「きーしーさーまー!」
扉を開けた途端、そんな大声が辺りいっぱいに炸裂した。なんとなく予感はしていたが、店主ほどではないにしろ予想以上のロラの声。そしてその後ろで、長鎗の彼女が結んだままの唇にかすかに笑みを浮かべている。
「ロラ、もう夜も遅いので」
その言葉に一瞬、擦り傷を触られたように顔をしかめる。しかしすぐに唇を尖らせて拗ねたような表情を浮かべると、突然私の腕を掴み家の中に引きずり込んで扉を閉めた。
「でも! でも! 心配したんだよ?」
ロラの顔を見たのは一昨日、店主に事を依頼されて以来となる。確かに、居候の者が丸一日以上帰ってこなければどうしたのかと思うのは道理だ。私でさえ同感である。もし理由が伝わっていないのなら、その不安はさらに増す。
そういった点で言えば後ろめたい気もする。ただ、出会って四日しか経っていないのだ。この私に対して少し大袈裟ではないか、とも思う。
ロラはひとしきり刺し貫くほど私を睨めつけておいて、やがて草のような息をひとつ吐いた。
「心配したんだから」
「……申し訳ありません」
その言葉に、またむっとして私の額から鼻にかけた辺りを目でむちうつ。私を心配してくれたとして、何に対してなのか。それに、心配された経験がほとんどないのだ。
まだ、その言葉には慣れていない。
「まあまあロラさん、その辺で」
長鎗の彼女が宥める風に言うと、その鋭かった感情が次第に溶けていく。そうしてロラはふうと一息入れたあと、木製の肘掛け椅子に背中を押し付けるようにして座った。
弁解するなら、タイミングが悪かったと言うしかない。不在の間にタイミング悪く野盗が来てしまった。いわば不可抗力である。ただそれに対し何か言うでもないし、私はロラの文句に反論する気もない。
「理由は聞いたけどさぁ」
今日何度目かの唇の尖り。
「だったら尚更騎士様別に悪くないじゃん」
「可能性がある限りは仕方ないことなのです」
そうだけどさ。
言ってロラは台所に移動すると、そのまま鍋に火をかけた。指を鳴らした途端に着火したところを見るに、恐らくは火の魔法によるものである。薬を作るときも、こうやって炎を現出するのだろうか。その間に私は鎧を脱ぐよう長鎗の彼女に言われたため、そのようにした。
異論はなく、そそくさと私は装備を解除し始める。
しかし私が全ての鎧を外し終えるその前に。ロラは鍋に息を吹きかけると、火はまるで生き物みたいに揺らめいた後、ぽかっと消えた。
しかし鍋を持ったロラが壁に埋め込まれた暖炉の前を通ると、くべてあった薪に一瞬にして燃え上がり、部屋の中を赤く照らす。その様は、まるで火が燃える場所を転移したかのようだ。
「二人とも、夜ご飯まだだよね。あたしもまだなんだー」
蓋を開けた途端、鍋の湯気が立ち騒ぐ。
中には一口サイズに切られた肉、にんじん、ねぎ、キャベツ、玉ねぎ、セロリがやわらかく煮込まれている。
「残り物だけど」
記憶を呼び起こす。
ポトフ。
これは確かポトフだ。
とても昔の記憶だが、口にしたことがあったと思う。
胃を刺激するような美味しそうな温かい匂いが部屋を漂い始める。所感ではあるがこれをマズいと言う者はいないだろう、そんな香り。
「手伝います。お皿はこちらでよろしいですか」
「うん、ありがとうリーデ」
しれっとお皿が保管してある棚を把握している辺り、この家には何度も来ているのだろう。それも食事を共にしている。その点からも、だいぶ親密な仲だと窺える。
私が脱いだ鎧を片隅に置いている間に、そうして夕餉の準備が整ってしまう。それくらい、彼女らの動きはテキパキとしていた。それこそ私が入る隙間などないくらいに。少し申し訳ない気持ちが湧き出る。机の上に置かれた皿には、既にカットされた肉野菜とコンソメスープが注がれており、夕食が始まるのを待っていた。
昼食から六時間ほど経過した、理想的な夕食の時間。人らしい扱いをされているように感じる。いけない、こんな温かな感情を感じるのは。あぁ、いつでも裏切られたときの心の準備をしておかなければ。
空いた木造の椅子に促される。肘掛けの、座ったことのない椅子だ。それに二人は何の躊躇もなく腰かけた。
「騎士様?」
私が座らない様子に違和感を持たれ、呼びかけられる。こんなしっかりとした椅子に自分が座ってしまっていいものなのか。逡巡が私を捉えるが、最終的に座ることで押し切った。
「じゃあ、いただきます!」
食事の合図だろうか。その台詞と共にスプーンを手に取ったところを見るにそうらしい。私も軽く頭を下げて食器を手に取る。一口スープを口に含むと、筆舌に表現しがたいような味であった。当然、それは美味という意味であり、人匙すくっては味わい、一匙すくっては味わう。その味は否定しようがなく、止め処なく手が出てしまう。
少なくとも快く感じた。それほど胸の中は熱を感じていたに違いない。
二人とも静かに食事を進ませて行く。会話というものは交わされず、長鎗の彼女のお褒めの言葉に対し謙遜するロラという風景。鍋の中はすぐに空となった。
胸には自然と満ち足りた気持ちが湧き上がってきていた。
「美味しい、と思います。とても満ち足りた気持ちになりました」
思わず、言葉が零れた。
途端にロラから小躍りしそうなほどの喜色が表れて、子供のような頬をほころばせて手を叩く。正直なところ「美味しい」という言葉でそこまでの反応を見せるとは思わなかったため、妙な歯痒さを感じてしまう。
「私ももう郷土料理みたいに思っていますよ。それくらい馴染み深いです、ロラさんのポトフ」
手のひらを合わせながらそう言った。完食、そんな意味だろうか。
それよりも。
「郷土料理みたいに、とはどういった意味でしょうか」
想像出来るのは移民。
ただそうなると、村長夫婦もこの村の出身ではないという意味となる。奥様ならその可能性もあるだろう。しかし、村長がカルムの出自でないとは考えづらい。
で、あるなら。
「はい、私はお父様とお母様に拾われてこの村に住んでいます。ですが、えぇ。故郷と同じくらい愛しています。なので騎士様、何も気まずくならなくてよいのですよ」
眉一つ動かさず、そう言った。
なので本当なのだろう。
「まあそれは別として」
途端。固唾を吞んでいるような真剣な色が表れる。何かに取り憑かれた、とすら思った。
「私の故郷を破壊したあの魔獣だけは死んでも探し出したいと思ってます。絶対に赦さないもの。ですから騎士様、蝿の魔獣をご存じありませんか」