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episode60 「私は、ここでは亡霊ではなく人でいいのだと」

 心は凪いでいる。

 これまでとは違い、生きているからこそ。余計な雑音は何も聞こえない。

 白髪という宿命を負いながら、この場所で見つけた萌芽。私は、この感情が何なのかを知りたい。

 しかしその前に。

 報いを受けねばならないと思う。

 ただ願わくは、生きて騎士としての責務を全うしたい。

 しかしそれは、彼女次第である。

 クラリカ・ルイズ・パヴリオート。

 彼女の。


「呆れた。本当に生きているのね」


 心底嫌という風に、顔の皺が深くなる。憎しみが翳を刻むかのように。


「レクイエムの魔法を聞いて、どうして生きているのかしら。確実に殺したと思ったのに」


 昼告のヤグラ。

 果たして、教えてもらった通りに歌うたいがそこにはいた。

 早朝と同じように。

 歌うたいは私を見つめるのが当然であるかのように、私に視線を浴びせている。


「リーデが訪ねてきたとき、私は死ぬのだと思ったわ。なのに奇妙なものね。私たちはまたこうして相対している」


 歌うたいは諦めたように、微笑むような柔らかな表情を浮かべていた。


「私を殺しに来んでしょう。故郷ではないけれど、ここで死ぬならそれも悪くないわ」

「いいえ」


 それに、彼女は意外という風に目を見開く。


「何故?私はあなたを殺そうとしたのよ」

「あなたのお父上が、妻と子供だけは助けてほしいと。そう仰ったのです」


 少なくとも、私は。

 だがカルムの住民が殺せと言った場合、始末するしかない。死者が出ているのだ、私の良く分からない都合で吞み込んでほしいとは言えないだろう。


「お父さまが? それが最期の言葉なのかしら?」


 頷く。


「そう。本当に、あの方は死ぬときまで」


 呆れるように目から口にかけて冷たい笑みが動く。

 当時、たしか私は国を生き長らえさせるためだと考えた。だがその言葉から察するに、違うらしい。恐らくは自分より家族の命を優先しての言葉。

 そういう人だったのだ。


「お父さまも死ぬ覚悟はしていたはず。戦争だもの、当然だわ」


 だが私は、それにより発生する禍根を理解していなかった。殺した者と殺された者。ただそれだけだと。


「でもそれはそれよ。一番尊敬していた人を殺された、あなたに復讐する理由は、それで十分だわ」


 たとえ罪状はなかろうとも。

 生まれる恨みごとを、考えすらしなかった。その愚かさだけで、私は報いを受けるべきだろう。

 戦争だから仕方がないとも言える。

 しかしだからといって、戦争というかたちのないものに訴えても恨みつらみがなくなるわけではない。その憎しみをぶつける相手は、やはり私だろう。被害者は彼女で、これから私が死んだところで悲しまれる権利はないのだ。

 どうするべきなのかは、恐らく決着は存在しない。

 だからこの結論は、彼女に出してもらおうと思う。


「私を殺して少しでも憎しみが晴れるのなら、どうぞこの胸をお刺しください」


 途端に私を見据えた両目には、思わず息を呑むほどの獰猛さが宿った。スカートの裏に隠し持っていた短刀を引き抜くと、歌うたいは勢いよく地面を蹴る。一直線に向かってくる彼女を前にして、それでも私は構えることはしない。

 不思議と心にはさざ波ひとつ立たなかった。

 きっと地獄に行ったとしても、この選択を後悔することはない。


 凶刃がやってくる。

 その刃は心臓を一突きするだろう。

 そうなればあとは勝手に鼓動が停止する。


 だがしかし。

 終わりは、いつまでもやってこなかった。

 痛覚すら感じない。

 突撃され、突き立てられたはずの短刀は胸元で止まっていた。間違えなく力が込められているはずなのに。


「なんで、刺さらないの」


 憎々し気にそう言った。

 貫くどころか、彼女が持っていた短刀はなまくらだったのか。刃は服を貫く程度で止まっていた。


「ホント、出鱈目な祝福」


 歌うたいは小さく、本当に小さく微笑み、静かに瞼を閉じた。それは、これから眠るのかと思うほどに穏やかだった。


「復讐は一瞬でも親しい人に会うために行うのだと、国の兵士に聞いたの。でもあれは嘘ね」


 からん、と短刀が地面に落ちた。


「誰にも会えなかったもの。お姉さまにも、そしてお父さまにも。向いていないのね、復讐に」


 自らを嘲るように冷たく笑う。


「……お姉さま、というのは」

「昨年辺りかしら、野盗に殺されたの。私を護って。だから私は、彼らを使い潰すことに決めた」


 当たってほしくない予測が当たってしまった。ただ、私には彼女を憐れむ権利は存在しない。


「それで彼らを操り、カルムを?」

「それは違うわ」


 彼女は少し驚いて、しかし冷静に言い返す。


「私の歌はあくまで意思を植え付ける魔法よ。それも一日に一つだけ。操るなんて出来ない。接近して襲撃までしたのはあくまで彼ら自身よ」


 それは少しおかしい。

 男が言っていたのは確か、


「突然襲えないかという考えが浮かんだ、彼らはそう言っていました」


 揚げ足取りのようなことを口にしている。

 それでも、村の騎士としては少しの矛盾も逃すことは出来ない。


「……っ、それは。でも、たしかに……」


 片手で前髪を鷲掴みにするようにして頭を抱える。思っていたことと違ったのか、或いは指摘されて言葉に詰まったのか。

 やがて、あぁ、と唇が吐息を漏らした。


「……彼らを憎むあまり、強く掛かりすぎてしまったみたいね。より強い感情が」


 それは、空虚でどこか悲しそうな声だった。


「私の中でこの村が大事なものになっていたのは本当よ。でも、こうなった以上私はここからいなくなるべきだと思う。私情で、ここを危険に晒してしまったのだから」


 いいや。

 私情というなら、私がここにいるのも私情だ。

 そもそもほとんどが私に原因がある。彼女自身がそれを許せなくとも、せめて私だけは許そうと思う。

 贖罪にすらならないとしても、それだけが私に出来る数少ないことだ。


「以前あなたは、私は地に足を着けて立っていないと仰いました。それに私は、立っていると答えました」

「……そんなことも言ったわね」


 弱り切った瞳で、彼女は頭を上げた。

 私を殺せなかったことか、それともカルムに対して掛けた迷惑のせいか。空虚に近い表情でただ私を見つめている。


「そもそも地に足を着けている場所など、この国になかった。私は亡霊と呼ばれていたので」


 胸の中心が少し熱い。血は出ていないとはいえ、短刀を突き付けられて何の影響がないわけない。


「ですが。私は、ここでは亡霊ではなく人でいいのだと。私のことで泣いてくれる人がいる。私のために動いてくれた人がいる。それだけで、私はカルムに立っていると。少なくとも、彼女たちがいるこの地を護るために立っているのだと、今ならしっかりと言えます。

 そして――」


 呼吸を整える。

 決意をするために。


「その護る中には、あなたも含まれているのですよ。どうか、私にあなたを護らせてほしい」


 カルムにいる彼女を護ること。

 それが、私が彼女出来る唯一の贖罪。

 騎士として。

 そして、私として。


 くすり、と彼女は笑った。

 それは無邪気なようで、どこか嘲りを含んだ仕草だった。


「屁理屈ね」

「申しありません、難しいことは教わらなかったものですから」

「こんなことをして、それでもあなたは私を護るというの」


 はい、と私は答えた。


「贖罪のつもりなのでしょうけど、赦さないわ。決して」


 それでも、と答える。

 そう、と彼女は声を上げた。


「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」

「……なにかしら」

「どうして、敵国であるこの地に?」

「使用人の一人が昔世話になったことがあるらしいの。だから、頼るならここへと」


 恐らく戦争をする前の話のことなのだろうが、たしかにこの村ならそういうこともするだろう。思いながら、私は彼女の返答になるほど、と返した。

 もう一つだけ、気になることがある。

 彼女の顔が綺羅星のように煌めいて見えることだ。ロラ曰く、彼女が素敵な人だからと言っていた。

 だがそれは初めて顔を見てからで、後ろめたい気持ちのある今もずっとだ。

 分からない。

 この感情をなんと呼ぶのか。

 それを、私は知りたい。

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