午前10時――
その頃、イレーネはエントランスでマダム・ヴィクトリアの商品が届くのを待っていた。
「あれ!? イレーネ……じゃなかった。イレーネ様、こんなところで何をしているんです?」
掃除をするためにエントランスへやってきたジャックはイレーネが1人でエントランスに立っていることに気づき、声をかけた。
「あ、ジャックさん。こんにちは。その節はお世話になりました」
「や、やめてください! 俺に敬語なんか使わないでくださいよ! あのときは本当に申し訳有りませんでした!」
そして深々と頭を下げる。
丁寧に挨拶するイレーネにジャックが恐縮するのは無理無かった。それに、本来であればクビにされてもおかしくないようなことをしてしまったのに、ジャックは咎められることすら無かったのだ。
『ジャックさんは、そのような方ではありません。とても親切な人で、丁寧に仕事を教えてくれます』
あのときの言葉がジャックの耳に蘇る。
一方のイレーネはのんびりした様子でジャックの質問に答えた。
「もうそろそろ、マダム・ヴィクトリアのお店の方が尋ねてくる頃なので、お出迎えする為にこちらでお待ちしていました」
「ええ!? そ、そんなことは我々使用人に任せてくださいよ! 後、俺なんかに敬語はやめて下さい! こんなことがルシアン様に知られたら……」
「俺がどうかしたのか?」
その時、タイミング悪くエントランスにルシアンの声が響き渡る。
「ひえええ! ル、ルシアン様!」
ジャックが情けない声を出した。
「あ、ルシアン様。これからお出かけですか? リカルド様もご一緒なのですね?」
イレーネは笑顔でルシアンとリカルドに声をかける。
「ああ、これから取引先に行ってくるのだが……こんなところで2人で何をしていたのだ?」
ルシアンはイレーネとジャックの顔を交互に見る。
「あ、あの……そ、それは……」
オロオロするジャックを見て、リカルドが口を挟んできた。
「ルシアン様の外出をお見送りするためにこちらにいらっしゃったのですか?」
「何? そうなのか?」
ルシアンの声がほころびかけ……イレーネが口を開いた。
「もうすぐ、マダム・ヴィクトリアのお店の方たちがいらっしゃるので、こちらでお待ちしておりました。そこへジャックさんが声をかけて下さったのです」
正直に答えるイレーネの言葉にルシアンの眉が上がる。
「な、なるほど……それで、ここで待っていたのか?」
(何だ? てっきり俺の見送りに出てきていたのかと思ったのに……)
ルシアンは面白い気がしない。イレーネの言葉はまだ続く。
「ですが、こちらでお待ちしていて良かったです。ルシアン様とリカルド様のお見送りが出来るのですから。どうぞ、お2人供。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
そしてにっこり笑みを浮かべる。それはとても魅力的な笑顔で、その場にいる3人の男は息を呑む。
「ああ……分かった。それでは行ってくるが……イレーネも出かけるなら気をつけてな。それと、あまり遅くならないように」
ゴホンと咳払いするルシアン。
「はい、分かりました」
「それでは行ってきますね」
リカルドがイレーネに声をかける。
「「はい、行ってらっしゃいませ」」
イレーネとジャックは声を揃えて、2人を見送った――