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episode11 「あなたが斃していれば」

「それで、のこのこ帰ってきたというわけですか」


 顎を上へ上げ、足を組んだ相変わらずの尊大な態度。まるでこの場を支配しなくては気が済まない、といった振る舞いだ。いつかの誰かと面影が被る。

 深夜と呼んでいい時刻。拠点へ舞い戻った私は、大尉への報告をと思い立っていた兵士に取り次ぎを願い出た。当然のようにわざとらしく無視する兵士を見咎めると、先刻と同じく直接出向くことにする。

 なんとか相対してもらった私は、魔獣との事を報告した。

 休眠に入ろうとしていたらしいが、指揮官は報告を聞き、指示を出すのが仕事である。戦地の拠点でそんなことは関係ない。

 魔獣の攻撃。

 そしてその魔法。

 明日また来るよう言われたこと。

 その一切を報告すると、馬鹿にするように鼻で笑われる。私は貧民街をうろついている、みずほらしい野犬であるかのように観察され、眺められているのを感じた。真面目に報告をするその様を、嘲るように唇を歪ませている。

 その冷笑には、色んな意味が込められているに違いない。

 ただ、そんなことを推し量る必要はない。いま私がすべきなのは、明日の夜を待つ。それだけだ。


「あの動かなかった魔獣が攻撃してきたと? それにいまあった報告、信用できません」


 初めから信用される気などない。私からの報告など、彼らにとってはそれこそ取引を持ち掛ける魔獣のほうがまだもう少し信頼する気があるだろう。


「それは、現地に亡骸があります。確認頂ければ、魔獣が能力を行使した証拠になるかと」


 干からびてしまった二人は、見えるところに置いておくのはどうかと思い移動させた。とはいえ流石に水溜まりに沈めるのは忍びなく、特に野草の深い地点に置くことにした。埋葬出来ないことが悔やまれるが、いずれ自然が地に還してくれるだろう。

 ただ、指揮官は腕を組みふんぞり返る姿勢で私を睨む。


「なぜそのような手間を? あなたが斃していればそのような煩わしいことはしないで済んだはず」


 脅すような口調で、苛々したように腰掛を指でこつこつと叩く。


「……それは」


 攻撃する必要がなくなった旨を再び説明しようとして、やめる。指揮官が求めている答えは、きっとそれではない。

 それは彼の傲慢な面構えからも見て取れた。


「申し訳ありません。私の力不足です」


 得意気な、優越感が滲んだ表情。

 屈辱的、などとは特に思わない。力量が足りなかったのは事実でもあったからだ。あの驚異的な存在を前に、対処する術が私にはなかった。

 役立たず。

 嘘吐き。

 そう言いながら、周りの皆が冷笑を含んで嘲っている。私が去ったら、一斉に哄笑しそうな雰囲気だ。

 兵士からすれば、たしかに朝一番に帰投出来るはずが最短で明後日となってしまったのだ。やれと言われたことすら出来ない、そんな無能に見えるだろう。

 実際、私はあの場では見逃されたに過ぎない。戦意のない者によって。


「大体、言い訳でしょう。人を干からびさせる魔法に、明日の約束なんて。魔獣がそんなことをするわけがありません。大方何も出来ず逃げ帰って来たのでしょう」


 せせら笑う。

 狐のような狡猾さで。

 たしかに。

 違いない。

 そんな、周囲の同調する声。

 この場で私に言い返す力はない。彼らが魔獣は動かないということ確信し、私が何もしていないと信じている限りは。信じたいことだけを、自分の中に受け入れているのだ。

 嘲笑をシャットアウトする。

 どのみち、これから明日の夜まで。

 私に出来ることは何もない。

 報告はした。

 なら、私がここに留まる必要性はないはずだ。

 思って、私は去る旨の言葉を伝え、踵を返した。だが、それは「お待ちください」という指揮官の言葉により、止められる。あの場所に戻ろうとする私の前に、なんとなくおぼろげな気味悪い雲が覆いかかろうとしている気がした。

 仕方なく答えて、振り向く。


「湿原は寒いですから、拠点の火で温まるのが良いでしょう」


 絹の肌触りのような、静かで朗らかな語り口。しかしその顔には、かすかな冷笑に似た奇妙な笑みが唇の端に浮かんでいる。なにか良くない事が持ち上がろうとしている、そんな予感。

 自分たちの慰み者になれ、頭の中にそんな囁き声が聞こえてくる。


「お気遣い感謝致します。ですが、寒さには慣れておりますゆえ」


 確かに湿地帯なだけに少し肌寒いかもしれないが、ここに留まっても良い事などあるわけがない。何をされるか分かったものではないため、さっさと去るほうがマシというもの。

 対して、指揮官は「そうですか」と言いながら、おもむろに片腕を上げた。

 瞬間。

 頭上から冷水が降り注いで、私の一切がずぶ濡れになった。突然のことだったため、全身の血が冷え切り心臓が波のような動悸を打つ。

 今までも水を浴びせられたことは何度もあったが、流石に拠点でこのようなことをされるのは初めてだった。わざわざ戦地でコンディションが落ちることしても、メリットがないからだ。

 さらにここは低温地帯だ。

 肩が跳ね上がる。声はぎりぎりのところで漏れずに済んだが、途端に身を切るような寒さが全身を襲う。髪をとおして冷たさがしんしんと頭の中にしみこみ、やがて痺れるような頭痛へと変わっていく。

 吐く息がはっきり見えるほど、凍てついている。


「申し訳ありません、部下の手元が狂ってしまったみたいで。後できつく言っておきます」


 わざとらしい、芝居っ気しかない言い方。

 答えるのも億劫になる。

 一刻も早く、この場を離れなくては。せめて、魔獣が常駐するあの地点まで。思って、今度こそ私は拠点を後にした。

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