「申し訳ありません、そろそろ手を離して頂けると」
「えっ! あっ、ご、ごめん騎士様! 痛かった?」
言うと、ロラはさっと私の手を離す。そして申し訳なさそうな表情のまま愛想笑いを浮かべた。
別に痛かったから手を離すよう言ったわけではない。ただこの手を握られた瞬間から、全身の血が今までとはまるで違うめぐり方をし始めたのだ。軽い動悸、しかして深い胸の乱れを感じた。
何かの魔法だろうか。この場面で魔法を使用するなど、私に対して敵意があるとしか思えないが。
「騎士様」
私を正すように、長鎗の彼女が呼ぶ。
その声でなんとか心を冷静に帰すと、弾んだ鼓動をすっきり吐息へと吐き出した。
「ロラさんも距離が近いですよ。騎士様がびっくりしています」
「そ、そっか。そうだよね。ごめん騎士様」
否。
そう口に出すが、心が乱されたのは事実だ。どうしてそうなったかは分からないが、なんとなく頬がほのかに熱を帯びているのが感じられる。私が平静ではなかったという、名残だ。
長鎗の彼女が言う『びっくりしています』というのが正しいのだろうか。兵士時代、着替えを隠されたときでもこんなに乱れはしなかったというのに。
「え、えっと。話を戻すね、騎士様」
やや語尾が高ぶった声で、愛想笑いを続けたままロラは言った。
「騎士様は元々は兵士で、戦争に参加してたんだよね? だったら人を殺すことに躊躇がないことには何も言わない。それをダメって言うのが難しいことくらいあたしにも分かるよ」
ロラはそれが彼女の最も真面目なときの表情であろう顔付をして私を見た。少しでも真剣に向き合おうとしないものなら、軽蔑を示すという鋭さ。
意外だった。彼女ならば有無言わずに人を殺すことは良くない、そう言い切ると思っていたからだ。理由のある決闘ですら彼女は、止めようとしていたのを思い出す。
「ねぇ騎士様。あの子を殺すの?」
「……分かりません。彼女が野盗と繋がっているのなら、処する必要はあると思います。ですが……」
言葉に詰まる。
歌うたいが私に殺意を抱くのは当然のことだ。その気持ちを分かることは出来ないが、親を殺されているとなれば納得は出来る。実際私は攻撃され、昏倒するに至った。
だが私はこうして生きている。生かされた、と言っていいだろう。それがどうしてか、私には分からない。
「騎士様。私にはクラリカさんの復讐心、痛いほど分かります。私なら惨たらしく殺しています」
表情を消した声で長鎗の彼女が口を開く。恐らく、彼女なら本当にやるだろう。
「もちろん気持ちが分かるからといって、死ねと言っているわけではありません。禍根は残るでしょう。ですが、答えは出すべきだと、私は思います。こうして、騎士様が生きている限りは」
「答え、ですか」
私と彼女の件に対する、決着を付けろということだろうか。この首を差し出すなり、或いは彼女を殺すなど。
確かに、どちらかが死ねば収束する。ただそれが、本当に正しいことなのかは分からない。
禍根が残らないのは私が死んだ場合だろうか。私が死んだとしてもさほど影響が出るとは思えず、また悲しまれるとは思えない。
一方歌うたいの場合、まず村人が悲しむ。それにもしかしたら、親兄弟が探しに来るかもしれない。少なくとも、兄がいることは知っている。さきの戦争で軍を指揮し、私もそれを見た。その探索がもしカルムまで伸びたのなら。
人の行動を操る魔法が存在するのだ、彼女にたどり着くまでの魔法があってもおかしくはない。
次々に考えることが出現しては、滑車のようにぐるぐると脳内を回る。ではどうするのか、と自分の内なる誰かが囁く。
「でもさ」
ふいに、ロラが話題を転じるような言葉を放り投げた。
「どうしてクラリカは、騎士様を殺さなかったのかな。憎いはずだよね、騎士様のこと」
「それは私も疑問に思っていました。敢えて生かしたのか、或いは……」
異論を唱えないという消極的な方法で、私も賛同する。長鎗の彼女なら殺すという意見を投げたように、恨みある者にならそのまま殺すのが普通だろう。
「攻撃されたのですよね、騎士様は」
「その通りです」
長鎗の彼女が考え込むように腕を組む。
確かに、私は攻撃された。歌による昏倒の、その前に。どこからかによる狙撃。あれを攻撃されたと言わずに何と言おう。あれが彼女の仲間によるものなのか野盗によるものなのかは分からない。しかし少なくとも、敵意ははっきりと感じ取れた。
それなのに。
こればかりは本人に聞かなければ解決しないだろう。
結局、私は今一度歌うたいと相対必要がある。それだけは事実だ。例えそれによって、どちらかが死ぬことになったとしても。
恨み言をいう権利は、私にはない。
突然に、家の扉が荒々しく叩かれた。
「誰だろう」
ロラは牝鹿のように立ち上がり、階段を下りていく。そういえば、朝の番を仰せつかったと思うのだが、行かなくていいのだろうか。長鎗の彼女もここにいるということは、誰かが呼びに来るという展開が考えられるが。
「おうおう。リーデ、騎士様、起きてるか!」
村長の、家内全体に響くような大きな声。そして家主が下へ到達するその前に、扉が開けられる。
「ちょっとちょっと村長、勝手に入ってこないでよー」
「状況が状況だ、許せ。朝の番に来ねぇのはこの際いい。早く来い! 急ぎだ!」