「黒い服の女性は知っていますね。ちょうど、昨年の話と聞きましたが」
「……あ? あいつに聞いたのか」
膝に体重を掛ける。
「……あぁ! 若ぇ全身真っ黒の女二人だろ! 知ってる!一人は殺ったがもう一人は知らねぇよ」
痛みから、答える声が荒々しい。
こんがらがった糸がほごれていくように、その言葉達から、なんとなくだが事の次第が見えてきたような気がした。もちろん自分の中で腑に落ちただけで、本人と答え合わせをしなければならない。
二人とは恐らく、内一人は歌うたいで間違えない。戦争により一時国から脱出していたと考えれば納得出来る。ただ姉妹がいたかを私が知らないため、もう一人が誰なのかは分からない。姉妹か使用人だろうが、断定は出来ないため保留とする。
しかしそのもう一人を野盗に殺されてしまったことで、彼女は魔法により彼らを操り使い潰しているのだろう。恨みも込めて。
そこまで考えて、一つ息を吐いた。
まだ分からないことも多い。
特に、何故敵地であるフリストレールの地にいるのか。兵士になど見つかった日には即座に殺されるだろう。にも関わらず、彼女たちはこの地まで逃げてきた。
理由があるのか、それとも地理に疎いだけなのか。
思いながら、立ち上がる。
途端。男は右腕を伸ばし、私の手を掴み引き寄せてきた。津波にでも押されたかのようなその圧と、突如加えられた力。まずい、と思ったその瞬間には、もう男の胸板が目の先にあった。
一瞬の隙。
油断していたつもりはない。だが不意に私を引き摺り込まれ、顔をぶたれたような衝撃があったのは事実である。壊れた左腕に三度も痛みを与え、もう大丈夫かと心のどこかで慢心があったのだ。
認めよう。
こうして、体勢を崩されてしまったのだから。
問題は片腕ではあるが、後頚部を締め上げられたこの状態から、どうやって抜け出すか。喉が苦しい。熱い塊に遮られて呼吸がしづらい。
「騎士様!」
自警団の誰かが声を上げ、そして何人かが近づいてくる足音が聞こえる。
「来るな!」
男は足の力だけで立ち上がると、咆哮により牽制した。それにより近づく足は止まり、睨み合う形となる。視認できないため、具体的な状態は分からないが、足の音から平原にいる自警団の大体が男と相対していると予想出来よう。
肺を踏みつけられているかのような息苦しさ。だが不用意に抵抗すれば、そのまま首を折られかねない。
予測出来るのはこの状態を誰かが打破するか、私が呼吸困難で意識を失うかの二つ。しかしこの硬直状態だ。恐らく私が気絶するほうが早い。
明らかに、足を引っ張っている。
私が捕らえられているせいで、この場は硬直しているのだ。そのせいで、彼らは動けないでいる。
息が詰まって、顔が破裂してしまいそうだ。意識していないと意志を保てないが、その頭も段々とぼんやりと熱を帯びている。意識が落ちるまでに時間がない。
ここから出来ることを考える。
背を逸らして勢いをつけてから下腹部への攻撃。これが今できる最善手だ。
そう思った、そのときに。
それは飛来した。
「いけませんね、こんな大切なものを」
頭上で、何か硬いものがぶち当たる音がした。同時にどういうわけか男による拘束が解けて、私は地面へと着地する。口は開けることが出来るようになり、途端にじっと待ち構えていたものが逆流するか叫びのように肺になだれ込んできた。
何かが地面に落ちる音。
それは、村長から借りた剣の鞘だった。
何故ここに、捨て置いて来たそれがあるのか。唐突すぎて事情がまったく呑み込めない。鞘という、とりわけ都合の良い幻でもないもの。考えれば考えるだけ、思考がこんがらがっていく。
理解出来たのは私が男の拘束から解放されたということ。
そして、
「大事なものですから。 きちんと持っておいてくださいね」
図ったかのような都合のいいタイミングで、長鎗の彼女がやって来たということだ。
「……申し訳ございません」
立ち上がりながら、言う。
足を引っ張ったという、騎士として恥ずべき事に対して。
「騎士様。ここはごめんなさいではなく、ありがとう、と」
対して、長鎗の彼女は目元に微笑みを湛えて頷いた。その意味は読み取れないため、言われたとおりに感謝する旨を伝える。
改めて周囲を見渡すと、状況を把握した。
どうやら男の背後から長鎗の彼女が、その頭部に鞘を投擲したらしい。頭を押さえる男と、足元に落ちた鞘が、それを物語っている。
「リーデてめぇ、こんなときにどこ行ってたんだよ」
巨躯の彼が、呆れたように言う。
「申し訳ございません。事情により遅れて推参する形となってしまいました。ですが、皆さんなら少し遅れても大丈夫かと」
悪びれる様子もなく。
恐らくは本当にそう思っているのだろう。
背中に私の大剣を背負っているところを見るに、戦闘に参加する気すら皆無であることが垣間見える。ならばどうして、私の大剣を持って馳せ参じたのだろう。まさか村の危機に私の武器を届けに来ただけ、とは考えにくい。
「騎士様」
大剣の留め具を外しながら、近づいてくる。
「重すぎます、これ。到着が遅れてしまいました」
本当なのか嘘なのか分からない、そんな微笑み。どちらの可能性もあるため、この場では一先ず置いておこう。
「ここは私たちに任せて、騎士様は昼告のヤグラに行ってください」
私のすぐ目の前まで接近してきた彼女は囁くような、ぎりぎりで聞こえる声量で口外に投げる。その言葉で、私は長鎗の彼女が今まで何をしていたのかを理解した。
私が決着をつけるための手筈を、整えてくれていたのだと。どうしてここまでしてくれるのか、という疑問はこの場では野暮というものだろう。
「ですがリーデ様。私はカルムの騎士です。責務を途中に離脱するのは……。それに貴女の武器は」
「お気遣い感謝します。ですが」
言いながら、男の足元に転がる鞘を拾い上げる。
「これで充分です」
言うと同時に男がはっきりと体勢を立て直し、そして長鎗の彼女へと拳を揮う。
それを長鎗の彼女は、軽々と鞘で受け止める。
いつの間にか男の周囲を自警団が取り囲んでおり、そこでようやくこの戦線を離脱してもよいのだと判断した。
「感謝致します、リーデ様」
地面に刺された大剣の元に駆け出しながら、伝える。これは、こういう場面のためにある言葉なのだと思ったからだ。
「ありがとう、ですよ」
唇をほころばせながら、長鎗の彼女はそう言った。