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141話 その頃のイレーネ

「おはようございます。昨夜はお世話になりました。伯爵様、奥様」


ダイニングルームに入ると、イレーネはケヴィンの両親に丁寧に挨拶をした。


「良く眠れましたかな?」


「まぁ、イレーネさん。その服、良く似合っていらっしゃるわ」


ケヴィンの両親が穏やかに話しかけてくる。


「はい、素敵なお部屋でした。それにお洋服を用意して頂き、大変感謝しております。本当にありがとうございます」


「どうぞ、イレーネさん」


ケヴィンが椅子を引いてイレーネに勧める。


「ご親切にありがとうございます」


そんな様子を微笑ましげに見つめるケヴィンの両親。ケヴィンもイレーネの隣に座ると穏やかな朝食が始まった。


2人はイレーネについて根掘り葉掘り尋ねてくることはなく、それがとてもありがたかった。


(きっと、ケヴィンさんが事前に何か御両親に話されていたのかもしれないわね)


イレーネは隣で食事をするケヴィンに心の中で感謝する。


やがて食事が終わると、イレーネはケヴィンに尋ねた。


「ケヴィンさん、本日もお仕事があるのですか?」


「ええ、ありますよ。今日は9時から駅前交番に勤務です」


「そうですか……駅まではどのようにして行かれますか?」


「馬に乗っていきますけど?」


「それなら、私も乗せていただけないでしょうか?」


その言葉に夫人が会話に加わってきた。


「イレーネさん。駅に行かれるの?」


「はい、汽車に乗るつもりです」


何処にも行くあてが無かったイレーネは『コルト』に戻るつもりでいた。

ベアトリスが『デリア』にいる以上、もうここにいてはいけないと思ったからだ。


(最後に……直接、皆さんの顔を見て挨拶をしたかったけど、それは無理ね。私はもうマイスター家とは無関係になってしまったのだもの。リカルド様との契約書は後で郵送にしましょう)


「イレーネさん。本気ですか?」


イレーネの言葉にケヴィンが真剣な眼差しを向ける。


「汽車に乗って何処へ行くつもりなのだい?」


「自分の故郷に帰るつもりです。……待っている人がいるので」


本当はそんな人はいない。

イレーネはひとりぼっちなのだから。けれど、親切なケヴィンと彼の両親を心配させたくは無かったのだ。


「待っている人というのは誰かね?」


伯爵が尋ねてくる。


「はい、私の祖父です」


(お祖父様のお墓は『デリア』にあるもの。待っている人と答えても大丈夫よね……)


「そう。お祖父様が待ってらっしゃるなら……仕方ないわね」


夫人が残念そうにため息をつく。


「イレーネさん……」


ケヴィンはイレーネを悲しそうに見つめるのだった……。


食事が終わり、2人はダイニングルームを出るとケヴィンが提案してきた。


「イレーネさん。もし、よろしければご自分の自宅に寄っていかれませんか?」


「え? ですが……」


「荷物とか、何か家に残されているのではありませんか?」


ケヴィンはまるでイレーネの事情を知っているかのように尋ねてきた。


「荷物……そうですね。残してあります。取りに行かせていただいても宜しいでしょうか?」


「ええ。勿論ですよ。それでは8時になったら家を出ましょう」


「何から何までご親切にありがとうございます」


「いいえ、どうぞ気になさらないで下さい。では僕も準備してきますので、後ほどお部屋に迎えに行きますね」


「はい、分かりました」



****


――8時


イレーネは迎えに来たケヴィンとともに、伯爵夫妻に見送られながら屋敷を後にした。


「こんな風にイレーネさんと馬に乗るのは2度目ですね」


馬上でケヴィンが話しかけてきた。


「そうですね。 あれは私が初めて『デリア』に到着した日のことでした。懐かしいですわ」


(思えばあの日、私は素晴らしい求人に出会えたことに希望を持って『デリア』をおとずれたのだっけ。何だか酷く昔のように感じられるわ。きっとマイスター家で過ごす毎日がとても幸せだったから、そんな風におもえてしまうのかもしれないわね)


思わず感傷に浸っていると、ケヴィンが尋ねてきた。


「イレーネさん。なにか考え事でもしていたのですか?」


「ええ。この美しい景色を目に焼き付けておこうと思ったのです」


「……そうですか」


ポツリと呟くように返事をするケヴィンの声は、どこか寂しそうだった――



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