずに、状況を打破するためにマンション管理人として積極的に行動して良かったと感じた。
今回の駐輪場の話は、「マンション」という共同住宅特有の問題であったかもしれないが、我慢せずに行動することで現状を変えることができるということに気づくことができた。それと同時に、同じようなことで悩んでいる方々は、相談された方以外でも存在するかもしれないということに気づかされた。
マンション管理人としての僕の行動が一人の住民の我慢の解消に留まらずに、結果的に、他の誰かの我慢を解消することにも繋がる可能性を知ることができた。