「イレーネ嬢……」
自分のテーブルの前に料理を並べていくイレーネにルシアンは頭を抑えながら声をかけた。
「はい、何でしょうか? ルシアン様」
スープ皿を置いたイレーネがにっこり微笑む。
「一体、その恰好は……何だ?」
「あ、このメイド服ですか? これは先輩のジャックさんが用意してくれたんです。素敵なメイド服で、とても気に入りました」
濃紺のロングワンピースに、フリルの付いたエプロン姿のイレーネはジャックの名前を出した。自分の名前が出たジャックは、まんざらでもない様子で給仕を務めている。
「い、いや。俺が尋ねているのはそういうことでは無くてだな……」
「あ、ルシアン様。今置いたこちらのスープは熱いので火傷にご注意下さいね」
「ああ、ありがとう……って違う! そうじゃない!」
危うくイレーネのペースに巻き込まれそうになったルシアンは、激しく首を振る。
「ど、どうなさったのです? 落ち着いて下さい。ルシアン様」
イレーネが見つかったことで、すっかり余裕のリカルドがルシアンに声をかける。
「いいか、イレーネ嬢。俺が言いたいのは、そういうことではない。何故、君がメイドとして働いているかと言う事だ。誰かにメイドとして働くようにそそのかされたのか? ひょっとして、ジャックという者の仕業か!?」
ルシアンの言葉に、ビクリとジャックの肩が跳ねる。
(どうか…‥‥どうか、俺がジャックだということがルシアン様にバレませんように……!)
マイスター家には大勢の使用人が働いている。そしてジャックはまだこの屋敷で働き始めて1年目。当然、ルシアンはジャックの顔を知らない。
「いいえ? ジャックさんは、そのような方ではありません。とても親切な人で、丁寧に仕事を教えてくれます」
少し、ズレたところのあるイレーネはルシアンの質問に見当違いな返答をする。
「そうか。やはりジャックの仕業なのだな? 親切にメイド服を貸してくれたというわけか?」
嚙み合わない2人の会話に、リカルドが割って入ってきた。
「落ち着いて下さい、ルシアン様。ジャックがそそのかしたと疑うのは時期早々ではないでしょうか?」
リカルドがルシアンを宥めながら、ジャックに早く退散するように目配せする。
「で、では私はこれで失礼致します」
ジャックは、逃げるようにダイニングルームを飛び出した。
自分はクビになってしまうのではないかという恐怖心を抱きながら――
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「どうですか? ルシアン様。少しは落ち着かれましたか?」
グラスの水を飲み干したルシアンにリカルドは声を掛けた。
「あ、ああ……落ち着いた。落ち着いたが……イレーネ嬢。その、メイド服姿なのだが……」
ルシアンはテーブルの向かい側に座る、メイド服姿のイレーネを見つめる。
「似合っていませんか?」
首を傾げるイレーネ。
「いや。似合う、似合わないの問題では無くてだな……」
生真面目なルシアンは頭を抱えてしまった。
(駄目だ……ズレている。彼女は根本的に何処かズレている…‥)
「イレーネさん。そのメイド服、とても良くお似合いですよ?」
「本当ですか? ありがとうございます。デザインも素敵ですし、あまり服も持っていなかったので助かりました。メイドの仕事、頑張りますね」
リカルドに声を掛けられ、笑顔を見せるイレーネ。
「そう、それだ。イレーネ嬢、いいか? 君はメイドになる為にこの屋敷へ来たわけじゃない。あくまで表向きは俺の妻になる為にここへ来たのだ。君の役割は1年間俺の妻になることなのだからな?」
ルシアンは真剣な眼差しでイレーネに告げる。
「……そうだったのですね! 職業紹介所で見つけた求人だったので、私は今の今まで契約妻兼、メイドのお仕事をするのかとばかり思っていました」
イレーネの言葉に、ルシアンはじろりとリカルドを睨みつける。
「ということは、リカルド……お前の説明不足が原因なのか……?」
「ル、ルシアン様…‥お、落ち着いて下さい。確かに説明不足であったことは私の責任です…‥そうだ、この際です。イレーネさん。何か質問が合ったら、仰ってください。何でもお答えしますよ」
リカルドはルシアンの視線を避けるように、イレーネに向き直った。
「本当ですか? なら質問させて下さい。仕事は24時間体制と言う事でしたが、夜のお勤めは週に何回位ありますか?」
「「は……??」」
イレーネの言葉に、ルシアンとリカルドが固まったのは言うまでも無かった――