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episode45 「私の世界に貴女を虐げる人はいません」

 ロラはまだ少し作業が残っているということらしく、長鎗の彼女、私という順で入浴した。その際、声の聞こえる位置に待機し、声を掛けられれば反応するという体制にした。私とロラを一対一にしないための対応である。

 ロラと二人になったからと言って特に何をするという気はないのだが、まあ念のためだ。

 そうして、長鎗の彼女と私はロラが二階に上がって来るまでの間、二人して毛布に包まって待つことになった。どのみち監視されているのだ、眠る時間はあまりないだろうと予想出来る。眠れないのには慣れている、平気だ。

 それよりも、入浴した後に着ろとばかりに置いてあった寝間着の方が私には慣れない。白い、首元にフリルの付いた洒落た寝間着。ワンピースであることも気になる。いざというときに動きづらいからだ。

 武装は下の階に全て置いてきている。この夜、私は完全に無防備だ。仮に今夜に夜盗が攻めてきた場合、戦力にとして参加するのは難しいだろう。

 ずっと、霧深い森の中にいるようだった。今まで防具なしに戦闘したことなどいくらでもあったはずなのに、今夜はやけに心細い。じっと、私を見据えるような長鎗の彼女の眼がそれを助長させている。


「眠れませんか」


 ふいに、長鎗の彼女が話しかける。

 心の内を覗かれたように。


「はい。手元に装備もなく眠ることが心もとないのです」

「それは不安、ということでしょうか」

「分かりません。ただ、それだけが私を護ってくれたものですから」


 なるほど。そう呟いて、長鎗の彼女は黙ってしまった。ただ視線を宙に泳がしているその眼は、何か考えているように見える。どうだっていいのだ、私のことなど。ただ、今は監視しているのだから装備は返せない。そう返答してくれれば。それで、私は納得するのだから。

 しかし彼女はしばらく中空を眺めたあと、やがておもむろに口を開いた。


「ずっと独りだったのですね、きっと」


 やめてほしい。


「知っていますよ、白髪の歴史。だから目に見えて護ってくれる装備が恋しいのですか」


 答えない。

 ただ私は、私を理解したようなその言葉をやめてほしい。そういう言葉は、ただ私を油断させる手段にすぎない。首都ルユで、そう学んだ。


「ですが関係のないことです。カルムではそんな歴史教える必要がありませんから。知っている人も中にはいるでしょうが」


 巨躯の彼もそんなことを言っていた気がする。

 生活するうえの知識を優先しているのだろうが、それだってただの甘言だ。歴史を知らないから虐げられないということは分かる。だが、人は初めから髪が白いからと言って迫害するわけではない。物珍しさで弄ることはあるだろうが、そうではない。人は知ることで、迫害する理由を覚えるのだ。

 少なくとも、幼少期はそうだった。


「それは嘘です。そう言って油断させる者がいることを、私は知っています」


 拒絶するように、言う。

 油断させる者がそれで認めるわけはないが、自衛するため私は言わざるを得ない。そして、これ以上何かを言う必要はない。

 それに、長鎗の彼女は肺の底からというふうに溜め息をついた。


「首都ではそういう人達がいたのでしょう。ですが、私たちの村、いえ、少なくとも私の世界に貴女を虐げる人はいません」


 じっと、私を見据えている。

 私の心の臓を握り締めるかのような眼光で。

 答えない。

 それだけが、私を自衛する手段だからだ。


 雨の降るような音がする。

 湯舟から湯がざあざあと溢れている音だ。恐らくはロラが入浴している音だろう。

 ということは、もう少しでロラがやって来る。それでこの話は終わりだ。

 もう一度、長鎗の彼女は溜め息をつく。今度は軽く息を吐くように、そして目を閉じる。


「一つだけ聞きますね。騎士様」


 目を開く。

 真紅のように鮮やかな、その瞳を。

 入浴しているということは、その間ロラに聞かれることはないということでもある。短い尋問、ということだろうか。


「野盗を手引きしたのは、貴女ですか」


 暗く鋭い不平を感じた。

 虐げる者はいないといいながら、結局はそうなのだと。心の中で嘆息して。


「……いいえ」


 信用されるわけもない言葉を紡ぐ。

 しかし、途端。

 彼女の左目が、噛みつきでもするような異様な光を帯びる。決して比喩的な意味ではなく本当に、水のような蒼さで。強く、星のように光って輝くと、そうして蒼い眼光は目の底で弾けた。

 魔的な何か。

 明らかに、それは目に宿る魔的なモノだった。

 彼女もまた魔法使いだったのだろうか。自分の中の冷静さが、徐々に蒸気となって霧散していくのが分かる。超常的な力を行使されんとしているのだ。私は魔法を見た経験がほとんどないが、何が起こってもおかしくないのが不可思議だ。そしていま、それに対抗する術はない。

 しかし弾けて消えたということは、既に攻撃が終わっている。そう至ると、私は観念するように瞼に蓋をした。

 だがその意とは裏腹に長鎗の彼女が分からないという意志を表すように、声を漏らす。


「……何かが邪魔をしますね。ですが」


 深く息を吐く。

 分からない。だが今のところ、私に不調の兆しはない。あの瞳は、攻撃の合図ではないのか。いや、毒のように後から効果が発揮される型式かもしれないため、安心は出来ない。


「そうですか、安心しました。どうやら嘘はついていないようですね」


 その発言は私の脳内の着地点を消失させるには十分だった。あの眼はなんなのか。そして何故、私が嘘をついていないことが分かったのか。整理しても分からない。事柄を記した布切れが氾濫しているようだ。

 だがその答えを彼女に聞くまでもなく、この尋問は終わりを告げる。小刻みに足音を立てながら、階段を上って来る音がしたからだ。


「お待たせ」


 包んだ毛布を抱えながら、ロラが現れた。

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