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episode50 「騎士様」

「……様……」


 ふいに誰かの声が聞こえたが、きっとまだ生涯を振り返っているのだろう、と思いうつろに重い頭で聞いていた。声がまるでカルーセルの中に響くように感じる。

 少し熱を抱えた頭の中に、途切れ途切れの声が何度も割り込んできて、こんなにも呼びかけられた場面などあっただろうか。なんて思いながらも、醒めてまた眠りに入る手前の状態に身を置く。

 だが声は津波のように押し寄せてくる。

 これが死というものの間際だというのなら、少ししつこい。もういい加減、連れて行ってくれないだろうか。泥の中を漂うように、意識が徐々に沈んでいく。


「……士……様!」


 そのたびに誰かが私を呼ぶ。

 聞き覚えのある、女性の声。しかし頭が熱病みたいにぼんやりとしていて、具体的に誰の声か考えることが出来ない。


「騎士様!」


 はっと目が覚めた。初めに目に飛び込んできたのは、不安そうな表情をするロラの顔。それに家の天井。つい先程までこれまでの人生を振り返っていたため、一瞬まだ一昨日の記憶を顧みているのかと思った。夜警から戻り、ロラと少しお喋りをしたあの朝だ。

 だが背後に長鎗の彼女の姿が見え、すぐにこれが思い出ではないことを知覚する。


「良かった。目覚めましたか、騎士様」


 生きている。

 何が倒される原因となったかは不明だが、ともかく私は確かにあの場で気を失った。ご丁寧に、振り返ったとて意味のない人生まで見せられたというのに。

 思いがけないことに、心臓を鷲掴みにされたような感覚が走る。そしてそのまま破裂してしまいそうな、そんな驚きに打たれて目を見開いた。


「生きている、のですか。私は」


 ゆっくりと、確認するように言う。


「騎士様! 良かった、ホントに……!」


 途端に、ロラに抱きしめられた。腕が背中に回り、強くいだき締めてくる。突発的にしては些か長い。どうしてかすすり泣いていて、この抱擁は長引く分だけきっと彼女を安堵させるものだ。

 何故泣いているのだろう。

 私が生きていたからか。それにしては大袈裟すぎる。たかが村の守護に着く者、それもつい先日。何も嬉し泣きするほどの感情移入はあるまい。

 泣きじゃくるロラを見ていると、段々と気持ちが落ち着いてきた。神経が鎮まり、状況を確認する。

 どうやらロラの家らしい。先ほど一夜を越した二階の天井と景色が同じだ。もしかしたら先刻の事は夢で、私はあのまま眠ってしまっていたのではと思う。だがロラが泣いていることから、その可能性は除外しなければなるまい。まさか朝起きるのが遅いだけで泣くほど、心配性ではないだろう。


「リーデ様」


 状況の教えを請うため、抱き着いたロラごと上半身を起こす。


「そうですね、目が覚めたら騎士様がいなかったものですから。そうしたら昼告のヤグラであなたが倒れていました」


 目が覚めたら私がいなかった、とはどういうことか。あのとき確かに、長鎗の彼女は目を開けて私に行動するよう促した。だが彼女にそんな記憶はないと言う。

 つまりあの場は、歌うたいの歌によるコントロールを受けていた。意思と行動を操るような、強力な支配。それは魔法と言っていいだろう。

歌うたいもまた、魔法使いだったのだ。

 魔法使いは稀有な存在と聞いていたが、実は違うのだろうか。長鎗の彼女が魔法使いなのかは判断しかねるが、それでもカルムに来て既に三人。確かに辺境のほうが潜みやすいのは事実である。それでも魔法使いに魔獣、連日このような存在に遭遇しているのは驚きだ。


「こちらからもお聞きしたいのですが、何があったのですか。騎士様」


 当然の問いである。


「そうだよ騎士様、起きたらいなくてびっくりしたんだから」


 ようやく私から離れたロラが唇を尖らせる。


「それは――」


 歌が聞こえて。

 そう喉から出かけて、止める。

 果たして、歌うたいの事情はあくまで私に対してだ。野盗が近づいてきたのは、本当に偶然であった可能性はある。もちろん私を誘い出したように、野盗を接近させた理由が彼女の魔法であることも否定は出来ない。

 当然、歌うたいが原因だと報告することも出来る。躊躇いがあるのは、私の個人的な事情も一因だ。

 だが彼女は恐らく、私がここへやってくるまでは歌うたいとして普通に生活していたのだ。それを解明もせず、野盗襲来の原因を全て押し付けていいのだろうか。


「騎士様?」


 逡巡する。

 可能性がある時点で報告するべきだと。

 だがそれを私情が邪魔する。私情が思考の妨げになることがあるのか、と。何度も同じことを考えてそこから何も発展しない。戦闘以外のことを考えることをやめていた私は、あまりに幼稚だ。


「何か事情がお有りなのですか?」


 回答のない私に見かねて、長鎗の彼女が察して言う。

 それに、私は子供のようにこくりと頷いた。


「なるほど。ですが、あまり流暢にしている状況でないのは分かりますね」


 はっ、とする。

 当然だ。まだ疑わしい状況のなか、一人で抜け出し、そして倒れていた。それを何があったかも言わず、気にしないでくれというのは無理がある。

 村に野盗という危機があるのだ。私個人の事情だけではない。始めに己に言ったはずだ、自分に責任を取る力はないと。


「騎士様、言いたくないなら無理に言わなくても」

「いいえ、平気です。大丈夫、です」


 遮るように、言う。

 私が黙っている様子を見て投げかけた、ロラなりの気遣いだろう。しかし、それは良くない気がした。この村で、騎士をしていくからには。


「申し訳ないのですが、少しだけ時間を頂けますか。ゆっくりしている場合ではないということは分かっております。ですが、話しておかなければならないことがあるのです」


 そう予め断りを入れると、長鎗の彼女はその表情をぱっと変えた。真面目だった顔つきに微笑が上って来る。まるで雲間から光が射し込んだみたいに。


「えぇ、もちろんです」


 感謝致します、そう言いながら私は一つ息を吐いた。


「先ほどまで私とヤグラにいたのはクラリカ様です。まるで誘われるみたいに、どうしてかあの場所に行かなければという気持ちになったのです」

「クラリカが?」


 ロラは驚いたように大きい綺麗な目を開くと、手のひらで口を覆った。


「私が倒れたのも、クラリカ様によるものです。どんな魔法を使ったのかは、分かりませんが」


 そう言うと、長鎗の彼女とロラは視線を交錯させた。どうして、という風に。それはそうだ。具体的にどれほど前からかは分からないが、その反応を見るに、きっと彼女もカルム村の一員だと認められていたのだろうから。


「ですが、そうなっても仕方ないかと。兵士だった頃、私は彼女の父親を殺したのですから」

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