「あの」
論争の中にツブテを投じる。
「外敵を払うのが役目だと仰いましたが」
「あ? あ、あぁ」
まさか横から口を挟まれるとは思ってもいなかったらしく、村長は一瞬思考が停止したようだった。
「任務に着くことが出来なければ、困るのです。私は」
追い返されても帰るところがない。
そう言おうとした、そのとき。 図ったかのようなタイミングで、それは聞こえてきた。
「歌、でしょうか……?」
それは満潮めいた歌声で、収集のつかないその場を突如飲み込むように満たしていく。波濤のように押し寄せる低い耳ざわりのよい声は、ぴりぴりとした神経を一瞬のうちに波にさらってしまった。
「あぁ、そういやそんな時間か」
呟くような声で村長が云った。気づけば私以外皆、同じ場所を見つめている。木造で組まれたヤグラだった。恐らく、外敵の襲来を感知するために造られたものだろう。しかし今それは、一人の女性が歌うためだけに使用されている。
「昼時になるとさ、あの子が歌うことになってるんだよ」
後ろからロラが教えてくれた。私は芸術には疎いが、この歌が素晴らしいものだということだけは分かる。
私も含め、皆がその歌に聞き入っていた。歌はどうやら愛する者に出会えた喜びを唄ったもののようで、心と身を委ねたくなるように安らぎを与えてくれる。経験のない感覚だった。
やがて歌が終わると、歌い手はしばらくヤグラの上に立ち尽くしていた。距離があるためあまりはっきりとは見えないが、どうやら背中まで伸ばした、黒髪を持つ女性。清廉な顔つきで、それでいて手付かずの雪のような飾り気のなさ。黒髪はフリストレールでは見ない髪色で、恐らくどこか遠くからやって来たのだろう。兵士時代に見た覚えがあるのだが、どこの国で見たのかは忘れてしまった。
じっと見つめていると、どうしてか少女が煌めいて見える。冬に見上げる夜空のように、星屑が彼女の周囲をまるで舞うように輝いているのだ。視線が吸い寄せられる。幻覚でも見ているのだろうか。それにしてはその光だけがやけに鮮明だった。もし私の体に異変が起きていて、それによって幻を見ているとするならば。これから五体満足で任務を行っていくにはあまりに不穏な事象である。
「ロラ、少しよろしいでしょうか」
「ん? どうしたの騎士様」
「彼女がまるで光って見えるのですが、もしかして彼女は魔法のようなものが使えるのでしょうか」
問うと、一瞬まるで遠くのものを見つめるような、少しぼんやりとした顔つきを見せ、そして口元を綻ばせた。真面目に問うたつもりだったのだが、ロラにとってはそうではないらしい。
「それはきっとね、あの子が素敵な人だからだよ」
「素敵な人、ですか?」
「そうそう。こんな遠くからでも騎士様には光って見えちゃうくらい、クラリカが魅力的に見えたんだね」
クラリカ、とは歌うたいの少女のことだろう。確かに、彼女の歌はとても素晴らしいものではあったが、だがそれだけだ。きっと歌があまりに良いものだったため、その歌い手ということに引っ張られ、彼女自身にも心惹かれてしまっているに違いない。恋い焦がれるという経験がなかったため、脳が誤認してしまったのだ。
話したことも、ましてや顔もはっきり見えない。恋い焦がれるように心臓が早鐘を打つわけでもない。きっと、彼女という歌うたいに感銘を受けただけだろう。そうでなければ、この気持ちに説明が出来ない。
「おう、騎士殿。ちょっといいか」
ちょうどよいタイミングで、村長が思考を遮る。自分でもよく分からない感情に侵されているところだったため、丁度良かった。
「予期せずところで言っちまったが、騎士殿には外敵の相手を頼みたい。村の入り口付近にヤグラを建てておくから、出来次第そこで警戒してくれ」
「承知致しました」
私が歌うたいに気を取られている間に、話し合いを纏めたのだろう。先ほどまでの喧嘩腰の水掛け論とは違い、スムーズに終幕へ至ったようだ。
「それで家なんだが、急に国から言われたことだったからな。実はまだ用意出来てなくてな」
「私は野営でも構いません」
「んなわけにはいかねぇだろ。とりあえずウチに……」
「そんな、ご迷惑では」
「って言われてもな、若い娘をその辺に転がしておくわけにもいなねぇだろ」
「ですが」
あの家は村長の家であり、かつ夫婦の家だ。そこに私のような者が一定期間でも入っていくことなど出来ない。やはり初めに言ったとおり、野営で済ませるべきではないだろうか。幸い経験もある、村の入り口付近に簡易的な天幕を設置すれば、騎士としての責務を果たすことが出来る。設置するための道具は持ち込んでいないが、幸い周囲は自然に溢れている。丈夫そうな枝を立て、フードを屋根代わりすれば外気くらい凌げるだろう。
もう一度それを提案して、しかしと堂々巡りになる。
「そうだ」
突如閃いたかのように、ロラが手をぱんっと叩いた。
「うちに来なよ。村長のところよりは安心出来るでしょ?」
それこそ申し訳がない。ロラには初日にも関わらず、何度も手を煩わせている。そのうえ家に厄介になることとなれば、もう私の性能では恩を返しきることが出来ない。
「いいってそんな遠慮しなくて。ほら」
そうやってロラに手を掴まれた際、手がひりついたことで巨躯の彼を抑え込むことは容易ではなかったと、そう主張していないことを思い出す。だがしかし、今から広場に戻ってすることではないと思い頭を振った。
そして、強引に手を引かれて。私は何日かの間、ロラの家に身を置くことになってしまった。