「ま、まさか……ベアトリス? 君なのか!?」
ルシアンの顔に驚きの表情が浮かぶ。
「ええ、そうよ。2年ぶりね……会いたかったわ。本当に」
それは本心からの言葉だった。だが、ルシアンの顔は曇る。
「今更……何故俺の前に現れたんだ? 2年も経って……あんな手紙だけで行き先も告げずにいなくなったのに?」
「仕方なかったのよ。あの時は色々あったから……だけど、その態度は何? こっちはどれほどあなたを思っていたのか知りもしないくせに。私を責めて、挙げ句にさっき一緒にいた女性は誰なのよ!」
自分の立場も忘れて、ヒステリックな声をあげるベアトリス。
「何だって? 彼女を見たのか?」
ルシアンは眉を潜めた。
「ええ、見たわ。とってもチャーミングな女性だったわね? 笑顔がとても素敵だったわ……彼女の悲しい顔が見たくないなら、場所を変えましょう。もしこの場に彼女が戻ってきたら、私何を言い出すか分からないわよ?」
「……脅迫するつもりか?」
その言葉に、ベアトリスの美しい顔が歪む。
「聞き捨てならない言葉ね? かつては、あんなに愛し合った恋人同士だったというのに。何なら彼女に教えてあげましょうか? 私達がこれまでどんな風に愛し合ってきたか……」
「やめてくれ!」
ルシアンは声を荒げた。
「……分かった、場所を移動しよう……」
「ええ、懸命な判断ね。それじゃ別の場所へ行きましょう?」
ベアトリスは美しい笑みを浮かべると、背を向けて歩き始めた。
「イレーネ……」
ルシアンはポツリと呟き、イレーネがいる方向を振り返った。
(すまない、イレーネ。だが……どうしても君を傷つけたくは無いんだ……)
ルシアンは覚悟を決めて、ベアトリスの後をついて行くことにした。
ときに激しい情熱をぶつけてくるベアトリス。このままイレーネと鉢合わせすれば、気の強いベアトリスが何をしでかすか分からない。
(昔は、彼女のそういう気の強いところが好きだったが……)
けれど、今のルシアンはイレーネと過ごす時間が何よりも大切になっていた。
明るく天真爛漫な彼女。
それでも時折、自分だけに垣間見せる弱さ。そんなイレーネを守ってやりたい。
彼女を心の底から笑える様にさせてあげたい。
それだけ大きな存在になっていたのだ。
(すまない、イレーネ。ベアトリスときっちり話をつけたら、必ず迎えに行くから……どうか、待っていてくれ……!)
けれど、ルシアンは甘く考えていた。
自分が今一緒にいる相手は世界の歌姫「ベアトリス」であるということを。
「おや!? もしや、あなたはオペラ歌手の「ベアトリス」令嬢ではありませんか?」
不意にベアトリスは40代と思しき男性に声をかけられた。その人物の周囲には人だかりが出来ている。
「ええ、そうです。ベアトリスですわ」
「そうでしたか! 私は今夜のレセプションの主催者です。本当に今夜はお忙しい中、出席していただきありがとうございます」
「何ですって? マッケンロー社長ではありませんか!」
ルシアンは驚き、声をかけた。
「え……? おや、誰かと思えばマイスター伯爵ではありませんか。そういえば当主になられたそうだね? おめでとう」
マッケンロー社長は笑みを浮かべる。
「え、ええ。ありがとうございます」
ルシアンも笑顔で挨拶を返すが、内心非常に焦っていた。
(なんて事だ! よりにもよって挨拶しようと思っていた相手と出会ってしまうなんて……! 最悪だ……!)
「まぁ! ルシアン、ついに当主になったのね!? おめでとう!」
ベアトリスがルシアンを振り返った瞬間。
「マイスター伯爵! それではベアトリス令嬢が婚約者だったのかね!」
マッケンロー伯爵の声が大きくホールに響き渡った――