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episode44 「私もそちらを使わせて頂きましょう」

 一瞬、時間の流れが止まったかのような静けさが襲う。永久に囚われて、抜け出せなくなるような深さがあった。実際には何秒かの時間のはずが、時計の針が止まったかのような感覚に陥っている。

 しかしやがて、暗示的な微笑を浮かべた。


「なんて、食事のときにする話ではありませんでしたね」


 その言葉で、ようやく時間が再び動き出したように感じた。膝に手を置いた長鎗の彼女の姿は、先ほどの厳粛な顔つきは身を潜めて別人のような存在へと変容している。百合の花にも似た清らかな淑女。少なくとも、目の前の彼女に戦士の面影は見られない。


「もうリーデったらやめてよー、騎士様びっくりしちゃうじゃん」


 苦笑とも悪がりともとれない複雑な笑いかたをして、頭を曲げる。恐らくはロラなりに場を和まそうとしたのだろう。長鎗の彼女もそれに対し、すみませんなんて言いながら微笑む。

 事情を理解しているのだ、ロラは。だからこそさっと話を流すことが出来た。

 話から察するに、彼女は私と同じ元孤児であるが、その背景はまったく違う。彼女は故郷を知っているが既に無く、私は知らないどころか残っているかどうかも分からない。

 ただ私と違って、空っぽではないように見える。敵がいるという点以外では。

 喚び起こす。蝿の魔獣という単語を。記憶という暗い洞穴の中を、奥深くへと辿っていく。しかし記憶の引き出しには何も入っていない。そんな魔獣、私は知らなかった。

 首都にいた頃、私は魔獣とではなく人とばかり戦っていた。戦ったことがないわけではない、ただもしかしたら、私が知らないだけで、戦争ではなく魔獣に何かを奪われた人もたくさんいるのかもしれない。そう思った。

 そうして腰を据え考えていると、夕餉は既に終わっており片付けが始まっている。鍋と皿は既に調理場へ持っていかれ、またしても私は後ろめたい気持ちを抱えることとなった。この場で私は何もしていないではないか、と。ロラの指先が青く赫奕し、水流が発生した。底の深い皿を満たす程度の水量ではあるが、それがロラの手となり使用した食器を洗っている。

 薬師というからには、治療に秀でた魔法使いだと勝手に思っていたが、どうやら違うらしい。


「ロラは色々な魔法が扱えるのですね」


 本のページをめくる。その程度の興味本位で聞いた。


「いやいやー、あたしは治療専門。火と水は便利だから少し覚えた、ってだけ」


 魔法に関しては一切分からない私にとっては、それも凄いと思うのだが。そんな意を持ってロラのことをじっと見つめると、彼女は照れ隠しのつもりか軽く肩をすくめてみせた。

 実際、火と水を発生させ操れるというのは便利で怜悧だ。鍋への着火、汚れた食器への流水。生活や薬師の作業上、その実用性を考えれば、その選択はとても冴えている。


「実際ロラさんは色々扱えますよね。風火水土、ある程度」


 微笑みながら、長鎗の彼女が横やりを入れる。


「ちょっとリーデ」


 大きく声を上げながら、ロラは肩をくすぐる自分の茶色い髪の毛先を引っ張った。自分の評価をされるのがむずがゆいらしい。

 場を律する彼女と、いま目の前でロラをからかう茶目っ気のある彼女。どちらも長鎗の彼女であるが、場によって人格ごと切り替えているようにすら思えた。それくらい、長鎗の彼女は顔つきと口調が場面によって違う。公私の切り替えがしっかり出来る人間は優秀だと言えるが、一瞬一瞬でそれが出来るのが彼女だ。

 だとしたら、先ほどの魔獣の話の際に垣間見た彼女は、一体どちらなのだろうか。

 考えたところで分からないため、放棄する。


「騎士様はどこで就寝されているのですか」


 なんて話しかけられたためだ。


「上の階を借りております」


 一度しか使っていないため、寝場所と認識していいかは微妙な線である。


「あぁ、あの使っていなかった二階! でしたら私もそちらを使わせて頂きましょう」


 ぱん、と手のひらを叩いて言う。

 確かに、彼女は私の見張りの意を込めてロラの家に来ている。そのため、その提案には同意である。二人程度なら広さも問題ないだろう。


「えっ、ずるい。あたしも上で寝ていい?」


 そこに、間髪入れずにロラが口を出す。指先から放出する火で皿の水気を飛ばしながら。本当に、便利な魔法の使い方をする人だ。

 だがそれは難しいだろう。就寝を共にするのは監視の意味があってのことだ。それにロラの安全性のためでもある。従ってロラも寝処を共にしてしまっては、私に対する彼女の安全性と信頼性が証明出来ない。

 ――否、とかぶりを降る。

 何を言っているのだ、私は。

 信頼関係などどうでもいいと、この村に来たときに自分の中に落とし込んだではないか。

 しかし、


「あら、いいじゃないですか」


 あっけらかんと、彼女は言った。私の中の定石を上回る意外性のある言葉。

 意図がよく分からない。長鎗の彼女が私の監視の意味で来ているのなら、安全性のためロラと私の寝処は離すべきだろう。もしかすると、彼女がここにいるのは別の意図があるのだろうか。

 分からない。

 分からないため、いまは長鎗の彼女の意向に従うことにする。

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