朝食後――
イレーネとルシアンは2人きりでリカルドが淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
「ルシアン様、一晩の宿と食事まで用意して頂きありがとうございました。これから1年間、誠心誠意を込めてお仕えさせて頂きます」
背筋を伸ばしたイレーネは真剣な眼差しでルシアンを見つめる。
「そうか? ではマイスター家の現当主である俺の祖父に会う際は、しっかり妻の役を演じてもらうぞ? 祖父の信頼を得られて、俺が正式な後継者に相応しいと認められた暁には臨時ボーナスに、さらに給金を上乗せしよう」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます! ルシアン様が後継者になれるように、私、精一杯頑張ります!」
お金の話になると、遠慮が無くなるイレーネ。それだけ、彼女は追い詰められていたのだ。
「そ、そうか? ……今まで悪いと思って聞かなかったが……ひょっとすると、君はお金に困っているのか?」
「え、ええ……そうなのです……お恥ずかしいお話ですが……」
イレーネはうつむき加減に返事をする。
「まぁ……普通に考えれば、お金の為に契約結婚に同意するような女性はいないだろうな。何しろ離婚歴がある女性は男性からの評判は……落ちるからな。今後再婚するのも難しくなるだろう……」
少しだけ罪悪感を感じるルシアン。だからと言って本当の伴侶を持つ気など、彼には一切無かった。
「そのような御心配はして頂かなくても大丈夫です。私の結婚のことで気をもむような身内は誰もおりません。もとより、私のような落ちぶれた貴族を妻に望む男性はいるはずもありませんから。第一、私と結婚しては相手の方に借金を背負わせてしまうことにもなりますので」
堂々と自分のことを語るイレーネは、ルシアンの目に新鮮に写った。
「唯一の肉親を亡くしていることはリカルドから聞いていたが……君には借金があったのか?」
「はい……元々シエラ家は貧しい男爵家だったのですが、祖父が病に倒れてからはお医者様に診ていただくために増々借金が増えてしまったのです。なので本当に今回の雇用には感謝しているのです。借金返済の為に、屋敷を手放そうと考えておりましたので。ルシアン様とリカルド様のお陰で宿無しにならずにすみました。本当にありがとうございます」
再び御礼の言葉を述べるイレーネ。だが、その話はルシアンに取って、あまりにも衝撃的だった。
「な、何?! それでは君は実家を失うということか?」
「ええ……そうですが? リカルド様にもその旨は伝えてありますので」
「そうだったのか……リカルドにも……」
(リカルドの奴め……! 肝心なことを俺に報告もせずに……後で絶対に問い詰めてやらなければ!)
ルシアンはテーブルの上に置いた手を強く握りしめた。
「あの、それでルシアン様。一度コルトの家に戻らせて頂いてもよろしいでしょうか? 色々準備などもありますので……」
「ああ、勿論だ。……そうだな、どの位で戻ってこれそうか? 急なことで申し訳ないが、1週間以内に戻ってきてもらいたいのだが。祖父にも君を紹介しないとならないからな」
何しろ、ルシアンは今後継者争いの真っ只中。一刻も早くイレーネを妻になる女性として祖父に会わせる必要があったのだ。
「そうですね……2日位でしょうか……?」
少し考える素振りを見せた後、イレーネは答えた。
「何!? た、たったの2日だって!?」
イレーネの言葉に、またしても大きな声を上げてしまう。
「ええ。 2日もあれば十分です。何しろ、屋敷には家財道具も殆どありませんので。ほぼ、この身一つですから」
「そ、そうなのか……?」
頷きながらルシアンは思った。
イレーネは、随分逞しい女性だと――