イレーネ達が馬車の中で盛り上がっていた同時刻――
ルシアンは書斎でリカルドと夕食をともにしていた。
「ルシアン様……一体、どういう風の吹き回しですか? この部屋に呼び出された時は何事かと思いましたよ。またお説教でも始まるのかと思ったくらいですよ?」
フォークとナイフを動かしながらリカルドが尋ねる。
「もしかして俺に何か説教でもされる心当たりがあるのか?」
リカルドの方を見ることもなく返事をするルシアン。
「……いえ、まさか! そのようなことは絶対にありえませんから!」
心当たりがありすぎるリカルドは早口で答える。
「今の間が何だか少し気になるが……別にたまにはお前と一緒に食事をするのも悪くないかと思ってな。子供の頃はよく一緒に食べていただろう?」
「それはそうですが……ひょっとすると、お一人での食事が物足りなかったのではありませんか?」
「!」
その言葉にルシアンの手が止まる。
「え……? もしかして……図星……ですか?」
「う、うるさい! そんなんじゃ……!」
言いかけて、ルシアンはため息をつく。
(もう……これ以上自分の気持ちに嘘をついても無駄だな……。俺の中でイレーネの存在が大きくなり過ぎてしまった……)
「ルシアン様? どうされましたか?」
ため息をつくルシアンにリカルドは心配になってきた。
「ああ、そうだ。お前の言うとおりだよ……誰かと……いや、イレーネと一緒に食事をすることが、俺は当然のことだと思うようになっていたんだよ」
「ルシアン様……ひょっとして、イレーネ様のことを……?」
「イレーネは割り切っているよ。彼女は俺のことを雇用主と思っている」
「……」
その言葉にリカルドは「そんなことありませんよ」とは言えなかった。
何しろ、つい最近イレーネが青年警察官を親し気に名前で呼んでいる現場を目撃したばかりだからだ。
(イレーネさんは、ああいう方だ。期間限定の妻になることを条件に契約を結んでいるのだから、それ以上の感情を持つことは無いのだろう。そうでなければ、あの家を今から住めるように整えるはずないだろうし……)
けれど、リカルドはそんなことは恐ろしくて口に出せなかった。
「ところでリカルド。イレーネのことで頼みたいことがあるのだが……いいか?」
すると、不意に思い詰めた表情でルシアンがリカルドに声をかけてきた。
「……ええ。いいですよ? どのようなことでしょう」
「実は……」
リカルドはルシアンの話に、目を見開いた――
****
――21時
ブリジットの馬車がマイスター家に到着した。
「送って頂き、どうもありがとうございました」
馬車を降りたイレーネがブリジットに礼を述べた。
「あら、いいのよ。だって誘ったのは私の方なのだから」
「それでは、また今度ブリジット様をご招待させていただいてもよろしいですか? アメリア様もご一緒に」
「あら? また誘って頂けるの?」
アメリアが嬉しそうに笑顔を見せる。
「はい、また手作りのアップルパイをご馳走させてください」
すると、とたんにブリジットとアメリアの目が輝く。
「本当!?」
「楽しみにしているわ!」
「はい、今度は前回よりも多めに焼きますので」
そして3人は次回のお茶会の約束を交わすと、ブリジットとアメリアを乗せた馬車は去って行った。
「フフフ……今夜は本当に楽しかったわ……ずっと、こんな生活が続けばいいのに……」
けれど次の瞬間、イレーネの表情が陰る。
「いいえ、それは無理な話よね……」
(だって、もうルシアン様は時期当主になることが書面で決定されたのだから。契約の内容はルシアン様が時期当主になれるまで。リカルド様は1年という期限を設けたけれど……)
だが、ルシアンが当主になれば契約は完了したも同然。
これ以上イレーネが婚約者でい続ける必要はルシアンには無いのだ。
(レセプションで私を結婚相手として発表する意味も、本当はもうルシアン様には無いのよね……なのに、どうしてかしら……まだここにいてもいいのだと期待してしまいそうになるわ。そんな風に思ってはいけないのに……)
思わず暗い気持ちになりかけるも、イレーネは自分に言い聞かせる。
「駄目よ、イレーネ。欲をかいてはいけないと、お祖父様に教わってきたでしょう?」
そして気を取り直したイレーネは、屋敷に向かった――