正午にお茶会はお開きになった。2人の令嬢はイレーネ特製のアップルパイを手土産に持たされ、満足気に帰って行った。
「フフフ……とても楽しかったわ。やっぱり女性同士のお話っていいわね」
片付けをしながらイレーネは笑みを浮かべる。
『コルト』に住んでいた頃のイレーネは祖父が身体を壊してからは、ずっと働き詰めだった。
こんな風に令嬢たちと優雅にお茶会をすることなど無かったのだ。
「こういう時間が持てるのも、全てルシアン様のお陰ね。本当に感謝しかないわ」
そしてふと写真の女性が気になり、イレーネはチェストに近付くと写真立てを手に取った。
そこには美しく着飾り、ポーズを取ったベアトリスの姿が映り込んでいる。
「まさかこの女性が有名なオペラ歌手だったなんて……きっとルシアン様はこのオペラ歌手の大ファンなのでしょうね」
ウンウンと納得するように頷くイレーネ。
呑気なイレーネは、ベアトリスとルシアンの関係を結びつける考えには至らない。
「さて、昼食を食べ終えたら畑仕事しなくちゃ」
イレーネはベアトリスの写真をチェストの上に戻すと、昼食の準備をするために台所へ向かった。
****
――14時
今日のルシアンは書斎にこもり、たまっていた事務仕事におわれていた。
「ふぅ……何だって、こんなに書類が多いんだ? やってもやってもキリが無い」
ため息をつくルシアンにリカルドが話しかける。
「執事の私ですら仕事のお手伝いをしているのですから、ボヤかないで下さい。だから以前から申し上げていたのです。どうぞ、秘書をお雇い下さいと。当主になられましたら、もっと仕事が増えるでしょう」
「確かにそうだな……」
「ええ。何しろイレーネさんのお陰で、次期当主はルシアン様に確定ですから。後はイレーネさんをお披露目し、ご自身の地位を確立するだけですしね」
そのとき。
ガタガタッ!
窓が激しく風で揺れた。
「何だ? 今日は随分風が強いな」
ルシアンは窓の外に目を向け、眉を潜める。
「そう言えば今朝の新聞に書いてありましたが、どうやら今夜嵐が来るかもしれないそうですよ?」
「嵐だって?」
リカルドの言葉に、ますますルシアンの顔が険しくなる。
「ええ、そうですが……それが何か?」
「いや、イレーネが心配で……」
「イレーネさんなら大丈夫ではありませんか? あの家は作りは古いですが、頑丈ですし、窓には木製の扉まで付いているではありませんか? 何しろ、あのイレーネさんですからね」
ルシアンは黙ってその言葉を聞いている。
「どうされましたか? ルシアン様」
「別に何でも無い。それより早く仕事を片付けよう」
「ええ。そうですね」
そしてルシアンは再び書類に目を通した。
****
――同時刻
「風が強くなってきたわね……」
麦わら帽子を被ったイレーネは、青空の下で畑仕事をしていた。
その時――
ゴッ!
強風でイレーネの麦わら帽子が飛ばされる。
「キャアッ!」
イレーネは悲鳴を上げ、思わず頭を手で抑えて俯いた。
「おっと!」
突然声が聞こえ、イレーネが驚いて顔を上げた。すると、右腕を高く上げて麦わら帽子を掴んでいる警察官の姿があった。背後には馬の姿もある。
その人物は……。
「え? ケヴィン……さん?」
「はい、イレーネさん。帽子をどうぞ」
柵の向こう側から帽子を手にしたケヴィンが声をかける。
「ありがとうございます」
ケヴィンに近付き、帽子を受け取るとイレーネは礼を述べた。
「今日も畑仕事をしていたのですか?」
「ええ、そうですけど……」
イレーネはケヴィンの姿を見る。
「今日はお仕事ですか?」
「ええ、そうです。今夜は嵐が近付くそうなので、地域住民の人たちに注意喚起で回っていたんですよ。本当は管轄外なのですけど、僕はこの地区の住人なのでね」
笑顔で答えるケヴィン。
「そうだったのですか。ご苦労さまです」
「人々の安全を守るのが警察官の役目ですから。イレーネさん。今夜は天候が荒れるかもしれないので、戸締まりはしっかりしてくださいね?」
ケヴィンは念を押す。
「はい、分かりました」
「では、失礼しますね」
ケヴィンは被っていた帽子を外して、挨拶すると再び馬に乗って去って行った。
「今夜は嵐になるかもしれないのね……」
イレーネはポツリと呟き、両手を胸の前でギュッと握りしめた――