18時半――
「どうだった? イレーネの様子は?」
仕事から帰宅したルシアンが出迎えたリカルドに尋ねる。
「はい、あのお屋敷をとても気に入られた様子で念入りに掃除をしておられました」
「そうか……彼女とは違うな。何しろ、こんなに古い家は嫌だと言っていたからな」
ルシアンは何処か寂しげにポツリと言う。
「……そうでしたね。なのでせめて家財道具だけは一流の物を揃えたのですから」
「いや、もうそれは過ぎたことだから別にどうでもいい。今はイレーネのことだ。どうだ、リカルド。あの家の中に……彼女に関する物が何か残されていなかったか?」
じっとリカルドを見つめるルシアン。
「……いえ。別に何も残されてはいませんでした」
早口で答えるリカルド。
「何だ? 今の間は……。何故すぐに返答しなかった?」
「色々思い出しながらお返事したまでです。ご安心下さい。イレーネさんが怪しむような物は一切残されていませんでした」
確かに嘘はついていない。残されてはいたものの、イレーネが怪しむことは何も無かったからだ。
(きっと、イレーネさんはルシアン様の過去やプライベートには一切興味が無いのだ
ろう。だからあの写真を見ても何も感じなかったに違いない)
リカルドは自分の中で、そう結論づけた。
「何も残されていなかったなら良い。要らぬ心配だったか……」
安堵のため息をつくルシアン。
「ええ、そうです。何しろ、あのイレーネさんなのですから」
「あのイレーネ……? 妙な言い方をするな。だが、あの屋敷に今いるのなら……電話を引いたほうが良いだろうか?」
「え? 電話ですか!?」
電話という言葉に、一抹の不安を感じるリカルド。もし、電話口で写真のことを話されたらと思うと気が気でならない。
「そう、電話だ。何しろ、イレーネは暫くあの屋敷に滞在するのかも知れないだろう? 何しろ畑まで耕したいと言っていたからな……。彼女だって俺と連絡を取る必要性がでてくるかもしれないし」
「いえ、その必要は無いと思われます。イレーネさんがルシアン様と連絡を取りたいなどと思うことはないでしょう。かえって重荷に感じられるかもしれません」
その言葉にルシアンは唖然とする。
「……リカルド」
「はい、何でしょう?」
「お前……主に向かって随分はっきり物申すな?」
「そうでしょうか? ですが私は思ったまでのことをお話しているだけですが」
「つまり、イレーネは俺を必要とは思っていないってことか?」
ルシアンは自分の台詞に少し傷つきながらリカルドを睨む。
「ええ、残念ですがそうです」
なんとしてでも電話を引くことを回避させたいリカルドは説得を試みる。
「いいですか? ルシアン様。イレーネさんとは1年で……正確に言えば、あと10ヶ月半で契約が終わるのですよ? あの方の働きでルシアン様は次期当主になることがほぼ確定したのですから。そうなると、もうイレーネさんはマイスター家の御役御免となるわけです」
「御役……御免……」
ポツリと呟くルシアン。
「ええ、それなのに電話を引いてどうなるのです? これからもずっとお二人が交流を続けるなら話は別ですが……はっきり申し上げて、その可能性はゼロですよね?」
「ゼロ……? なのか?」
「当然ではありませんか。もしお二人が別れた後も、交流を続ければ世間のゴシップの種になります。イレーネさんの今後の人生を大きく左右しかねません」
ペラペラと持論を繰り広げるリカルド。何しろ電話を引かせることを回避しなければならないのだから必死だ。
「うむ……確かに、リカルドの言う通りかも知れないな……分かった。電話を引くのはやめにしよう」
「ええ、是非そうなさってください。それでは夕食の支度をするように厨房に伝えてまいりますね。失礼致します」
「ああ。頼む」
ルシアンの説得に成功したリカルドは意気揚々と書斎を出ていった。
――パタン
扉が閉じられるとルシアンはため息をついた。
「……そうか、電話は……イレーネの重荷になるか……リカルドに指摘されるまで気付きもしなかった。なら、明日彼女の所へ行こう。あいつには黙っていなければな。またいらぬ小言を言われるかもしれないし」
急遽、ルシアンは明日イレーネの元を訪ねることに決めた。
リカルドには告げずに――