対する悲鳴すらなく、兵士はみるみるうちに干からびていき、崩れ落ちた。野草は木の葉となって散らばり、そのまま高く舞い上がって、小鳥の群れみたいに遠く飛び散ってしまう。
触手は初めから囮で、本命の攻撃は足元にあったのだ。
魔獣に裏をかかれたという事実が雷となって脳髄に突き刺さり、思考が落ちて、彼がいた空間を見つめるだけとなってしまった。あれではもう助かるまい。そして冷やかな悔恨が泉のように湧き出す。
自分は対処の仕方を間違えたのだろうか、と。
だが次の瞬間には、悔やみは焦燥へ変わった。
触手はまだ対処が出来る。だがしかし、兵士を乾物とした能力には対抗する術がない。予兆すらなく、声を上げることなく葉に纏わり付かれたのだ、捕捉されれば即死と考えたほうがいい。
問題は対処のしようがないことだ。
現段階では、立ち止まらないということくらいしか思いつかない。触手を同時に相手取りながら。
ただそれも、有効であるか分からない。
だがこうして敵対状態になってしまった以上、否が応でも対抗するしかない。攻撃するには湿原に入る他なく、それは獣の口内に自ら入っていく行為である。
私が射手ならば問題なかったが、生憎携える武器は大剣。もしここに弓矢があったところで、私には扱えない。
そこで取った行動は、なるべく接地している時間を減らすことだった。カエルのように飛び跳ねながら。できるだけ跳躍するようにして進み、野草に触れないよう接近していく。
しかし、この方法は欠陥だらけだ。
先刻のように野草が伸びた場合。
そして接地のタイミングを狙われた場合。私を捕捉することは容易い。それでも、今はこれ以外方法が思いつかない。
全身の血が冷え切って動悸が高まるのを感じながら、湿地帯を跳ねていく。
幸いなことに、魔獣は何も攻撃を加えてはこなかった。それどころか、触手を引っ込めて、頸部分へ埋め込み帰していく。
様子見、ということだろうか。
着地するたびに、息が詰まりそうになる。いつ湿原が牙を剥くのかと。
魔獣は動かない。
ただじっと、私を見据えている。
その様は意味不明で、毛という毛が強直して逆立つような気味悪さすら伝わってきた。深い底から、眼だけがこちらを見ているような不気味さ。全てを見透かそうとしてくる、虚ろな紅玉。その眼差しに、背中を氷柱で撫でられているような悪漢が走る。
斬る。
それだけに全神経を集中させることで、その恐ろしさに何とか抗う。
そうして、目と鼻の先というところまで接近に成功すると、頭部目掛けて大剣を振り下ろした。手応えとしては柔らかく、人を寸断するより抵抗はない。
縦に切り裂いた頭を見咎めながら、湿原へ着地する。警戒しながら、攻め入ったとき同じようにしてすぐさま後退していく。
なんら抵抗もされず頭部に一撃を与えられはしたが、まさかこれで終わりというわけはあるまい。
今は動いていない、というだけだ。
木道に降り立つ。
先ほどと同じ板かどうかは分からない。
魔獣を見ると、果たして頭部は元通りに修復されていた。やはり頭部だろうと切れ目を入れた程度では、あの巨体はびくともしないか。
ただ、跡形もなく修復してしまうとは失墜感を覚える。もし真っ二つしても再生されてしまったらと想像すると、暗然とした心にもなるだろう。
それこそ、細切れするほどに斬らなければ。
思って、しゃがみ込んでぐっとふくらはぎに力を込める。
「なんだこれは」
しかし跳躍するその前に、思いがけない声があった。
はっと思わず目を見開く。この場に誰か来るなど、思ってもいなかったからだ。
声があった方へ視線を向ける。
やって来たのは、私の到着の少し後に去って行ったあの兵士であった。視線はずっと前に向いていたため、その到来に気付かなかったのだ。
助太刀、というわけではないだろう。
「どうして、ここへ」
問う。
害虫でも見るかのような目つき。ただ、聞かないわけにはいかないだろう。
答える代わりに、しゃがみ込んだ私の頭を踏みつける足があった。
「あいつが帰ってこないから様子を見に来たら、なんだこの有様は」
そこから何かを抉り出すような眼つきで、私を見下す。
「申し訳ありません」
口ごたえするな、という意味の舌打ち。
「それになんだ、その干からびた死体は。もしや」
「其方」
剃刀で物を断ち切るように、断句を投げ入れる。
喋りに入り込む機会を狙っていたかのような口の出し方で、今回は既に触手を生やしていた。
ただもう一人とは違い、兵士はたじろぎもせず苛々とした風に「あ?」と返す。
途端。
兵士の足元が緑色に赫奕して、そこからは私が反応すら出来ないほどに一瞬だった。
刹那に全身を木の葉が覆ったかと思えば、先刻と同じように人が干からびていく。ただ一つ違うのは、巻き付いていく様子を視認出来たかどうかだけ。
「其方」
その言葉に応じた途端に、瞬く間に水分を引き抜かれて死に体となってしまった。魔獣に何か行動した素振りはない。兵士が呼びかけに答えてからの間隔を考えるに、問いかけへの応じに魔法の引き金が存在している可能性がある。
見出すために、二人の兵士が犠牲となった。
ここは戦場だ。死が発生してしまうのは仕方がない。だが、それにより悲しみ、恨みが発生することを学んだ。懺悔の門が堅く閉ざされた死体がただ二つ、私の目の前に横たわる者を見やられるばかりだ。