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72話 これは手当だから

「行ってらっしゃいませ、ルシアン様。イレーネ様」


馬車の前に立つ2人にリカルドが笑顔で声をかける。そして彼の背後には20人近い使用人達も見送りに出ていた。


「あ、ああ。行ってくる」


物々しい見送りに戸惑いながらルシアンは返事をした。次に、隣に立つイレーネに視線を移す。


「では、行こうか? イレーネ」


「はい。ルシアン様」


イレーネは笑顔で返事をすると、2人は馬車に乗り込んだ。


「リカルド、外出している間留守を頼むぞ」


ルシアンは窓から顔をのぞかせると、リカルドに声をかけた。


「はい。お任せ下さい、ルシアン様」


リカルドはニコリと笑みを浮かべ、次にルシアンに近づくと小声で囁く。


「どうぞお仕事の方はお気になさらずに、ごゆっくりしてきて下さい。も早くお帰りいただかなくて結構ですからね?」


「あ、ああ……分かった。で、では行ってくる」


まるで、早く帰ってきては許さないと言わんばかりのリカルド。その口調にたじろぎながらもルシアンは頷くのだった……。



**


「ルシアン様、ところで本日は何処へ行かれるのですか?」


馬車が走り始めるとすぐにイレーネが声をかけてきた。


「そうだな……とりあえず、町に出てブティックを数件周って服を購入しよう。祖父は身なりに煩い方だ。場をわきまえた服装でいなければネチネチと嫌味を言ってくるかもしれないからな。余分に買い揃えておけば間違いないだろう」


少々大袈裟な言い方をするルシアン。


(本当は、そこまで口煩い祖父では無いのだがな……イレーネにドレスを買わせるには大袈裟に言った方が良いだろう。そうでなければ彼女のことだ。きっと遠慮するに違いないからな)


すると、案の定イレーネはルシアンの言葉を真に受けた。


「この間10着以上もドレスを購入したばかりです。なので新たに購入するのは何だか勿体ない気も致しますが……当主様が服装に細かい方でしたら致し方ないかもしれませんね。何しろ私の役割はルシアン様が次の当主となれるようにお飾り妻を演じきることなのですから」


「あ、ああ……ま、まぁそういうことになるな」


きっぱりと「お飾り妻」と言い切るイレーネに苦笑しながらもルシアンは頷く。


「よし、それではまず最初は前回君が訪れた『マダム・ヴィクトリア』の店に行くことにしよう」


「はい、ルシアン様」



――4時間後


ガラガラと走る馬車の中で、イレーネとルシアンは会話していた。


「……それにしても、先程は驚きましたわ」


「何が驚いたのだ?」


イレーネの言葉に首を傾げるルシアン。


「ドレスのことです。まさか、お店に並べられている服を端から端まで全て購入されるとは思いもしませんでしたので」


「そうか? 別にあれくらい普通だろう。何しろ君はまだ、たったの12着しか服を買っていなかったのだからな」


「ですが、私は1年間だけのお飾り妻です。これでは全てのドレスに袖を通す前に契約期間が満了してしまいます。無駄になってしまいますわ。折角買ってくださったのに、何だか申し訳ないです」


ルシアンは滅多に驚きの表情をみせないイレーネの姿に内心、満足していた。


「君は全く、随分大袈裟なことを話しているな。別にドレスが沢山あったからといって、無駄になることはないだろう。そんな事を気にする必要はない。これは必要不可欠な買い物……支給品だと思ってくれ」


「支給品……? なるほど。そういうことでしたなら、心置きなく受け取らせて頂きます。では購入したドレスはルシアン様との仮結婚が終了次第、クリーニングをしてお返しいたしますね」


「ちょっと待て。何故そんな話になる?」


その言葉にルシアンが反応し、身を乗り出す。


「え? 先程ルシアン様が支給品だと思ってくれとおっしゃいましたので。職場を去るときは、支給された制服は返却するのと同じことですよね?」


「な、何だって……?」


その言葉にルシアンは頭を押さえる。


(そうだった……イレーネは、何処かズレた女性だということをすっかり忘れていた……!)


「どうかされましたか? ルシアン様」


「い、いや……何でもない。購入した服は全て君にあげるつもりだ。……いや、受け取ってくれ」


「まぁ! あんなに沢山の服をですか……!? いけません、それはあまりに勿体なさすぎます!」


ブンブン首を振るイレーネ。


「勿体ないことはないだろう? 日常生活に置いて、服は必要不可欠なのだから」


「ですが……あんなに高級な服は、この契約が終了すれば着る機会はなくなるでしょうから……」


「あ……」


(そうか……確かにその通りかもしれないが……)


けれど、ルシアンは購入した服は全てイレーネにプレゼントしたかった。そこには彼女に対する同情心もあったが、何よりもとても良く似合っていたからだ。


そこで、ルシアンは咳払いした。


「ゴホン! え〜つまり、本日買った服は……そう、退職手当の品として受け取ってくれ。マイスター家を出た後は、売るなり着るなり好きにしてもらって構わない」


「そんな、まさか! 売るなんてとんでもありません! そういうことでしたら喜んで頂戴いたします。ルシアン様、契約終了後のことまで心配して頂き、本当にありがとうございます。」


「あ、ああ。そうしてくれ」


笑顔で喜ぶイレーネに、ルシアンは複雑な思いを抱きながら頷くのだった――

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