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30話 説得

「け、結婚て……ウッ! ゴホッ! ゴホンッ!!」


あまりにも驚きすぎたルノーは紅茶を飲んでいたことも相まって、激しく咳き込んだ。


「大変! 大丈夫? ルノー!」


イレーネは慌ててルノーの背後に回ると背中をさする。


「イ、イレーネ……結婚するって……ど、どういうことなんだよ?」


ルノーはイレーネの手首を握りしめた。


「ルノー……」


「何だ?」


「もう……咳は治まったの?」


「ああ、お陰様でな。だから話を聞かせてくれ」


「ええ。分かったわ。でもその前に……」


「何だ?」


「手、離してもらえるかしら?」


イレーネはにっこり笑った――



**



――30分後


「つまり……君はメイドの求人を見て、マイスター伯爵家を訪れたものの……そこの当主に見初められて、結婚することになったと言うわけか……?」


青白い顔で、左手を額にあてたルノーがため息をつく。


「ええ、そうなの」


「その話……嘘じゃないんだろうな?」


ルノーはニコニコと笑みを浮かべているイレーネの目をじっと見つめる。


「ええ、嘘では無いわ。その方は私にこう、言ったもの。『君は完璧な存在だ!』って」


リカルドに言われた言葉を少々脚色して伝えるが、ルノーは明らかに不審な目を向けてくる。


「どうも怪しいんだよな……弁護士の俺に嘘はつかないほうがいいぞ?」


「ええ。分かっているわ。だって嘘なんかついていないもの」


そう、イレーネは嘘はついていない。ついていないが……本当の話でもない。


「……分かったよ。それでイレーネは出会ったばかりのマイスター伯爵の求婚を受けたって訳だな? しかも、すぐにでも結婚する約束をして?」


「そうなの。私が借金を抱えていて、住む場所を失ってしまうところだと説明したの。そうしたらとても心配してくれて、すぐにでもマイスター伯爵家に嫁いでくるように言われたのよ。だから今日は荷物整理と屋敷を処分する為に帰って来たの」


「イレーネ! ちょっと待ってくれよ! もしかして、その伯爵と結婚するのは住む場所が無くなるからなのか?」


ガタンと音を立てて席を立つルノー。


「落ち着いて、ルノー。まずは座ったら?」


「……」


不満げな表情を浮かべながらも、ルノーは席に座った。


「とにかく、もし結婚の決め手が住む場所を失うからだって言うならそんなこと心配する必要は無い。俺の実家で暮らせばいいじゃないか? 父さんも母さんもイレーネのことを歓迎するぞ?」


「ルノー……本気でそんなこと言ってるの?」


「勿論本気だ。冗談を言っているような顔に見えるか?」


「……まぁ、至って真面目な顔には見えるけど……でも、そんなの駄目に決まっているでしょう? あなたにはクララさんという女性がいるじゃない。今日初めてお会いしたけど、とても可愛らしい女性だったわ。いくら私たちが単なる幼馴染と言っても、彼女にしてみれば私がルノーの実家で暮らすのは面白くないことよ」


「単なる幼馴染……?」


その言葉に愕然とするルノー。


「どうしたの? そんな驚いた顔して……とにかく、あなたには婚約者がいる。そして私は結婚が決まり、住む場所が決まったので家を手放して借金を返せる。こんなにおめでたい日はないじゃない。お祝いしたい気分だわ」


ルノーの気持ちに気付くことも無く、楽し気に話すイレーネ。


「いいか、よく聞いてくれ。イレーネ、俺は……」


「そんなことよりも!」


イレーネは立ち上がった。


「な、何だ?」


「使わなくなった家具をリビングにまとめておきたいの。家を査定してもらうついでに、家具も引き取って貰いたいから。運ぶの手伝って貰える? お礼は私の手作りクッキーということで手を打たない?」


「イレーネ……本気なんだな? 本気でこの屋敷を手放すんだな?」


じっとルノーは見つめる。


「ええ、本気よ」


「この屋敷は……君と、おじいさんの思い出が沢山詰まった場所なのに?」


「思い出なら、嫁ぎ先に持っていくわ」


「え? 持っていく……?」


ルノーは首を傾げた。


「ええ。おじい様の形見の品にふたりで撮った写真。これを持っていくの。家も大事だけど、遺言を守る方がずっと大事なことなのよ。私は何としても爵位を手放すわけにはいかないの」


イレーネの目はいつになく真剣だった。


「……分かったよ。イレーネが決めた事なら仕方ない。家具を運べばいいんだろう?」


立ち上がるルノー。


「手伝ってくれるの?」


「ああ、勿論だ。……何しろ、怪我人を働かせるわけにはいかないからな。足を怪我しているんだろう?」


「え? まさか気付いていたの?」


イレーネの目が大きく見開かれる。


「当たり前だ。俺を誰だと思っているんだ? イレーネの……一番の親友だろう?」


そして、ルノーは寂しげに笑った――



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