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episode1 「やっぱり信用されてないんだな」

「兵、ですか」


 彼が言葉に詰まる、という意味では、その兵士に覚えがある。もちろん朝早くだということもあるだろうが、どちらかというと相手が相手だからだろう。巨躯の彼が私に遠慮するとなると、恐らくは以前、私の目の前で給与をくすねていった兵士ではないだろうか。

 確かにあの兵士ならば、私は彼の目の前で殴打されていることもあり、連れるには気が引ける。

 だがどうだろう。兵士が以前やって来たのは、こんなに早い時間ではなかった。むしろ動き出すには遅い、昼付近だったと記憶している。

 それほど至急を要する要件なのだろうか。


「分かりました、すぐに向かいます」


 幸い既に着替えは終えている。

 殴られるのも罵詈雑言も。とりわけ苦というわけではないが、あまり待たせては面倒事になるというもの。特に呼びに来た巨躯の彼に飛び火しては申し訳ない。

 すぐさま二階に上がると、手甲と大剣を装備して巨躯の彼の元へ舞い戻る。しかしそのときには既に巨躯の彼の姿はなく、果たして少し表情を曇らせたロラがいるだけであった。

 朝食の予定が帳消しになったのは仕方がない。だがロラからしたら、二人での朝食が一人になっただけである。残念に思うような事でもないように思う。

 ただ、ロラからしてみれば違うのだろう。

 その気持ちを私は推し測れないため、口に出すことは止める。

 申し訳ない。

 そう言うと、ロラは顔の右側だけに笑みを作りながら、「仕方ないよ」と返した。ふうっ、と溜め息をつくような、どこか寂し気な笑い方。それが無理に作った笑みであることなど、私でも分かる。

 ただ、その様子に対してフォローする言葉を、私はまだ持ち合わせていない。

 それを後ろめたく思いながら、家を出た。


 空は暁の光りを吸い始めていた。

 少しずつ薄明から薄青い空気へ、ついで朝焼けの橙色へ変わり、今日一日の序幕がやって来る。

 そこまで夜が明けると、村の住人の何人かは起き始めていた。

 村人と朝の挨拶を交わしながら入り口へと向かう。近づくにつれて、何か言い合いしている声が聞こえ始め、そしてそれは段々鮮明になっていく。

 そういえば。前回も巨躯の彼と兵士は言い争いをしていた。

 それを思い出すと、やはりやってきたのは前回の兵なのではないか、という気になってくる。


「一体いつ来るんだよアレは!」

「気の短い奴だな、すぐ来るって言ってるだろ」


 村の入り口へ到着すると、果たして着任日翌日と同じ風景がそこにはあった。

 やって来た兵士は予想した通りあのときの兵士で、巨躯の彼には連続で面倒事に立ち会わせてしまったことを申し訳なく思う。


「申し訳ありません、お待たせしました」


 声をかける。

 途端に兵士はこめかみ付近に癇癪筋を走らせたかと思えば、私のほうへとその苛立ちで歪んだ顔を向けた。

 炎でも噴き出しそうな様である。

 そのままこちらへと歩を向けると、勢いのまま顔面を殴られた。

 痛みはないため、問題はない。


「人を待たせるなんて偉くなったもんだな、おい。せっかくこんな朝早くに来てやったのによ」


 そこからの光景も、見覚えのある展開であった。もう一度殴ろうと振りかぶったところを、巨躯の彼に掴まれる。そしてその体格さから抵抗力を失う。

 国民だというのもあるだろう。

 私はともかく、巨躯の彼はフリストレールの民だ。

 兵は別に、権力を持っているわけではない。別に私が民に暴力を揮ったことを密告したところで、上層部は聞く耳は持たないだろうが。それとは別の意味で、一応彼にもこの国の兵士という自覚はあるらしい。

 想定の域を出ないのが残念ではある。


「勘違いするなよ、お前は騎士だが所詮白髪だ。他の騎士と同じ地位があると思うなよ」


 吐き捨てて、今回の支給金が入った袋を投げつけてくる。恐らく既に何割かくすねた後だろう。

 それにな。

 そう言って、巨躯の彼の腕を払い除ける。


「ここだって、昨年魔法使いが一人隠れてたんだ。亡霊にはお似合いの場所ってこった」


 咎めるような、鋭い目つき。

 初耳であった。

 ロラ以外にも、ここには過去に魔法使いがいた、ということだろうか。ただそれを、今ここで問うわけにはいけないため、間際のところで眉を顰める程度の反応に抑えた。

 だがその表情に対し、兵士は気分が良くなったのか、唇を歪ませて薄ら笑う。


「はは、やっぱり信用されてないんだな」


 心に氷柱を突き刺すような、冷たい嘲笑。

 信用。

 私には縁のない言葉だ。


「おい」


 ただ嘲笑というその嵐に、巨躯の彼はただ過ぎ去るのを待つという選択をしなかった。

 あろうことか、兵士のこめかみに裏拳を入れた。もちろん本気ではないだろう。もし彼が本気で打撃を叩き込んでいたなら、頭部が割れてもおかしくない。

 痛みを入れる程度。

 しかし兵士を苦悶させるには十分すぎる裏拳である。


「言っていい事と悪い事があるだろが、アホ」


 拳をさすりながら、言う。

 彼は以前、村に夜盗が攻め入ってきた際、両腕を負傷してしまった。もう大丈夫だと言い昨夜から復帰したわけだが、それを気にしての仕草だろう。

 その裏拳に対し、兵士は一瞬意識を飛ばしたあと、不機嫌を主張するように舌を打った。


「覚えとけよ、お前」


 一瞬、帯刀した剣に手を掛けたが、止める。

 巨躯の彼と私。

 相手が悪いと判断したのだろう。

 自制心は少なからずある人物と見ていい。


「おう亡霊。上からの命令だ。ここから南の方に巨大な魔獣が発見されたから討伐してこい」


 こめかみをさすりながら、兵士は一語一語突き立てるように言った。せめてもの苛立ちの表しだろうか。


「魔獣……?」


 その命に、思わずそう口に出す。

 だが兵士は即座に舌打ちをして反論を遮ると、そのまま踵を返してしまった。


「ちょうどいい場所にいたお前が悪い。さっさと行け」


 素早い動きだった。それだけ言うと兵士はつむじ風のようにあっという間にいなくなった。

 巨大な魔獣の討伐という、脅威だけを置いて。

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