目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
32話 イレーネの旅立ち

――翌朝


「う〜ん……よく寝たわ……」


目覚めたイレーネはベッドの上で伸びをした。


「それにしても……いよいよ、本当に何も無くなってしまったわね」


この部屋には、もはやイレーネが眠っていたベッドしか残されていなかった。残りの家具は全て昨日、ルノーの手によって階下のリビングに運ばれていたからだ。


「さて、起きましょう。最後に何も忘れ物が無いか色々見て回らないとならないものね」


イレーネは室内履きに足を通すと、ベッドサイドにかけておいた洋服に着替え始めた。


**


「うん、美味しい。我ながらクッキー作りの天才ね」


朝食代わりにクッキーを食べながらイレーネはウンウンと頷く。

イレーネは料理もお菓子作りも、この屋敷で働いていたボビーという名のシェフに教わった。

自分が屋敷を去った後、食事に困らないようにと彼が直々にイレーネに教えてくれたのだった。


「ボビーさん……この屋敷が無くなったことを知ったら、ショックを受けるかしら……」


少しだけ感傷に浸りながらクッキーを完食すると、屋敷の中に忘れ物が無いか見て回った。


「見回り完了、いよいよこの屋敷を出る時がやってきたわね」


扉を開けて外に出ると、鍵をかけるイレーネ。


「後はルノーに言われたとおり、鍵を郵便受けに入れておけばいいのね」


屋敷の鍵を紙でくるむと、郵便受けに入れた。


「これで……このお屋敷ともお別れね」


改めて、イレーネは屋敷をじっと見た。彼女がこの屋敷にやってきたのは5歳の時。

母親は出産のときに亡くなり、父親は5歳のときに病気で亡くなった。

家族を失ったイレーネを引き取ったのが、父方の祖父だったのだ。


以来15年間、ずっとイレーネはこの屋敷で暮らしてきた。その生活も今日で終わる。


「15年間、お世話になりました」


ペコリと屋敷に頭を下げると、2つのトランクケースをガラガラとひっぱりながら、イレーネは辻馬車乗り場を目指した――



****



 10時半――


イレーネは駅舎に到着すると、男性駅員に声をかけた。


「あの、恐れ入りますが……電話をお借りできないでしょうか?」


田舎町の『コルト』では、まだまだ電話が普及していない。そこでこの町に住む人々は駅で電話を借りていたのだ。


「ええ、よろしいですよ。どうぞ中に入ってお使い下さい」


「ご親切にありがとうございます」


イレーネはお礼を述べると駅員室に入り、壁に取り付けた電話の受話器を上げるとダイヤルした。

電話の掛ける相手は、言うまでもなく……。



****



 その頃、リカルドはイレーネを迎え入れる為に必要なリストを仕事部屋で書き出していた。


「まさか、こんなに早く契約結婚の相手が見つかるとは思わなかった……何から手を付ければ良いか分からなくなってきたぞ? せめてイレーネさんがこちらに来るのを1週間程遅らせてくれれば余裕があったのに……」


頭を悩ませていると、突然リカルドの前に置かれた電話が鳴り響いた。


リーン

リーン

リーン


「おや? 電話? 誰からだろう?」


訝しげに思いながら、受話器をとった。


「はい、こちらはマイスター家です。……え? ああ、イレーネさんではありませんか。 おはようございます。はい、私です。リカルドですよ。どうかされましたか? ……え? 今、何と申されましたか? ……はい……はい。ええっ!! もう、こちらに来られるのですか!?」


リカルドの驚きの声が部屋に響き渡るのであった――




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?