叩き伏せた巨狼が、弱々しく鳴き声を上げる。
しかし、怯んでいた二匹が既に体制を立て直しており、いま一度私へ飛び掛からんとしていた。
すかさず、後方へ飛び退く。
当然のように、二匹の巨狼は反応して追って来る。だがしかし、うち一匹に立ち塞がったのは、今まで背景に溶け込むかのように存在感を消していた、雪蝶の鞘であった。
地面に突き刺し剣を引き抜いてから、中空に漂っていた粉雪は、私がその中を通過したことで再び鞘を形づくる。獣はそこへ追突するに至ったのだ。
やってくる者が一匹ずつならば、何とか相手取れよう。
口を開き飛び込んでくる巨狼。そこへ、腰を回転させた。左手の拳を、巨狼の鼻先めがけて振り抜いていく。
狼の鼻先は鋭敏なため、そこへ一撃を加えれば害獣であろうと効果的なのは前回の経験で知っている。
前足で鼻を押さえ悶える巨狼。
それを踏み台にし、身を跳ねさせる。
跳躍先は巨狼の頭蓋に突き刺さった大剣。
しかしそこに、大口を開けた狼が待ち受ける。恐らくは地に叩きつけた個体だろう。
圧迫感が、私の胃を捻り上げて鈍痛を与える。
そう易々と、この手に得物が戻るのを許してはくれないのかと。既に二匹の仲間を屠っているこの剣に、脅威を感じている。警戒ゆえの大剣への張り付き。狼という動物が賢い証拠だ。
加えて大剣は巨狼の頭を貫いて地面に突き刺さっている。伸ばした手が届いたとて、一瞬で引き抜くのは至難の業だろう。
なので、着地点は唯一の攻撃圏外である頭部。迫りくる牙を躱し、頭蓋へつま先を置く。
生まれる一瞬の間。
その隙に、私は剣の柄を握り、真上への跳躍を以てそれを思いっきり引き抜いた。
そして即座に反応される、その前に。
頭部目掛けて大剣を打ち下ろした。反撃させる間すら与えず、その巨狼は絶命に至る。
同時にこの手には大剣が戻ってきた。
鞘に激突し、悶えていた一匹の首を即座に跳ねると、そのままもう一匹へと剣を投擲する。剣は背中から心臓を貫く。断末魔すら上げず、二匹ともどうやら即死らしい。
「いいですね、さすが騎士様です」
すぐ横から、声がした。
その語り掛けによって、私の脳内から一端除害されていた彼女の存在が風のように浮かぶ。
声があったということは、いまの波状攻撃を防ぎ切ったということなのだろうが、すっかり失念していた。
そういえば、長鎗の彼女のほうはどうなったのだろう、と。まだ第一波とはいえ少しだけ、彼女のほうへ一瞥をやる。
累々と死体が横たわっていた。
亡骸の数は七つ。そのすべてが手にした槍によって一突きされており、それなのに、彼女自身は一滴の血液も付着させていない。
たしかに、身体を両断している私とは違い、突きによる一点攻撃は、出血も少なくなる。ただそれはつまり、全ての巨狼を刺突のみで斃したということだ。
横薙ぎも、振り下ろしもなく。
さらに引き抜く際の技術。
余計な力が入れば血肉を傷つけ血が噴き出すだろう。
「見事です」
私は噓偽りなく感投詞を捧呈すると共に、驚異に近い気持ちを感じた。警戒体勢の際、門番に彼女が選定される理由は自警団の中での実力によるものだ。
今までそれを見たことはなかったが、なるほど。
「ありがとうございます。ですが」
「はい、まだ終わったわけではありません」
草原にはまだ何匹も身を潜め、じっと闇の中でこちらを窺っている気配がある。巨体によりその姿は見え隠れしているが、夜闇によって潜んでいるといって差し支えないだろう。
そしてそれは、次第に気配から見える領分へと移行した。
数にして先ほどの第一波と同じか、少し多い程度か。
仲間が斃され憎いはずだが、冷静にこちらを睨んできているのは通常の狼とは一線を画すか。視線は絡みついたように、中空でじっと交錯したまま挑み合っていた。
わずかな空気のずれを感じたなら、即座に殺してやるぞといった風の突き刺す眼差し。
そのまま、一滴、また一滴と時間がしたたっていく。
だがしかし。その均衡を崩したのは、建物が揺れ傾くような地響きであった。