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episode36 「あまり触れられたくないことでしたか」

 ただ予感がして、目が覚めた。

 他人の力で目覚めることなど、憂鬱の塊でしかない。少なくとも、私はそう思う。今まで何度かその機会を経験したが、自分は起きているのにお前は眠り呆けている、という優位性を振りかざしてくる。そして私を嘲ることで気を良くしていくのだ。

 眠らせてくれないのもまた、起こす者だというのに。状況からして無視するわけにもいかないのがまた煩わしい。

 今回先に目を覚ましたのも、つまりはそんな気配を感じ取ったからだった。

 眠っていた部屋の扉が開いたと同時、初めからそういった仕掛けだったように刎ね起きる。


「おはようございます。……ああ、既に目覚めていますね。流石ですね騎士様」

「おはようございます、リーデ様」


 そこに現れたのは、果たして長鎗の彼女であった。夜警から戻り、その足でかは定かではないが、ともかく私を起こしにやって来た。夜通し立っていたであろう彼女の相貌からは、特に疲労した様子を窺えない。なので、恐らくは夜警に慣れているのだろう。普段から夜警に立ち慣れているのか、それともこういった警戒態勢はよくあるのかは分からないが、つまりはそういうことだ。


「そろそろ交代の頃合いです。なので、準備をお願いします」

「今はどなたが守っておられるのでしょうか」

「セシルさんですね」


 双剣の彼女だ。

 今までの印象では、あまり真剣に守備をしているイメージはないが、警戒態勢では違うのだろうか。どのみち、私は任をこなせればいい。

 誰かが運んでくれたのか、寝床の隣にいつの間にか昨日身に着けていた装備が置かれていた。物音がしたら勝手に起きるものだと自分では思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

 ただ、今まで着込んでいた肌着がなく、代わりに少し洒落た肌服がある。鎧を装着するのに煩わしさはなさそうだが、服が突然別の物は変えられていることに違和感を覚えた。それとも、カルムでは肌着を贈ることが習慣なのだろうか。


「すみません、今まで着ていた肌着があったと思うのですが」

「ああ、あの使い古された。だいぶボロボロでしたので、差し出がましいとは思うのですが新しい物を差し上げましょうとお母様が」

「そうでしたか、感謝致します」


 自分では何も思わなかったのだが、そんなにもみっともない肌着だったとは。着ることが出来れば何でもよかったため、愛着などは持ち合わせてはいなかったが、新しい肌着を渡されるとなると話は違う。

 相手に優位性が発生するのだ。どちらにせよ、見るに堪えないほどのみすぼらしい姿、そう思うほどあの肌着は汚かったのは確からしい。


「御礼を述べたいのですが、奥様はどちらにいらっしゃいますか」

「お母様でしたら台所にいますよ。ですがそうですね、今はやめたほうがいいかと」

「どうしてでしょうか」

「……朝の台所は戦場なんですよ。なのでどうしてもとおっしゃるなら、全て事が終えた後にお願いしますね」


 そういうものなのか。よく分からないが、長鎗の彼女がそう言うのならそうしよう。思いながら、装備を整えていく。寝間着を脱ぎ、頂いた肌着を着る。たしかに以前の服と違い、肌に擦ようがその感触で不快になるようなことがない。そう考えると、あの肌着は古くなっていたのだと認識させられる。


「脱いだ寝間着と寝床はそのままでいいので、着替えたら居間にいらしてください」

「分かりました」


 言いながら、鎧を装着していく。その様を、長鎗の彼女はただじっと見ていた。監視の意味もあるだろう。現に大剣はこの部屋には在らず、彼女の腰には短剣が差してある。昨夜には見られなかった装備だ。私に圧力をかける、それだけの剣。別に短剣程度であればどうということもなく、また攻撃を加える気もないのだが、彼女もまた私をそんな目で見るひとりだということだ。

 装備し終えたことを見終えると、長鎗の彼女はそのまま部屋を出ていく。


「あの、騎士様」


 しかし扉を閉めるその前に、立ち止まる。


「なんでしょうか」


 答える。


「珍しい。騎士様は白髪なのですね」


 心臓を握られたような、そんな感覚。頭を隠すフードを付けていないのは昨夜の流れから当然なのだが、村長が何も言ってこなかったので失念していた。まだカルムでは、この髪を忌み嫌う言い様にほとんど遭遇してはいないが、本来は隠しておかねばならないもの。最早今更と言えるが、私は彼女の呼びかけよりも優先して、畳まれていたフードを手に取った。

 対して、長鎗の彼女は困った表情のまま愛想笑いを浮かべた。私がさっとフードを取ったことに困惑して、「えっと……」と考えあぐねるように視線を中空に彷徨わせる。

 泥沼に落ちたようだ。どう思ったろう。少なくともこのフードを早く被らねばという行動が、かえって彼女を辟易させてしまったことには違いない。

 無礼と言えるだろう。相手が上官なら、即座に殴られていた。


「ごめんなさい、あまり触れられたくはないことでしたか?」

「いえ、絶対というわけでは。ですが、申し訳ありません」


 それに、長鎗の彼女はつとめて何ともない風に微笑した。和ませとも、訝しみともつかないひきつり。しかし「気にしていない」と言うまでには少しだけ間があった。


「綺麗な髪だと思いまして。厭わしいと思われたのなら申し訳ありません」


 言うと、そうして彼女は部屋を出て行った。

 少しだけ、頭の中が真っ白になる。カルムで白髪のことを言われたのは、これで二度目だろうか。連日この色を綺麗だと言われるなど、素直に受け取ることなど出来ない。

 そんな都合のいい言葉、あるわけがない。今まで圧倒的に、気分を害してしまうことのほうが多かったのだから。

 嘘。

 これは嘘だ。

 よくてお世辞。

 そう、脳内で完結する。

 そこでようやく思考が再稼働して、一つ、息を吐く。先ほど抱えた煩わしさを切り捨てて、任に向かうために。

 そうして着替えを済ませると、居間へと向かった。

 居間には既に昨夜の面子が何人か集まっており、その中には先ほどぶりの顔もある。副村長だけがまだ来ていないようで、私を迎える視線達は昨夜と比べ幾分か柔らかい。


「おはようございます」

「おお、おはよう騎士殿。よく眠れたか」

「はい、お陰様で」


 そりゃあいい、なんて言いながらくっくと小刻みに笑う。しかし長鎗の彼女が呟くような小さな咳払いをすると、村長は思い出したかのように立ち上がった。そして壁に立て掛けてあった私の大剣を手に取ると、受け取れと言わんばかりにこちらへ突き出してくる。


「本当は、人様の武器を没収なんてしたかなかったんだがな」

「お父様」


 窘めるように彼女が言うと、ばつが悪そうに頭を掻いた。実際、立場的に疑いのある私の武器を没収していたのは間違いではない。それには私も納得している。

 恐らくは村長の性格の問題だろう。危機感を持っていないと言うわけではないが。

 大剣を返してもらったところで、図ったように入り口が叩かれた。それには長鎗の彼女がさっと反応し、扉付近まで近づいて来訪者を問う。


「ワタシだ」


 それは副村長の声だった。その声により扉が開けられると、ゆっくりと副村長が入ってくる。昨日と同じ羽織りものに、洒落た青のシャツ。副村長は私を見るなり唇の右の上に意地の悪い皺を少し刻んだ。


「おはようございます」

「おはよう騎士様、今日からよろしく頼むよ」


 嫌味のない、しかしたしかに口撃を感じ取れる口調。副村長はそのまま空いていた椅子へと腰を降ろすと、私を一瞥した。恐らくは早く行けという意である。

 その意思を感じ取ると、私は速やかに村長の家を出た。

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