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episode14 *silencieux

 しかし、その羽ばたきはすぐにけたたましい鳴き声と変わった。正体不明の存在に捕まってしまったのだろう、何羽かの羽音が次々と消えていくことから、その獣は何体もいることが窺える。切り裂くような声はまるで、首を絞められて助けを呼んでいるかのような叫びだった。

 断末魔はしばらく続き、やがて沈黙した。結局、逃げられたのは初めに飛び去った一羽だけのようだ。自然界において仕方ないとはいえ、何羽もの断末魔と捕食音が耳にこびりついてしまう。あまりいいものではない。

 そして、捕食者の移動が始まる。素早く明確に、音は私へ近づいてきた。ランタンの灯りに誘われてやって来ているのだろうか。ランタンを地面に置いて、大剣を右脇に取り、剣先を後ろに下げる。私の太腿よりも太い刀身に、私よりも高い全長。だが振り抜ければ、害獣が何だろうが 始末出来るはずだ。

 足音が増えていく。三頭くらいだろうか、思っていたよりはなんとかなりそうな頭数ではある。

そうして、闇の中から蜃気楼のように獣は現れた。牡牛ほどの体躯に灰色の毛皮。一匹一匹が生粋の狩人たる存在で、口元は先ほどの梟を捕食した証である血でまみれている。

それは巨大な狼だった。

 魔獣とも言うべきその存在。これほどに巨大な獣が村周辺を彷徨いていることにも驚きだが、なによりこの脅威に対して注意喚起がまるでなかったことのほうが驚きだ。巨狼程度なら日常的な事、ということなのだろうか。

 であれば、騎士である私がその巨狼程度を斃さないというわけにはいかない。力不足、村民にそのような評価を下されるだろう。狼にしては些か巨大な気がするが、問題ない。万が一アレらが文字通りの魔獣という存在で、魔的な能力を使用してこなければの話だが。だがその存在は、魔法と同じく衰退の道を辿っている。可能性を否定することは出来ないが、大きくはないはずだ。

 ならば目の前の彼らは害獣という枠に属する存在だろう。その凶暴さと厄介さから、接するには危険と評された獣。騎士や兵は害獣から街を護る役目も兼任している。従って、私もその役目には倣わなくてはならない。

 灯りにランタンを選んだのは正解だった。これから雨が降ろうかという天候に加え、狼は火に寄って来る獣だ。鎮火するまで居座り続けると言われており、狼が住む地域では夜には火を使うなと元上官に言われた記憶がある。カルム村が夜に灯りを消してしまうのは、恐らく狼が夜行性のためだろう。灯りにランタンを選んだのは正解だった。

 どうやらあちらの足並みは揃っていないようだ。群れならば首領である番いは見受けられず、もう少し数が多くてもおかしくない。たまたま群れの中の三匹が好き勝手に梟を食い荒らしていた、というのが私の予想だ。

 唸りが周囲の空気を張り詰める。三匹は興奮状態にあるらしい。加えて群れの個体も合流する可能性がある。相対するのは避けられないだろう。

 合流する前に目の前の三匹は対処し終えておいたほうが望ましい。どれほどの戦力差になるか分からないものと戦闘するのは、好ましくない。思って、剣の柄を今一度握り直す。

 その、途端。

 刃物で頬をひと撫でされたような、冷たい感覚。次の瞬間に、ぽつと、雨が顔に当たった。静かな、春雨のような雨。その冷たさに、私は思わず空を見上げた。

 それを合図に、巨狼は唸り声をあげて走り出す。完全に、私が目線を外したことによる失態だった。


「……」


 ふうと、息を整える。

 その牙が狙うのは私の喉元だ。的確に首へと噛み付いて、早急に息の根を止めようかという一撃。その体躯に似合わない軽やかさが、波濤のように圧力を掛ける。しかし、攻撃箇所が分かってしまえば返しはさほど難しくはない。私の喉元へ飛び込んでくるその大口目掛け、思い切り大剣を振るう。

 断末魔さえなく、あっけなく狼は絶命した。叩き込んだ一振りによって、口から尾にかけて両断されて。私の後方でそれがどさりと落ちた。その音を切っ掛けに、弾かれたかのように残り二匹が私へと襲いかかる。

 吼えが周辺の空気を切り裂く。辺り一帯を殺意が満たし、下手に動いたら死んでしまうかもしれない、そんな緊張感。その中を、二匹の巨狼が押し寄せてくる姿はまるで津波のよう。なんにせよ、興奮状態にある狼を村へ入れるわけにはいかない。

 振り上げた大剣を威嚇のように振り下ろすと、切っ先が目の前に落ちてきたせいか内一匹の足が一瞬止まる。もう一匹の疾走は止まらなかったが、飛び込んでくる先は変わらず私の首元だ。右腕を突き出してやると、そのまま前腕へと食らい付いた。その突進力に押し込まれて少し後退してしまうが、どうにか足に踏ん張りを利かす。流石に国から賜った鎧だけあり、非常に頑丈である。ぎりぎりと金属が軋む音はするが、痛覚までは伝わって来ない。

 鎧の強固さを評価している余裕はない。目の前の狼の喉元を蹴り上げて噛み付きから逃れると、素早く後ろへ距離を取る。

 喉元を蹴られた狼は苦しみ、その場で停止していた。いずれ復帰するだろうが、少しの間だけ、無力化することが出来たらしい。悶えている間に追い打ちをかけたいところではあるのだが、それは叶わない。なぜなら既に、もう一匹の巨狼が目の前に迫ってきていた。一瞬怯んだだけの、無傷の獣。大口を開け、私の喉元に食らいつかんと飛び掛かって来る。先ほど喰らった梟の血で、口元は紅にまみれていた。その波濤のような重圧は、まるで大量の水を浴びているかのような圧迫感を錯覚させる。しかし、その質量は恐れるに足りない。目と鼻の先まで迫りくる、その巨狼の鼻先目掛けて、剣身を叩き込んだ。

 鼻を殴打された巨狼は甲高い鳴き声をあげて地に伏した。固結びのように丸まって、痛みのためにもがき苦しむ。狼の鼻先は鋭敏だ。その嗅覚を研ぎ澄ませるため、通常箇所の何倍もの神経が密集している。伝達する痛みが多いということは、その分ダメージも大きくなるということだ。いま巨狼がもだえもがいているのは、つまりはそういった要因に因る。そして大きすぎる隙に、攻撃を加えない手はなく、首元に大剣を振り下ろす。硬く、岩にでも攻撃したかのような感触。もし持ち込んだ武器が片手剣であったなら、恐らく切断は出来なかっただろう。

 夜のなかを斜かいに雨が糸をひく。風に運ばれた雨滴が正面から顔を捉え、小さな針を並べたかのように肌を刺した。

 残った一匹が戦線復帰とばかりに吠えたける。己を鼓舞する雄たけび、或いは群れへ遠吠え。様々な隠喩が含まれた咆哮は、遠くに聞かせるように長く尾を引いた。

 巨狼は顎を引いて、身を固くして警戒態勢を取る。目の前で二匹の仲間が斃されたことで、先ほどの興奮状態が鎮火したのだろう。狼は頭のいい生き物だが、仲間意識の強い獣でもある。落ち着いたとはいえ、私への怨嗟は沸々と滾らせていることだろう。その細められた眼には陰々とした影が差し、焔のような警戒心を絶やさない。

 見えない壁でもあるかのように、巨狼は動かない。遠吠えにより知らせた、群れの仲間が来るのを待っているのだ。増援はなるべくなら避けたいところではあるのだが、距離を詰めればその分だけ距離を取るだろう。剣を投擲すれば屠れる可能性もあるが、得策ではない。

 近づけば近づくほど、後退していく巨狼。左右に移動すれば同じように巨狼も左右へ動く。しかしただ退がるだけではなく、時折威嚇するように唸り、私に敵意を向け続ける。その場合、私も無理に距離を詰めることは出来ない。後退させ続けるということは、群れに少しずつ近づくという意味でもあるからだ。そのまま立ち去ってくれるのなら解決するのだが、それは無理な話だ。巨狼の標的は私に定まっている。帰ってくれる可能性はないと言っていい。ただ、照準は完全に私へ向いているため、少なくとも今は素通りされて村へ侵入されるという確率は少ない。そうなった場合は、それこそ剣を投擲して串刺しにするしかないが。

 私が巨狼との距離を詰めているのは、なにも無理に近づこうとしているわけではない。先刻中途半端に穿った、双剣の彼女が役目をサボっていたあの岩。その場所までたどり着くと、砕けた石ころがそこには転がっていた。岩自体を砕いたわけではないが、それでも突き刺したことで、礫となる石が光明と言える。攻撃は偶然の出来事ではあったが、こうして膠着状態を崩せるのならば結果として正解だった。

 思いついたのは偶然だった。巨狼との睨み合いによりたまたま視界に入り、転がった石が攻撃手段に成り得るのではと。相手が攻め手ではないことも幸運である。警戒態勢とはいえ、すぐにでも殺してやろうという攻撃的な意思で前に出てこられていたら、時間を掛けてこの位置までは来られなかっただろう。

 そうして、砕けた石礫を拾い上げる。

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