目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
episode39 「よほどのことがなければ外に出るというのはありません」

 視線の先にいたのは、果たして巨大なトカゲであった。大きさは先日の狼と同程度と言っても間違えではないだろう。全身を青黒い鱗に包み、下顎からは突出した牙がそびえ立つ。鋭い剛爪を携えた前足から放たれる一撃は、容易に人の命を奪えるだろう。ひと目見ただけで分かる、村の脅威となる存在。今まで気配を感じなかったことや姿の凶悪さから、魔獣に位置する存在と言って差し支えないはずだ。

 恐らくは野盗とは関係のない、この近辺に生息する魔獣。野盗の中に魔獣を操れる魔法使いがいるなら話は違うが、だとするならもっと前に襲われているはずだ。徘徊性の魔獣なのかもしれない。火のような巨蜴の魔獣の瞳は、奥様を刺し抜くほど睨めつけている。確かに、もし魔獣が捕食を目的としているなら、この中で一番抵抗力のない者は奥様だ。


「奥様、村の中へお願いします」


 勧告すると、身を返して去って行く。すぐさま反応して離脱出来る一般市民はなかなかいるものではない。が、巨蜴の魔獣はそれにすぐさま反応して地を這うようにして追いかける素振りを見せた。対して、即座に地面へ向けて大剣を叩きつけることで進路方向を遮る。

 巨蜴の魔獣は脚を止め、今にも切れそうな目つきで私を睨みつけた。


「シメオン様、この村はこんなにも毎日のように脅威に脅かされているのですか」


 問うと、杖術の彼はその質問を払いのけるように頭を振って否定した。恐らくは本当だろう。もし本当に普段から外敵の脅威に襲われているのなら、そもそもヤグラが出来てからでいい、なんて流暢なことを言っている場合ではないのだ。

 巨狼に半蛇、それに野盗と目の前の巨蜴。なんて、タイミングの悪いときに着任してしまったのだろう。

 ただ、脅威は常にやってくる可能性がある。現にいまは、目の前の巨蜴の魔獣に対処しなければならない。

捕食の邪魔をした私を腹立たし気に見ていた魔獣が、その躰を完全にこちらへ向ける。どうやら標的を私へと変更したらしい。そのままその頑強な爪による一撃を、私目掛けて振り下ろす。揮われた爪撃は、しかし大剣を盾にするようにして防ぐ。

 途端、鼓膜を襲う金属的な音。それはその一撃が、この鉄塊に相当する威力であることを示している。しかしその間に、杖術の彼は既に動いていた。即座に後ろへ回り込むと、大剣と睨み合いをしているその横から、手に持った杖を鼻先へ振り下ろす。

 生物に対して鼻先への攻撃は有効だ。多くの神経が通い、その分反応も鋭敏となる。

 鼻先に一撃を揮われた巨蜴の魔獣は苦しそうに身悶えて、騒がしいほど嘶き立てた。その隙に、身をよじらせ無防備となった首元へ、大剣を振り抜く。躊躇なく、切断するつもりで。

 しかし首元へ揮ったその感触は鋼のように硬く、傷つけることなく後方へと投げ飛ばす形となった。

 硬く、刃を通さない鱗。振り抜くのではなく振り下ろす一撃で通るかどうかというところだろう。ただ鼻先の攻撃には苦しむ様子を見せていたため、攻撃出来る部分がないわけではないはずだ。形的に近しい種であるトカゲなら腹部が柔らかい。

 だが目の前のあれは常識外の存在だ。半蛇の魔獣に至っては人格を持って魔法を使っていた。となれば、この巨蜴の魔獣も特殊なアクションをしてきても不思議ではない。

 態勢を立て直し、巨蜴の魔獣が改めて私を見据える。そのまま刺し貫いてきそうな目つきで、まるで火の塊のように感じた。眼差しが赤く閃光する。躰の表面はばきばきと何かが砕けていく音と共に変容して、鎧めいた甲殻を帯びた。

 いまの一瞬のやり取りで、戦闘態勢へと移行したのだ。

 汗が一滴、額から瞼へと流れ落ちてぶら下がる。通常の状態でも刃が通らなかったのに、それ以上硬く変容したとなると、一体どこを撃てばよいのか。

 剣の柄を握り直す。

 それを合図とするかのように、巨蜴の魔獣が疾走を始めた。地を這うように走り出し、跳躍する。幸いそこまで速いわけではないが、だからこそ今まで接近に気が付かなかったのだろう。進行方向は私、鼻を攻撃した彼よりも狩りの邪魔をしたこちらを選択する辺り、餌に対する逆恨みが相当あるらしい。

 関係ない。

 愚直に殴り掛かって来るその暴力。再現かのように振るわれる爪撃に合わせ、その鼻先へ刀身を叩きつける。分かりやすく攻撃の通りやすいと検討をつけていた部位への攻撃は、しかし。鼻先を硬化させることで防がれてしまう。

 それでも神経が集中しているという事実は変わらないようで、一瞬だけ硬直した。そこへ、杖術の彼が下から打ち上げるように喉元へ杖を叩き込む。

 ダメージは恐らくない。しかし、杖による一撃は、巨蜴の魔獣をほんの一瞬浮き上がらせるには十分な一撃だ。無防備になったその顎へ蹴りによる一撃を放つことで、巨蜴の魔獣は吹き飛ぶように大きく後退した。

 ただそれでも、巨蜴の魔獣には大した痛手とはならないだろう。すぐさま体制を立て直すと、三度魔獣は私に恨みのこもった眼差しを向ける。

 本当に、謂れのない逆恨みだ。騎士という役職でなければ相手になどしていない。

 ふう。

 軽い、気だるげな嘆息。

 それが飛んできたのは、まさにそんなときだった。

 後方から槍を模った焔が、中空に赤い軌跡を残しながら魔獣の元へと飛んでいく。それは突然の出来事で、あまりにタイミングのいい加勢だったため、都合のいい幻覚なのではないかと思ってしまった。


「シメオンさん! 騎士様!」


 だが、呼ぶ声がある。

 それは確かに、今朝会った長鎗の彼女、その人だった。

 長鎗の彼女が放った焔槍は、魔獣に当たりこそしなかったものの、その周辺を確かに抉りとった。

 窪みの中心に突き刺さった、彼女が昨夜持っていた槍。それを見終えると、魔獣は風に吹かれた木の葉のように、体を斜めにして逃げ去っていく。それを見て私は追撃しようと大剣を投げ飛ばす体制を取るが、杖術の彼が遮るように腕を差し出す。

 追撃する必要はということらしい。

 確かに、ここに立っているには村の番人をするためであり、魔獣を斃すためではない。わざわざ追撃してここを空ける必要はないだろう。

納得し、大剣から手を離す。


「お二方、ご無事ですか」


 後方から呼びかけられる。

 恐らく奥様が呼びに行ったのだろう。警戒態勢で自警団みなが出払っているなか、先ほど戻ったばかりのご息女だったから助けを求めることが出来た。


「感謝致します」


 言うと、「いいえ」、そう言いながら私たちを抜き去って槍を回収しに行く。結構前の方へ投擲したようで、結局彼女が戻ってきたのは体感で一分ほどしてからだった。


「魔獣ファリニッシュ・レッド。通常は洞窟を棲みかとしているはずなのですが……」

「魔獣は明らかに私たちを獲物と認識していました。餌を求めて流れてきたというわけではないのですか」


 対して長鎗の彼女は首を横に振った。それに合わせるように風がそよいたみたいに長い髪が揺れる。


「ありません。ファリニッシュ・レッドは全てを洞窟で行います。よほどのことがなければ外に出るというのはありません」


 なるほど。

 なら、そのよほどが本来生息していた洞窟で起こったのだろう。近辺の洞窟を調べればその理由を知ることが出来そうだが、いまは優先すべきことではない。相対して、確かに脅威ではあるが、村に侵略行為を行う可能性がある野盗よりは後にしていい事案である。

 そう何度も来るのであれば、彼女らが対応するだろう。私はこの場を動くわけにはいかないのだから。


「すみません、お聞きしてもよろしいですか」

「……これのことですか」


 まるで既に分かっていたかのように、彼女は自分の槍を掲げた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?