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第一章 怠け蝸牛と白いひと

 お前だ。

 お前が密偵だったのか。

 朝の支度していた僕に、憲兵さんが怒鳴り込んできた。

 首を傾げる。

 覚えがないからだ。

 これから勤め先の工房に行かなければならないのに。

 密偵とはどういうことかと聞く。

 すると憲兵さんたちは惚けるなと言って、僕の胸倉を掴んだ。

 今フリストレールは戦争をしている。

 お前ら白髪はその密偵だろう。

 身に覚えのない事だった。

 確かにこの国で白髪は珍しい。

 けれど生まれはこの国だし、両親もいる。

 髪が白いからと言って、別国の密偵だなどと言われる謂れはない。

 一体どこの国に、何の情報を流すと言うのか。

 しかし憲兵さんたちはそんな主張は聞いてはくれず、強引に手枷を嵌められてしまった。

 連行される。

 その行き先に、僕は覚えがあった。

 広場だ。

 町で少しでも悪さをした人はすぐにあそこへ連れて行かれる。

 僕は何も悪い事をした覚えはない。

 ただこの様子だとどこへ連れて行かれるのかと聞かれたら、広場を連想した。

 そうやって憲兵さんに連れられた先。

 それはやっぱり町の広場だった。

 そこにはすでにたくさんの人が連れて来られていて、他の人たちも僕と同じように何で連れて来られたのか分からない様子だった。

 違う、俺は密偵じゃない。

 早く解放しろ。

 そう、口々に叫んでいる。

 お父さんとお母さんは無事だろうか。

 辺りを見回す。

 ふと、一人がこんなふざけたことを言い出したのは誰だと、憲兵さんに詰め寄った。

 その言葉に、憲兵さんは物語の悪役みたいに笑った。


 王様さ。

 お前ら白髪はもう人扱いしないらしい。


 …。


 嫌な汗のせいで目が覚めた。

 後味の悪い凶夢の名残は、じとっとした首筋に残っている。毛布を押しのけて上半身を起こすと、「騎士様?」と一階からロラの呼ぶ声が聞こえてきた。

 もう起きているのかと感心する。

 私がカルムへやって来てずっとこの調子のため、恐らく薬師とはそういうものなのだろう。窓から入ってくる光はまだ薄明で、もうひと眠りする者がいても不思議ではない時間帯。ただ昨夜私が二階に上がるときにはまだ起きていたはずで、その後少しして活動を終えたようだった。果たして睡眠は取れているのだろうか。

 私としては二度寝するという選択肢はないため、起床することにした。

 良いとも悪いとも言い切れぬ寝起きだ。目覚めの良かったときなど記憶にないが、この胸の引っ掛かりは間違いなく先刻の夢のせいだろう。

寝床を片付けながら思い起こす。

 白髪の誰かの夢。

 夢など、今まで覚えておくということがなかった。必要性を感じないのと、そもそも夢とは目覚めたら忘れてしまうものという認識だ。今回珍しく記憶にあるのは恐らく、主人公が白髪だったからだろう。

 あの瞬間、私は確かに私ではない誰かであった。

 それも、この国の白髪。

 だがフリストレールで人が亡霊に成り下がる、その時。

 心地の良いものではない。

 だがしかし、夢は夢だ。いずれ現実に溶けて忘れてしまうだろう。少なくとも、今はそう思う。

 いつも通り白い外套に肩鎧を身に着けると、階段を下りる。


「おはようございます、ロラ」


 一歩一歩足を乗せるたびに、木製の階段がぎしりと音を立てる。


「おはよう騎士様」


 赤い液体が入った容器を揺らしながら、ロラが答える。長細い、恐らくは薬を生成するための器具。出来上がったものを注ぐのだろう。


「ごめん、物音で起こしちゃった?」


 困り顔のまま愛想笑いを浮かべる。


「いいえ」


 しかし私が勝手に目覚めただけだと伝えると、ロラは納得した風に唇を綻ばせた。


「そっか。ねぇ、これから朝ご飯なんだけど、良かったら騎士様もどうかな?」


 断る理由もなく、二つ返事で了承する。

 するとロラは手を叩くと、少しはしゃいだ調子で「やった」と声を上げた。居候の身だ、今までに何度も食事は共にしている。それなのに、変わらずにこうして表情を明るくしてくれるのだ。別に自分と食事したところで、楽しいわけではなかろうに。

 だがしかし。

 その時を遮るように。

 家の扉が叩かれた。

 力強い、しっかりとしたノック音。


「もう、こんな朝早くに誰?」


 まだ外は、黎明の新しい光りが雲を破り始めた頃。空がぼうっと白くなりつつある夜明けだ。朝の仕事に動きだすには少し早かろう。

 それなのに、この家に訪問者がある。

 これから朝食の準備、というときの来訪であったため、ロラは唇を尖らせて拗ねたような表情を浮かべた。


「よう、騎士様いるか」


 外から聞き覚えのある声。

 ロラがドアを開けると、そこには体を屈めなければ入り口をくぐれないであろうほどの巨躯が現れた。


「リアム!?」


 意外であった。

 本当ならば、彼は村の入り口付近で門番をしているはずなのだ。彼は双剣の彼女とは違い番人の責務をサボったりせず、しっかりと時間も守る。そのため、まさか彼が任の時間を差し置いてここへやって来るなど思わなかった。


「おはようございます、リアム様。どうしてここへ?」


 巨躯の彼を出迎えたロラの後ろから、答える。

 すると彼はばつが悪そうに頭を掻いた。決して居心地が良いとは言えない沈黙。そのまましばらく口を開かないので、見かねたロラが口を開いた。


「ねぇどうしたのリアム? もしかしてあたしがいると言いづらいこと?」

「いや、そんなんじゃねぇんだが……」


 言い淀む。

 そのまま彼が話すのを待つことも出来たが、ここはロラの家の前だ。あまり沈黙が長くなりすぎるのもよくないだろうことから、身長に言葉を紡ぐ。


「リアム様。私に用があるのですか。それとも、騎士の私に用があるのですか」


 それに、彼は一瞬だけ言葉を詰まらせたあと、騎士だと答えた。

 普段、巨躯の彼は物事をはっきりと言う人物に見える。その彼が言葉を詰まらせるとは、よほどのことなのだろう。

 だがきっかけさえ掴んでしまえばあとは普段通りの彼であった。


「こんな朝っぱらからすまねぇな、実は騎士様を出せって言ってくる奴が来てだな」


 その言葉を聞いた、途端。

 良くないことがありそうだ、という予感がした。


「兵士、なんだが」

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