森を通り野原を通り、カルム村に到着したときには夜も深くなっていた。鎧の内の肌着は未だ濡れており、刺すような冷気が鋭い切っ先となって肌に突き刺さる。その痛みを伴いながら辿り着いた村の入り口。その前に立ち塞がる、長鎗を携えた見知らぬ女性。背まである栗毛に柔和なその顔立ち。茶色い外套だけが、彼女を外敵ではないことを知覚させる。
「貴女が騎士様ですか」
棘のある、しかし不思議と皮肉な響きのない声色。
「はい、その通りです。あなたは?」
「……自警団のリーデと申します。お見知り置きを」
そう言って、頷くほどの小さな礼をした。額から離れた前髪が、力なく揺れている。
先日ここにいた、双剣の彼女が言った台詞を思い返す。曰く、自分ともう一人でここを護ってきたのだと。そのもう一人は巨躯の彼であることが判明している。つまり長鎗の彼女がここに立っているということは、現在何かしらの事情が発生しているかもしれないということだ。
仮にあの二人のどちらかが門番に立てない理由が出来たのなら、代わりに長鎗の彼女が立っているのにも頷ける。しかしそれが、もし村内の事情であるならば私には関係のないことだろう。私はただの騎士である。商人の奪還は村の物流に関わる問題で、私にも無関係ではないことだったため介入しただけだ。
私が介入してなんになろうか。
「失礼ですが、騎士様は今までどちらに」
「商店のご主人に依頼されて南の森におりました。近頃贔屓にしている商人を見かけないとのことで、その捜索を」
「どうして南の森に?」
「鎧を洗いたかったので。川か泉は近くにあるか番人の方聞いたところ、森の中にあると」
「……なるほど。クリエさんの言ったことと差異はないようですね」
確認するかのように口に出す。クリエという人物に覚えはないが、話の流れから店主のことだと思われる。一体何を確認しているのか、彼女の言い回しはどこか訊問じみていた。
まさか逃げたと思われているのだろうか。しかし自分は店主から頼まれ、そして何人かに己の行動を報告して言ったはずだ。その者達に尋ねれば筋は通る。そしてこうして帰ってきた。自分がこうした疑いを掛けられる謂れはない。
「何か問題があったのでしょうか」
「はい。実はつい先ほど、野盗がこちらを窺っていたのです。アレクシさんが一矢放ったら逃げて行きましたが、念のため警戒を」
そうでしたか、そう呟いて反芻する。本来その対処は私がしなくてはならないことだ。ここが軍の詰め所であったら、即座に上官の拳が飛んできたことだろう。そのためにお前がいるのだろう、と。別の任を遂行していた、というのは軍では言い訳にならない。だからと言ってここカルムでは許されるということではなく、攻撃されていないとは言え、もし被害が出ていたとしたら責任は全て私に生まれただろう。
村長は本格的に任に就くのはヤグラが完成してからでいいと言っていたが、こうして村が警戒態勢を取っているのは私が抑止力として働かなかったことが原因である。どちらにしろ、私に落ち度があることに変わりない。
それともう一つ。頭に浮かんだことといえば、森中で襲われた野盗のことである。私は彼らにカルムの騎士であることを伝えた。もし彼らと村の様子を窺っていたという野盗に繋がりがあった場合、原因を作ってしまったのは私である可能性がある。
ただ、可能性があるだけで、それは是というわけではない。確かにこの村の門番は一人だ。襲いやすさは否定出来ない。それでもここが今まで無事なのは、やはり自警団のおかげなのだろう。
「申し訳ありません、全て私が機能していなかったせいです」
それに、長鎗の彼女は首を振った。
「いいえ、私はそうとは思いません。ただ、そうですね。悪い感情を抱いた者がいるのも事実です」
何をしていたか知らない者のほうが多いのだ、騎士としての責務を果たしていないと非難されても仕方のないことだろう。実際は不可能ではあるが、私が事を為していないのは事実である。
「脅威があるのなら私も立ちましょう。村長はヤグラが出来てからでいいとおっしゃっていましたが、元々そういう役目を持って着任したのですから」
「えぇ、よろしくお願いします。ですが報告することも聞く必要もあるでしょう、まずはお父様のところへ行くよう。家にいるはずですから」
「リーデ様のお父様、ですか?」
知らない者だ。
「あぁ、すいません。ついいつもの調子で。村長のことです」
言って、花が咲いたように微笑んで見せた。
なるほど、村長夫婦のご息女なのか。そう思いながら二人の風貌を思い起こす。どちらかと言えば奥様似の顔だろうか。ただそれもあえて言うならという話で、目の前の彼女に村長夫婦の面影はあまりないように思える。親子があまり似ていないという話はよくあるのだろうか、私には肉親と呼べる者がいないためよく分からない。
ただ、村長の娘でありながら自警団に所属していることから防衛意思は高いと感じられる。私の記憶する限り、フリストレールの王子や王女は自ら戦場に出るということはしていないはずだ。後衛で指揮はしていたかもしれないが、階級が低かった私の知るところではない。
「村長のご息女であられましたか。挨拶が遅れて申し訳ありません」
「……いえ、いいのです」
どこか澱みのある言い方だった。後ろめたい事情でもあるのか、ただそれを追求する必要はない。今は彼女の言った通りにしなければ。
そうして一礼すると、カルム村へと入った。
村内は夜も深くなってきたともあって村人の往来はまばらだ。もとからそれほど雑踏というほどではなかったが、それにしては少ない。警戒態勢というのもあるだろう。ただ、それにしては門番が長鎗の彼女一人というのは疑問だ。よほど彼女に信頼を置いているのか、そう納得することにする。身分は私のほうが上だが、それだけだ。任地で揮える権限など騎士にはない。
これから村長に会いに行くが進言できることはなく、またする気もない。私がやることはあくまでこの村の守護だ。それが望まれていいようとも、いなくとも。
まばらにいる村人が私を見る。悪い感情という長鎗の彼女の言葉が、眼となって自分の上に注がれているのを感じた。言葉があるわけではない。ただ普段気にしないことを考えているあたり、少なからず頭の片隅に置いてしまっているのだろう。
自覚して、振り払う。
気にしないことでしか自衛出来ないのだから。
ほどなくして村長の家へとたどり着いた。ここまでランタンしかなかった明かりが、この家からは煌々と漏れている。他よりも少しだけ大きい、青い屋根の家。村人は家に籠り、要人が集まっているものと思われる。門番以外の自警団は何処で何をしているのだろう、まさか本当に長鎗の彼女一人で護っているわけではないはずだ。
考えながら、扉を4度ノックする。途端に家の中からは雑多な言葉が渦巻いたが、すぐに静まった。錠の開く音がして、扉がゆっくりと開く。そして恐る恐るという風に開いた扉から村長の奥様が顔を覗かせると、私の顔を見て緊張が解けたのか安堵の表情を見せた。扉越しの会話なしに開けるのは不用心と言えなくもないが、まあ律儀に扉をノックする野盗もいないだろう。
「騎士様! なかなか帰ってこないので心配していたところだったんですよ」
「夜分遅くに申し訳ありません、頼まれた事もあったものですから。村長はいらっしゃいますか」
「えぇ、どうぞ」
言って、半開きだった扉を解放した。開け放たれた扉からは中央のテーブルに坐する何人かがいて、その中には店主も含まれている。そういえば、前回は入るまでには至らなかったことを思い出す。
「失礼いたします」
そう言って入った家の中には、木の香りを含んだ緊張感が住み着いていた。間取りはロラの家より少し大きいというくらい印象を受ける。違うのは物の量だろうか、あちらも作業に使う道具が並んでいるというだけで散らかっているというわけではないが。
「おぅ、来たな騎士殿」
両腕を閂のように組んで、テーブルから少し離れたところに村長は立っていた。
「夜分に失礼いたします、ご息女にここへ来るようにと」
「あぁ、間違えねぇ。俺が呼んだ」
「事情は聴いております、騎士として機能出来ず申し訳ありません」
「ヤグラが出来てからでいいって言ったのは俺だ、気にすることじゃねぇ」
ですが。
そういう前に。
「そういうわけにはいかないんじゃない」
私の言葉を奪い。指を絡ませてテーブルに坐する彼は、口を挟む機会を狙っていたかのように言った。したたかに、まるで自分に視線を向かざるをえなくなるようなタイミングで。