波の壁のような一撃が襲い来る。
攻撃事態は軌道が読みやすかったため、真横へ跳躍することで躱せたが、海嘯のような衝撃波がカルムを呑み込む。瞬く間に村中を、空気の振動が行き渡っていく。
辛うじて何かが壊れた音はなかったが、そう何度も打たせていいものではない。このままではいずれ、家が倒壊してしまう。
そもそも、目の前まで迫られていることが不利である。
どうにかして押し返さなければ、村の被害は計り知れないものになるだろう。
ただ、これを押し返す。
それはあまり現実的な話ではない。
どれだけ横に回り込もうと、そこは魔獣の攻撃範囲だ。真下や背後ならば死角になりうるかもしれないが、その場合、村を防衛するうえで不利になる。なので、私は出来る限り真正面でこの魔獣を相手取らなければならない。
そして、
「騎士様!」
ここで、長鎗の彼女の舞い戻りを告げる声。
同時に、魔獣の眼が剣を持って冷やかに彼女のほうを見据える。路傍の石ころでも見るような目つき。
しかし攻撃は加えられず、ただ焼きつくような視線だけがそこにはあった。
「白髪はともかく、君もフリストレールの人間ではないね」
岩壁を貫くような目。
先刻も言っていた、あくまでこの国の者へ向けられる敵意。魔獣であるにも関わらず、攻撃する相手を選別しているようだ。まるで、白髪である自分だけは頑なに攻撃しなかった王のような。
……いいや、その結びつけは短絡的すぎる。
直近であった出来事であるため、どうしても結び付ける選択肢として上がりやすくなっているだけだ。
そんな特異な現象、二度も連続してあるわけがない。
「フリストレールの人間でなければ、なんだと言うのですか」
鋭利で容赦のない視線。
圧倒的なその巨体に対し、全く怯まずに厳しい眼差しで彼女は答えた。
「手は出さないと決めているんだ。だから巻き添えにならないよう速やかに去ってくれないかな、滾ってしまう前にね」
なるほど、たしかにその理由ならば、私があのとき手を出されなかったのに納得できる。この白髪は、フリストレールの人間ではないという判断材料には、うってつけだ。
しかしそれも、魔獣相手にどこまで信用出来るのか。
所詮は警告程度でしかなく、動かないのならすぐに排除する、ということも考えられる。
「去る? ここをですか? ありえません、カルムは私の第二の故郷。それを見捨てるなんて、死んだほうがマシというもの」
言って、強い凝視を白羽を合わせたように睨み返す。
途端に握っていた長槍が朱く赫奕し、武具を包む焔は槍を模り、彼女の背丈の何倍にもなろうかという大きさにまで変化する。あの鍛冶師により打たれた武器。先刻鍛冶師が言っていたことを鑑みるに、恐らくは炎を扱う魔獣の一部を組み込んだ特別製。
命を賭すという行為に、微塵の迷いもない力強い言葉と意思。だからこそ、彼女は村の集会においても信用されているのだろう。
「素晴らしい、この村にはいい鍛冶師がいるんだね。その業には敬意を表しよう」
口角が吊り上がる。
「でもそんな大きさの武器、ちゃんと扱えるのかな」
意地の悪そうな薄ら笑い。
それに、彼女は穂先を魔獣へ向けることで応える。
「もちろん、そのように努力をしてきましたから」
巨大な魔獣に対し、彼女は本当に護りきれると信じて自分を疑っていない。確信しているのだ、己にはその力があると。でなければ、眼前の圧倒的な存在を前にそんな言葉は投げられない。
私は覚悟というものを持ったことがない。
やれと言われたことをやる、それだけだ。出来ることをやる。だが目の前の魔獣は、何の意思も持たずに相手取れる存在ではない。
覚悟、というものを私は理解出来ていないのかもしれない。
だが、
「リーデ様。私もいます。防衛は、お任せくださいませ」
言葉に出すことによって、その使命感を確かなものにしていく。そうでなければ、私は目の前の巨大な存在に対して、騎士という責務だけでは立ち向かえない。
「えぇ、頼りにしていますよ。騎士様」
花が咲いたように、彼女は微笑んで見せた。
命など疾うに捨てられる。ただそれは、長鎗の彼女のように村のためではなく、私の場合は単に執着がないだけ。
しかし村を護るため、歌うたいへの贖罪を果たすため。私は自分の命をそう使うようになった。それもまた命を賭す、に分類されると思う。だが彼女のそれと私とでは、度合いが違う。
私はまだ、そこまでの意志を持ち合わせてはいない。
「そう、それは困ったな」
鳥が歌うような丸い声音で、狼が言う。
「蒼眼の子はともかく、同胞を傷つけるわけにはいかないからね」
言って、魔獣はその大口を開けた。
注意を向ける。
武具を構えたのは、長鎗の彼女とほぼ同時だった。何が来てもいいように、互いに携えるものを振りかぶる。
展開された口の中で、赤い球体が、光り輝きながら形成されていく。それを見て、私は半蛇と対峙したときに放ったあの赫奕を思い出す。
あのときはただ眩しかっただけで何も起こらなかったが、しかし。この場面で放つ魔法が意味のないものとはとても思えなかった。
長鎗の彼女の前に立ち塞がるように移動しながら、一つ、疑問に思う。
蒼い眼と呼ばれたことはいい。
恐らくは私のことだろう。
だが、彼女のことを同胞と呼んだ。その意味が分からない。彼女に魔獣の知り合いがいるのか、それとも。眼前の者もまた特殊な魔獣で、その出身地に縁があるのか。カタツムリの魔獣と縁のあった私のように。
「来ますよ、騎士様」
声に反応して、意識を脳から視線へと移す。
赤い、小さい太陽とも呼べるそれは、開かれた大口いっぱいに輝きを放ちながら展開されていた。半蛇は全身から放出する形式だったが、狼の魔獣はどうだろうか。
ただ、殺したくないと言う言葉を信用するならば、その魔法は恐らく私に放たれるだろう。
「では、なるべくなら再会はないように」
果たして、赤い赫奕はまるで光線の如く放たれた。