イレーネがマダム・ヴィクトリアの店を出たのは15時を過ぎていた。
「まぁ……もう、こんな時間だったのね。どうりでお腹が空いたはずだわ」
祖父の形見である懐中時計を見ると、イレーネはため息をつく。
「どうしましょう……このままマイスター家に戻っても、夕食までは程遠いわね。それにしても試着するだけなのに、こんなに体力を使うとは思わなかったわ」
1日2食の生活は慣れていた。ただ、今回は慣れない試着作業でお腹を空かせてしまっていたのだった。
「何処かで軽く食事を済ませてからマイスター家に戻ったほうが良さそうね。何か食べるものを用意して下さいなんて言ってご迷惑をかけるわけにはいかないし」
本来であれば、イレーネはルシアンの内定の妻。リカルドに軽食の要望を伝えれば、すぐにでも食事を用意してもらえる立場に自分があることを理解していなかったのだ。
「さて、今度は食事が取れるお店を探そうかしら」
そしてイレーネは鼻歌を歌いながら、マダム・ヴィクトリアの店を後にした――
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16時半――
「……はぁ〜……」
書斎で仕事をしていたルシアンがため息をつく。
「ルシアン様、またため息ですか? 既に7回目になりますよ? お茶でも飲まれてはいかがですか?」
ルシアンにお茶を勧めるリカルド。
「リカルド……」
「はい、何でしょうか?」
「お前は何回俺に茶を飲ませようとする? もうすでに5回目になるぞ?」
恨めしそうな目でリカルドを見る。
「やはり……おひとりで行かせるべきではなかったのではありませんか?」
その言葉に、ルシアンの肩がピクリと動く。
「一体、何の話だ?」
「とぼけないで下さい、イレーネさんのことですよ。あの方のことが心配で、仕事もろくに手がつかないのではありませんか? 先程から同じ書類ばかり目を通されていますよ」
「ち、違う! 書類を見直していただけだ!」
リカルドに指摘され、慌ててルシアンは書類を取り替える。
「全く、ルシアン様は素直になれないお方ですね……正直にイレーネさんのことが心配だと言えばよいではありませんか? だから本日は外出せずに、こちらでお仕事をされているのですよね? 昼食の時間も心、ここにあらずといった様子でしたし」
するとルシアンも言い返す。
「そういうお前こそ、イレーネ嬢のことが心配でたまらないのではないか? 今日は用もないのに、何度もエントランスまで足を運んでいたという話を他の使用人から聞いているぞ?」
「「……」」
少しの間、2人は無言で見つめ合い……。
「「はぁ〜……」」
同時にため息をつく。
「本当にイレーネ嬢は一体何処まで行ってしまったのだろう?」
「まさか、契約結婚が嫌になって『コルト』へ帰ってしまったのでは……」
そのとき。
――コンコン
扉がノックされる音が部屋に響き渡った。
「はい!」
飛びつくようにリカルドが扉を開けると、そこには笑顔のイレーネの姿があった。
「ただいま、戻りました」
ニコニコと笑顔のイレーネにルシアンとリカルドは安堵し……。
「「一体、今まで何処に行ってたの(ですか)だ!」」
同時に声を上げるのだった――