――午後7時、ダイニングルーム。
「一体どういうことだ……? 未だにイレーネ嬢が訪ねて来ないなんて……」
テーブルの前に着席し、手を組んで顎を乗せたルシアンがためいきをついた。
「ルシアン様……確かに私も心配でたまりませんが、まずは夕食をお召し上がりになって下さい。よくよく考えてみれば、イレーネさんは本日ここへ来るとは話されていましたが、時間までは仰っていませんでした。もしかすると、もう間もなくこちらへいらっしゃるかも……しれませんよ?」
リカルドは笑顔で声をかけるも、内心では焦りがピークに達していた。
(まずいまずいまずい! これは非常にまずいぞ!! ひょっとしてここへ来る道中、何かあったのではないだろうか? イレーネさんは可愛らしい外見だし、おっとりしてはいる。もっとも言い方を変えれば、世間より少しズレている感じがある。片田舎出身であるが故に、都会に潜む悪い連中に騙されて何処かへ連れ去られてしまったのではないだろうか!? そうなったら……全てこの私の責任! ああ……今にも胃に穴が空きそうだ……)
少々失礼な物言いで、イレーネの身を案じる。
「何かあったのではないだろうか……?」
ポツリと呟くルシアンの言葉に、思わず肩が跳ねそうになるリカルド。
「落ち着いて下さい、ルシアン様。まずは紅茶でも飲んでみてはいかがですか?」
胃痛に耐え、震える手でリカルドはカチャカチャと紅茶を入れ……。
カチャン!
手が滑ってソーサーの上に音を立ててカップを置く。そしてそんな様子をじっと見つめるルシアン。
「……リカルド」
「はひ? な、何でしょう?」
リカルドは思わず上ずった声で返事をする。
「落ち着くのは……むしろ俺よりもお前の方ではないか?」
「い、いえ。何を仰っているのですか? 私はとても落ち着いておりますよ。大丈夫です、きっともうすぐイレーネさんはこちらにいらっしゃるはずですとも……あの方を信じて待ちましょう……」
まるで自分に言い聞かせるかのように語るリカルド。
そこへ――
「ルシアン様、夕食をお持ちしました」
フットマンがワゴンを押してダイニングルームへ現れた。
「何? 食事だと? こんな一大事のときに食事など出来るか……え……?」
眉間に皺を寄せたルシアンはフットマンを見上げ……次に驚愕で目を見開いた。
何と、フットマンの背後にはメイド服姿のイレーネがいたからだ。彼女も同様にワゴンを押している。
「ええ!! イ、イレーネさん!?」
これにはリカルドも驚き、立ち尽くしてしまった。
「え? あ、あの……お食事は……どうされるのでしょうか……?」
食事を運んできたフットマン……ジャックは困った表情を浮かべる。
一方、呑気なイレーネは驚きの言葉を口にした。
「一大事ですか? 何かあったのですか?」
「「はぁ!?」」
この言葉に流石のルシアン、リカルドも同時に声を上げる。
「イレーネ嬢! 一体……何故ここに!?」
自分でも間の抜けた質問をしていると思いつつ、ルシアンは立ち上がった。
ガターンッ!!
その勢いで、派手な音を立てて背後に倒れる椅子。
「ほら! ご覧ください、ルシアン様! 私の申し上げた通り、イレーネさんがいらっしゃいましたよ!? しかも、食事を運んで!」
リカルドは安堵のあまり、見たまんまの状況を喜々として告げる。
「分かっている! そんなことくらい、俺だってちゃんと見えているんだから……それより問題なのは……イレーネ嬢! どういうつもり……い、いや! 一体君はここで何をしているんだ!」
立ち上がったまま声を上げるルシアン。
「あ、あの……こ、これはどういう状況なのでしょう……?」
何も分かっていないジャックは震えている。
(何だ? 俺は何かやらかしてしまったのか!? 折角イレーネに俺の働きぶりを見せてやろうと思ったのに……! と、とんだ失態を……!!)
そして肝心のイレーネは、少し考えた素振りを見せ……驚愕の台詞を口にした。
「え~と……御覧の通り、私はルシアン様にお食事を運んで来たのですが?」
「「「え……?」」」
唖然とする男3人。
「ルシアン様、テーブルの上にお料理を並べても良いでしょうか?」
そしてイレーネはニコニコしながらルシアンに尋ねた――