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episode5 「ずっと、そこにいたぞ」

 敷いてある木道を歩いていく。固定しているわけではないため、木の板は翼を収めた水鳥のように、見えない程に身をゆすって、浮かんでいた。

 巨大な魔獣を相手取るには、いささか不安が残る足場ではある。どれほど巨大化も分からないにも関わらず、不安定でそこまで大きいわけでもない。

 攻撃は横に移動して躱すしかないだろう。

 また、どんな形状かも教えられていない。魔法を扱う可能性があるため完全にではないにしろ、姿形が分かっていれば少なくとも、どういう物理攻撃をしてくるかは推測出来た。

 ただ、ないものは仕方がない。

 今回は意図的にだが、戦場で情報など与えられないことのほうが多い。特に私は。

 なので、自分で収集する他ない。

 与えられた情報を整理する。

 まず、この湿原という場所。

 湿原を棲みかにする者は多い。過去に行軍した際に見かけたのは、植物は当然、ウサギやキツネ、それに鳥類といったところか。

 指揮官が動かないと言っていたため、好き好んでこの地にいる可能性は高い。もちろん魔獣というのは未知の存在のため、他に理由がある場合もあるだろう。

 また、こうして兵団が陣取っていられるのは、魔獣には敵意がないのだと想定出来る。少なくとも今は。狼の魔獣のときのように見逃されているのかもしれないし、半蛇の魔獣は領域に侵入しなければ無害であった。

 しかし、今回に限っては討伐しなければならない。巨体、それだけで人間の私には途方もなさを感じさせる。同じような存在である狼でさえ、斃す構想が浮かばないというのに。

 湿っぽい風が吹く。

 水気の多い湿気が、身体に圧し掛かるように籠る。

ここは戦闘するには不向きだ。蒸気のような空気によって視覚的には薄い膜が張られ、声も水分を含んだように少し歪んで聞こえる。加えて停留していることを考えると、魔獣にとって居心地の良い場所なのだろう。

 全てが不利に作用している。

 それでもどうにかしなければならない。


 やがて転々と配置された兵士が見えた。

 場所が場所のため、フルプレートではない。ただそれでも、十分に蒸す環境だろうが。

兵士たちはこちらを見据えるなり、顔を顰めて嘲笑った。そして前を通り過ぎようとする私を足蹴にしていく。あわや木道から落ちようというところ。彼らからしたら、落ちたほうが面白いのであろうが。

 それをなんとか持ち堪えながら通り過ぎる。

 だが、一人の兵士がそれを面白く思わなかったのか、右手の拳を、私の頬目掛けて振り抜いた。

 痛みはない。

 ただその殴打によりよろめいてしまい、木道の外側である湿原へと落ちてしまった。完全に無視を決め込んでいたため、前方しか見据えておらず、突然に景色が転がる。

 幸い落ちた先は池ではなかったが、背の高い草に泥。濡れたスポンジのように弾力のある土の上だった。

 悪意の籠った冷笑が浮かぶ。

 不純な笑い声を霧のような沈黙で無視すると、葉から水滴が一粒、頬に落ちた。野草が、淡い緑色をした炎めいて揺れる。

 右足をゆっくり伸ばして立ち上がった。私の周囲だけで微かに空気が動く。湿気を含んだ、青っぽい匂い。

 白い外套が泥で汚れている。私自身が泥だらけになることは別にいい。だがしかし、この外套は長鎗の彼女から頂いたものだ。

 それをどう詫びようか。

 払って落ちる程度の汚れではないことが、とても忍びない。

 木道に戻ろうと足を掛けると、兵士が自分の頬を指差しながらひからびた笑いを浮かべていた。

 恐らく私の頬に泥が付いていることを、嘲るように高笑いしているのだろう。

 まともな反応はしない。

 反応したところで、つけあがるだけだろう。


「白髪のくせに洒落た外套着けやがって。白キツネかよ」


 独り言とも思える口調で、茶化すように呟く。

 その白髪である私に、彼女はこの外套を譲ってくれたのだ。借りた流れではあるが、国から賜った鎧よりも、よっぽど私の中では価値がある。

 反論の言葉を押さえ、代わりに外套の袖を握りしめた。


 そうして、笑い声を自分とは関わりのない木か石であるかのように冷然と無視していく。そして、やがて自分の前に兵士が二人立ちはだかった。


「随分と遅い到着だな、騎士様」


 わざとらしい、毒のある鋭い言葉。


「申し訳ありません」

「勘違いするなよ。お前が偉いんじゃない、騎士って地位が偉いんだ」


 脅すような、尊大な口調。


「肝に銘じます」


 まともに返答する気すら起きず、定型文を投げ返す。そもそも地位の高さすら実感出来ていないというのに。

 当の本人は、私が従順な態度で応じたからか、顎を上へ上げて胸を反らすようにして、意味もなく手にした槍の石突で足場を叩く。

 もう一人はただひたすらに唇を閉じたままだ。

 穢れたものでも見るような目で睨み、恐らくは会話をしたくないのだろう。


「はっ、どうだか。まあいい。魔獣はすぐそこだ」


 すぐそこと言われて、疑問がひらっと舞う。


「恐れ入りますが、魔獣は巨大と聞いています」


 だが周囲を見るに、巨大どころか今まで見てきたサイズの魔獣すら存在を確認出来ない。

 いましも胸に込み上げてきた疑問を口にする。

 対して、最早当然とも言えるように兵士は眉を顰めて、私の口ごたえに不快感を示した。


「あぁ、見ろ」


 言って、その得物で湿原を見るよう指し示す。

 槍の穂先を目で追うと、そこには広範囲に渡って、何か上から押しつぶされた形跡のある野草があった。

 踏み入った形跡と見るには不自然で、湿原に入ったのなら兵が歩いた様に草は倒れていくはずだ。しかし、草花たちは一気に、巨大な何かに手折られている。

 ……まさか。


「さっきからずっと、そこにいたぞ」

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