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episode4 「動かないのです」

 平原を抜け、林を出て一枚岩を越える。

 南へ、ただ南へ。

 隣国との国境もぎりぎりという所。

 出立したのは朝だったはずだが、先立った兵団を見つけた頃には陽が傾き始めていた。どうやら、念のため持ってきた簡易食糧は役に立ちそうだ。

 そこは辺りに点々と浅い池が存在する湿原。見渡した限りでは、カルムの村よりは小さいといったところか。

 ただ討伐の拠点とするには適さない地。戦闘する観点からすれば、足元が不安定なあまり好ましくない場所だった。そこへ大きな一枚板を大量に敷き詰めることで、無理矢理に平地としている。兵団の規模としては十数人といったところで、池を避けながら広く拠点として展開していた。

 ただ地を木の板にするということは、焚火を展開出来ないということでもある。フリストレールの湿原は冷温帯であり、比較的気温の低い場所だ。暖を取れないというのは、兵のコンディションに直結するだろう。

 見渡すと、肝心の魔獣が見当たらない。

 そこでフードを被り直し、近くの兵士に声を掛けた。


「申し訳ありません、騎士のエメ・アヴィアージュと申します。魔獣が現れたとのことで……」


 言い切る前に、殴られる。

 慣れたものだ。


「遅いんだよ、亡霊が」


 侮蔑をきわめた表情を二つの目に集めて、私の顔を睨みつけた。さらに兵士の声に反応してか、近くにいた兵士たちも集ってくる。

 亡霊?

 もう夜だぜ、随分と重役出勤だな。

 白髪のくせに

 集まるやいなや、そんな声。

 これでも急ぎ足で来たつもりなのだが、彼らには不満らしい。頬に吹きかけられた唾を拭いながら、思ってもいない謝罪を伝える。すると満足げな顔で芳香を嗅ぐように鼻孔を広げながら、まずはここの指揮官と会うようにと言われた。

 充足感を得られたのだろう。

 鼻の中に笑いを籠らせながら、そうして兵士たちは散り散りとなっていく。わざわざ作業を中断してまで自分を嘲りにくるとは、よほど余裕なのだろう。

 それでも、呼ばれたからには行かねばならない。

 大尉と呼ばれるその男のもとへ。

 自分こそがここのトップであると誇示するように、その者は拠点で一人だけ立派な造りの椅子に座っていた。テントの下で周りに何人かの兵士を侍らせている。

 テントの近くにいた兵士に取り次ぐよう頼むと、黙殺された。聞こえなかったはずはないのに、そのままどこかへ行ってしまう。その後、何人かの兵士にも声をかけたが同じように透明人間のような扱いであった。

 仕方なく、直接挨拶へ出向く。


「仲介もなしに無礼な奴だな」


 テントの前にいた兵士に声を掛けると、そう返された。ついでのように顔を殴られたわけだが、それは問題ない。その仲介をしてもらえない有様なのだが、ともかくテントの目の前で事を起こしたおかげで、指揮官と見られる男がこちらへ気が付いた。


「何事か」


 真っ白のワイシャツにズボン、それに黒い外套という戦地に立つには少し不釣り合いな装いをしたその男。伸びた背筋が、生真面目そうな雰囲気を漂わせる。


「申し訳ありません大尉。この者が」


 睨めつけるように、そう私を一瞥した。


「お初にお目にかかります。騎士のエメ・アヴィアージュと申します」


 軽く頭を下げる。


「なるほど、あなたが。それは部下が無礼を」


 丁寧な物腰。

 しっかりとした印象で、如才ない対応だ。ただひとつ、舌を打ったことを除けば。

 その慇懃な口調とは裏腹に、彼も他の兵士たちと同様に、私を迎え入れてくれるという態度ではないらしい。

 ……別に構わない。

 手早く脅威を取り除き、そしてカルムへ帰還する。

 それだけだ。

 指揮官が自分の前へ来るよう促すためその通りにすると、意外なことに椅子が出てきた。簡素な、釘が剝き出しになっているような木造の椅子だが。

 ただ自分は鎧姿だ。それは指揮官も分かっているはずだが、それを承知で出してきたということは、何か仕掛けがあるのだろうか。まさか本当に、ただのボロボロな椅子ということはあるまい。

 試しに手の甲で何度か叩いてみる。

 特に変わったところはない。

 杞憂か。

 思って、腰を下ろす。

 途端。今まで形を保っていた木造の椅子が、砂山を壊すようにぼろぼろと崩れてしまった。どうやら見かけよりもずっと腐っていたらしい。それにより私は支えを失って、尻もちをついてしまった。

 同時に湧き起る、私の様を嘲るような高笑い。


「はは、すいません。どうやら椅子が腐っていたようで」


 自分の描いた光景が現実となり、指揮官が唇に薄い嗤いを浮かべた。


「いえ、こちらこそ壊してしまい申し訳ありません」


 言って、立ち上がる。

 正直なところ、腐っている椅子に座らされるのは、これが初めてではない。今回は完全に崩壊してしまった分、まだ良心的とさえ言える。むしろ中途半端に形を残して壊れたほうが、かえって危険だ。

 ただ鎧を身に着けているため、無傷だったのは幸いだろう。


「お怪我はありませんか」


 指揮官が勝ち誇ったような微笑をつくってみせながら、足を組む。わざと聞いてるのだ。どうせ怪我をしていたとして、手当する気など微塵もないだろうに。


「いいえ、平気です」


 外套に付いた木片を払い落しながら、男を見据える。


「では改めて」


 言って、指揮官は椅子の背もたれに目一杯体重を掛けた。


「指揮官のアルクです。階級は大尉」

「騎士のアヴィアージュです。本日は」


 建前の挨拶を言おうとして、しかしそれは手のひらを突き出されることで中断させられた。


「今回は騎士様に全てお任せします。我々は戦線を離脱した騎士様に休息場所を提供する、それだけです」


 指揮官は足を組み直し、冷やかな意地の悪い笑みを浮かべた。


「……それは」


 言葉が喉まで出掛かって、静止する。

 戦闘を押し付けられたと言っていいだろう。自分たちは見ているだけで、実際討伐するのはお前だと言っているのだ。

 さらに、恐らくは監視の意味も含まれている。

 自分が逃げ出さないよう。

 拠点での休息はないと言っていいだろう。

 戦闘はしないと言いつつ必要以上に兵士が駐在しているのは、つまりそういう意味なのだと。指揮官の微笑にはそんな悪意が内包されていた。


「了解しました」


 答えると、指揮官の口角が吊り上がった。


「ありがたい。魔獣への道は作っておきました、ほら」


 言いながら、顎をしゃくるようにして私の左側を指し示す。その指示につられて視線を移すと、そこには道として設置された木の板が何枚も縦に並べられている。そしてそれは、湿原の奥の方へと続いていた。


「あれを渡っていくと、魔獣のもとにたどり着くのですか」


 問うと、指揮官は眉を顰めながら舌を打った。

 決して不機嫌を知らせるために鳴らしたわけではない。お前からは何も聞く権利はない、そんな意味の舌打ちだ。


「動かないのです、あの魔獣は。故に、早くどうにかして頂きたい」


 それきり、指揮官が私へ視線を戻すことはなかった。

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