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episode9 「何だこの有様は」

 対する悲鳴すらなく、兵士はみるみるうちに干からびていき、崩れ落ちた。野草は木の葉となって散らばり、そのまま高く舞い上がって、小鳥の群れみたいに遠く飛び散ってしまう。

 触手は初めから囮で、本命の攻撃は足元にあったのだ。

 魔獣に裏をかかれたという事実が雷となって脳髄に突き刺さり、思考が落ちて、彼がいた空間を見つめるだけとなってしまった。あれではもう助かるまい。そして冷やかな悔恨が泉のように湧き出す。

 自分は対処の仕方を間違えたのだろうか、と。

 だが次の瞬間には、悔やみは焦燥へ変わった。

 触手はまだ対処が出来る。だがしかし、兵士を乾物とした能力には対抗する術がない。予兆すらなく、声を上げることなく葉に纏わり付かれたのだ、捕捉されれば即死と考えたほうがいい。

 問題は対処のしようがないことだ。

 現段階では、立ち止まらないということくらいしか思いつかない。触手を同時に相手取りながら。

 ただそれも、有効であるか分からない。

 だがこうして敵対状態になってしまった以上、否が応でも対抗するしかない。攻撃するには湿原に入る他なく、それは獣の口内に自ら入っていく行為である。

 私が射手ならば問題なかったが、生憎携える武器は大剣。もしここに弓矢があったところで、私には扱えない。

 そこで取った行動は、なるべく接地している時間を減らすことだった。カエルのように飛び跳ねながら。できるだけ跳躍するようにして進み、野草に触れないよう接近していく。

 しかし、この方法は欠陥だらけだ。

 先刻のように野草が伸びた場合。

 そして接地のタイミングを狙われた場合。私を捕捉することは容易い。それでも、今はこれ以外方法が思いつかない。

 全身の血が冷え切って動悸が高まるのを感じながら、湿地帯を跳ねていく。

 幸いなことに、魔獣は何も攻撃を加えてはこなかった。それどころか、触手を引っ込めて、頸部分へ埋め込み帰していく。

 様子見、ということだろうか。

 着地するたびに、息が詰まりそうになる。いつ湿原が牙を剥くのかと。

 魔獣は動かない。

 ただじっと、私を見据えている。

 その様は意味不明で、毛という毛が強直して逆立つような気味悪さすら伝わってきた。深い底から、眼だけがこちらを見ているような不気味さ。全てを見透かそうとしてくる、虚ろな紅玉。その眼差しに、背中を氷柱で撫でられているような悪漢が走る。

 斬る。

 それだけに全神経を集中させることで、その恐ろしさに何とか抗う。

 そうして、目と鼻の先というところまで接近に成功すると、頭部目掛けて大剣を振り下ろした。手応えとしては柔らかく、人を寸断するより抵抗はない。

 縦に切り裂いた頭を見咎めながら、湿原へ着地する。警戒しながら、攻め入ったとき同じようにしてすぐさま後退していく。

 なんら抵抗もされず頭部に一撃を与えられはしたが、まさかこれで終わりというわけはあるまい。

 今は動いていない、というだけだ。

 木道に降り立つ。

 先ほどと同じ板かどうかは分からない。

 魔獣を見ると、果たして頭部は元通りに修復されていた。やはり頭部だろうと切れ目を入れた程度では、あの巨体はびくともしないか。

 ただ、跡形もなく修復してしまうとは失墜感を覚える。もし真っ二つしても再生されてしまったらと想像すると、暗然とした心にもなるだろう。

 それこそ、細切れするほどに斬らなければ。

 思って、しゃがみ込んでぐっとふくらはぎに力を込める。


「なんだこれは」


 しかし跳躍するその前に、思いがけない声があった。

 はっと思わず目を見開く。この場に誰か来るなど、思ってもいなかったからだ。

声があった方へ視線を向ける。

 やって来たのは、私の到着の少し後に去って行ったあの兵士であった。視線はずっと前に向いていたため、その到来に気付かなかったのだ。

 助太刀、というわけではないだろう。


「どうして、ここへ」


 問う。

 害虫でも見るかのような目つき。ただ、聞かないわけにはいかないだろう。

 答える代わりに、しゃがみ込んだ私の頭を踏みつける足があった。


「あいつが帰ってこないから様子を見に来たら、なんだこの有様は」


 そこから何かを抉り出すような眼つきで、私を見下す。


「申し訳ありません」


 口ごたえするな、という意味の舌打ち。


「それになんだ、その干からびた死体は。もしや」



「其方」



 剃刀で物を断ち切るように、断句を投げ入れる。

 喋りに入り込む機会を狙っていたかのような口の出し方で、今回は既に触手を生やしていた。

 ただもう一人とは違い、兵士はたじろぎもせず苛々とした風に「あ?」と返す。

 途端。

 兵士の足元が緑色に赫奕して、そこからは私が反応すら出来ないほどに一瞬だった。

 刹那に全身を木の葉が覆ったかと思えば、先刻と同じように人が干からびていく。ただ一つ違うのは、巻き付いていく様子を視認出来たかどうかだけ。

 「其方」

 その言葉に応じた途端に、瞬く間に水分を引き抜かれて死に体となってしまった。魔獣に何か行動した素振りはない。兵士が呼びかけに答えてからの間隔を考えるに、問いかけへの応じに魔法の引き金が存在している可能性がある。

 見出すために、二人の兵士が犠牲となった。

 ここは戦場だ。死が発生してしまうのは仕方がない。だが、それにより悲しみ、恨みが発生することを学んだ。懺悔の門が堅く閉ざされた死体がただ二つ、私の目の前に横たわる者を見やられるばかりだ。

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