ロラの家に戻ると、彼女はいつの間にか戻って来ていた。幼馴染である鍛冶屋の様子を見に行っただけなので、そこまで長居はしなかったのだろう。見ると薬草をすり潰しているところで、どうやら昨日制作していた治癒液は違うらしい。制作過程を見ていないため、もしかしたら同じものを作っている可能性も捨て切れないが。
「あれ、騎士様お帰りー。随分遅かったね」
「カルムの構造を把握しておきたいと思いまして。少し歩いておりました」
「そっかそっか」
すり潰した薬草を鍋に入れながら、ロラは同意するような人懐っこい笑顔を見せた。
「それで、一通り見て来たって感じ?」
「いえ、商店のご主人に頼まれ事をされてしまって」
「商店……? あぁ、もしかしてその人声が大きい?」
同意するように頷くと、呆れたように口角に笑みを作った。ロラがそう言うからには、あの店主は普段から声が大きいことで村に浸透しているのだろう。
「それで、頼み事って?」
ロラは作業するその手を止めて聞いてきた。話す内容をしっかりと聞こうという姿勢を感じる。対して、私は店主の依頼を出来るだけ彼が言ったことをそのまま彼女に伝えた。説明は苦手だ。正確に事を伝えなければ殴られる環境にいたせいで、言葉にする際妙な緊張感が胸を締め付けてくる。痛かったというわけではないのだが、やはり苦手と言わざるを得ない。
「あぁ、確かに最近来ないわぁ。あたしもたまに薬を卸してたからさ、どうしたんだろうって思ってたんだ」
ロラは思案するように首を傾げると、机の上に並んだ何本かの瓶に目をやった。商品として渡すつもりでいた治癒液なのだろう。カルムに寄る商人は一人ではないため特にという風ではなさそうだが、たしかに困る者が何人もいるなら解決したほうがいい事案だと、私は思った。もちろん、私の都合が噛み合ったからというのが大きいが。
「その商人の特徴を教えてもらえますでしょうか」
「特徴かぁ。そうは言ってもグリフォンに乗ってるのが一番の特徴だからねぇ」
それではグリフォンと一緒にいない場合、判断が出来ない。そう言うとロラは家のあちこちをうろうろしながら思案に耽った。それほど特徴のない人物なのだろうか。眉間に皺を寄せ、唇を尖らせながら唸る。
そうしてしばらく考えたあと、「あっ」という声を上げてその場で立ち止まった。
「騎士様と同じで、女性でフードを被ってるよ」
「髪色は茶色でしょうか」
「ううん、見たことない髪の色だったよ。多分……緑?」
それが、一番の特徴だろう。日常的に見ていたため、恐らく特徴として挙げられなかったのだ。ただ、緑髪の民族とは相対したことがないため、どこの国の者なのかは分からない。
「ありがとうございます」
そう言って、私は二階の部屋への階段に歩を進める。相変わらず、一段上がるたびにぎしぎしと囁き声がして不安になる階段だ。ただロラは使っていなかったのだから、私がとやかく言える権利はない。借り部屋へ上ると隅に寄せてあったアタッシュケースに、先ほど押し付けられた革袋を詰め込んだ。
なるべく荷物は少ないほうがいいだろう。数日かけて歩き回るわけではないため、携帯食料は必要ないと思われる。武具さえ不備がなければ、それでいい。
革袋の用事だけ済ませると、階段を下りる。みしみしと軋ませながらそれを下ると、ロラが作業を再開していた。薬草を煮立たせ、昨日と同じように翡翠の赫奕を鍋の中の物に魔力を注いでいる。そういえばと川か泉が近くにあるか聞きたかったのだが、今は話しかけないほうがいいだろう。
集中しているロラの横をさっと通り抜けて、家を出た。
巨体の番人は相変わらず腕を組んで村の入り口に立ちはだかっており、その光景は先ほどと全く同じである。違うのは、言い争っていた兵士がいないことだろうか。
ロラのときと同じようにその横を通り過ぎようとすると、しかし呼び止められる。
「どこに行くんだ?」
そして、周囲の散策と頼まれ事について説明する。外に出る理由を話すのはこれで二度目だが、巨躯の彼はロラとは違いただ「そうか」とだけ言ってまた前を向いてしまった。それはそうだろう。なにせ口の悪い兵士を呼び寄せてしまったのも、また白髪問題を持ち込んだのも私なのだから。
それよりも、今は川や泉の場所を知ることのほうが優先である。口の悪い兵士や白髪の問題、そんなことは私が前に立って壁になればいいだけのことだ。
「川か泉? 川なら南に行ったところにあるが、何の用だ?」
「鎧を洗いたいのです。昨夜、汚れてしまったので」
「ロラに言ったら喜んで洗ってくれそうだけどな」
そういうわけにはいかない。ロラは現在作業中で、それに既に居候という負担を強いているのだ。とてもでないがそんなことを頼むことは出来ない。
「いえ、自分で洗いたいのです」
この鎧は私が賜ったものである。私を守ってくれるものの一つであり、おいそれと人に託すことは出来ない。
巨躯の彼も、それで納得したように「なるほどな」と自分自身に聞かせる声量で呟く。
そうして、ひとまず行き先を南方と定め、私はカルムを出た。