返事はない。
代わりに風だけが答えるように通り過ぎていく。
「その岩に隠れている方、もしいるのなら姿をお見せください」
もう一度、呼びかける。
連続して走るそよ風が、人による沈黙をより一層引き立てた。杞憂ならいい。しかしその岩はこの入り口という場所においてあまりに都合よく存在し、人が身を潜めるにはあまりにも都合のいい大きさだった。
あるいは、もし初めからそこに敵兵がいたら、という失敗を払拭したかったのかもしれない。物に気づかないというのは元兵士として、あまりに情けない失態である。
しばらく静寂が漂ったあと、背負った大剣を降ろす。そして固定していた帯革を外すと、引き抜けるように角度をつけて鞘ごと地に突き刺した。本来大剣に鞘は必要ないのだが、鞘を持ち込んだのは列車を経由して運ぶにあたっての安全性の考慮である。鞘はタイムラグにしかならない。戦場には抜き身で持っていくのが常識だ。なので、こうして引き抜ける時間が存在することは幸運と言える。
剣を引き抜いた金属音をしてなお、岩陰に反応はない。気にしすぎならばそれでいい。しかし、突然現れたあの岩を確認しない理由にはならないだろう。
自分の背丈よりも大きな剣、その柄を握る。そして両腿にぐっと力をいれ、勢いよく地面を蹴った。
剣先が岩へと突き刺さる。先端が岩へと突き刺さり、剣先が半分ほど喰い込んだ。
「ひぇっ」
岩からは答える声があった。やはり、あの岩は誰かが身を隠すために置かれたのだろう。念のため確認しておいて良かった、そう安堵しながら力を込める。ただ、刃先はそれ以上前へ進まない。砕くつもりで刺突したが、どうやら折れてしまう前に断念したほうがよさそうだ。
引き抜くため岩に足を乗せる。
「ちょっ、ちょっと待って!」
すると、岩陰に潜む者が慌てた風に姿を現した。声に含まれた焦燥感から、まさか攻撃されるとは思っていなかったことを感じさせる。茶色い外套を纏い、華奢だが四肢はほどよく引き締まっている。肩まで伸ばした栗色の髪と、切れ目の長い二重まぶた。腰に差された二本の短剣が、彼女も自警団なのだと主張していた。
「セシル様ですか」
可能性がある者の名を言ってみる。新参者の私にはその村人が誰かは当然分からない。もちろん、たまたま潜んでいた者の可能性も十分にある。その場合は仕方がない。
しかし、彼女は「なっ……」と驚いて大きな声をあげかけた。その声は、まだ声にならない次の瞬間に咽喉の奥に引き返してしまったが、結果としてそのリアクションは彼女がセシル本人なのだということを肯定している。
「入り口に警備がいないことを報告したところ、それはセシル様が関係しているとロラが」
岩から剣を引き抜いて、言う。
「ロラから? あちゃー、やっぱ休んでたのばれてたかぁ」
「警護の職務怠慢は綻びの原因になります」
対して、双剣の彼女は「まあまあ」と飄然とふわふわとした返事をする。サボっているところを私に見つかり、咄嗟の気まずい場面を取り繕うような生返事を入れて誤魔化そうとしているのだろう。どちらにせよ、現段階では彼女に先ほど決闘した彼らのような高い防衛意識があるとは思えない。
「あなたも自警団、なのですか」
「そうだよ、変かな?」
「いいえ」
その問いが何についての物珍しさなのかはよく分からなかったため、追求はしない。
「しかし参ったよ」
沈黙が訪れることがよくないことかのように、彼女は続ける。
「なにが、ですか」
「まさかサボってるところを騎士様に見つかるなんてさ。まあ、アタシなら敵が来ようが寝てても対処できるけどね」
強い慢心力。守護というのはそういった油断から綻びが生まれるのだ。
「ここに戻ってきたのはあれかな。見回りか、それともこの場所が欲しいのかな」
ふいに投じられた一言に、はっと目を見開く。彼女に対する評価を改めなければいけないような、そんな言葉。私の行動を見透かしたような指摘は、冷水をうちかけられたような一驚だった。
「でも困るよ。ここはアタシの持ち場なんだ」
しかし、その言葉。「アタシの持ち場」その言葉で、彼女が私へ話を続ける理由がなんとなく察知出来た。ようするに、自分のする責務を取らないでくれという話だろう。こう行く先々で役割を奪う奪わないの話をされては、またかと少し辟易する。
「しかしセシル様は現に、番人の役割をおろそかにしていたではありませんか」
「そんなこと言われてもね、アタシだってあれで警戒してるんだよ」
私が剣を抜いて岩に突き刺すまで、彼女は何の反応も見せなかった。それに岩を刺した際に漏れた「ひぇっ」という声、あれは完全に油断していたからこそ出た反応だ。それらから、とても彼女が警戒していたようには見えない。
そんなこと言われても。そっくりそのままオウム返しにしてもいいのだが、押し問答にしかならないため言葉は飲み込む。
「アタシは別に騎士様を信用してるわけじゃないから、はい分かりましたってここを譲ることは出来ないよ」
確かに、彼女は前の騒動では顔を見せていない。いたからと言って信用を得られるというわけではないが、私に対してどことなく距離があるのは彼女もまた自警団だからだろうか。
「今までずっとアタシともう一人でここを護ってきたの。騎士様が来たからはいどうぞ、ってわけにはちょっとね」
一つ行動するたびに足を取られる、重い泥濘を行くような感覚。自発的に動いてこれだ、私は一刻も早く任務に就かなければならないのに。今まで責務を全うしてきた自衛団の責任感と誇りとやらが、それを阻む。
ただ、彼女ともう一人だけでここをずっと護っているという言葉には些か疑問である。彼女たちは私と違い、別に押し付けられているわけではないため、適切な任の時間というものが存在するはずだ。それを二人と言うのは、本当であれば負担を掛け過ぎていると言っていいいだろう。
「ただ、アタシも面倒なのは嫌でね。こうするのはどうだい」
思わぬ提案に、息を呑む。前の騒動の者達より柔軟で、かつ譲歩出来る余裕を持っているようだ。
「簡単だよ、一晩ここを護ってくれるだけでいいの」
「それでいいのですか」
「えぇ」そう彼女は頷く。持ち場を譲る引き替えというからどんな提案かと思えば、一晩入り口を守護するだけだと言う。まだ難易度が分からないため簡単な試験だとは言い切れないが、想像していたより日数は少ない。
「分かりました」
それで任に就くことが出来るならと、二つ返事で快諾した。正しくはこの任務はヤグラが完成するまでの間なのだが、何もしないという選択肢よりはいいだろう。村長が言うには一日、二日程度らしく、試験を受けてまでする任ではないのかもしれないが、意味はある。少なくとも、夜の警護の様子がどの程度か推し量ることが出来るはずだ。
「明日の朝にはもう一人が来ると思うから、言っておくよ。じゃあよろしくね」
そう言って村の中に入っていく。よろしく、というのは少なからず信頼のある者に言う言葉だ。しかし彼女は私を信用しているわけではない。恐らく出来ないと思っているのだろう、とても皮肉めいた言葉である。
去る最中、「あ」と思い出したことがあるかのように足を止めた。
「火は絶やさないようにね」
それだけ言い残して、今度こそ村の中へ姿を消す。
獣が火を怖がるというのは半分正解で、半分は間違えだ。恐れて去っていく個体もいるが、逆に寄ってくる獣もいる。今まで村の入り口を護ってきた者がそれを知らないわけがない。そのため、命の危機に陥るならばその助言は躊躇なく破らせてもらう。
そうしてこの場所へ来た理由どおり、いまようやく私はカルム村で騎士として役目を果たせることとなる。