翌朝、6時にイレーネは目が覚めた。
「う〜ん……やっぱり、寝心地の良いベッドはいいわね。面接を受けに来ただけなのに、こんな風におもてなしを受けるとは思わなかったわ」
ベッドの上で伸びをすると、イレーネは足裏に出来た豆の具合を見た。
「……押すとまだ痛いけど、これくらいなら大丈夫そうね」
持っていた端切れで手早く足の手当をすると、イレーネは早速昨夜用意してもらったデイ・ドレスに着替え始めた――
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――7時
約束通り、客室に迎えに来たリカルドと共に2人は誰もいない廊下を歩いていた。
「誰もいませんね……?」
辺を見渡しながら、イレーネが前を歩くリカルドに尋ねた。
「ええ。ルシアン様の言いつけで、この時間他の使用人たちは別の場所で仕事をしています。その……まだイレーネ様を人目につかないように誘導するように言われておりますので」
リカルドが言いにくそうに説明する。
(どうしよう……気分を害されたりはしていないだろうか……?)
心配になったリカルドはチラリとイレーネの様子をうかがう。
「なるほど、確かにそうですね。ルシアン様から私のことが正式発表されるまでは、誰にも見られなほうが良いですね」
「そうですか? ご理解して頂きありがとうございます」
イレーネが全く気にする素振りもなく返事をしたことで、リカルドは安堵のためいきをついた。
「ところで……イレーネさん」
「はい、何でしょう?」
「そのデイ・ドレス……良くお似合いですよ?」
「本当ですか? ありがとうございます。サイズも丁度良かったみたいです。こんなに素敵なドレスを貸して頂き、感謝しております。後日、きちんとクリーニングしてお返しいたしますね」
その言葉に慌てるリカルド。
「いえ! そんなことなさらなくて大丈夫です! こちらで洗濯は致しますので」
「ですが……それでは申し訳なくて……」
「本当に気になさらないで下さい。あ、書斎に到着しましたよ。お待ち下さい」
リカルドは扉の前に立つと、ノックした。
――コンコン
「ルシアン様。イレーネさんをお連れしました」
『入ってくれ』
扉の奥でルシアンの声が聞こえる。
「失礼いたします」
リカルドが扉を開けると、すでに部屋ではルシアンがテーブルに向かって座っていた。
「おはよう、イレーネ嬢。良く眠れたか?」
「おはようございます、ルシアン様……あ、いえ。マイスター伯爵様。はい、とても寝心地の良いベッドでしたので、朝寝坊してしまいました」
少しだけ恥ずかしそうに返事をするイレーネ。
「朝寝坊……? 別に約束の時間通りだが……まぁ良い。席に座ってくれ」
「はい、失礼致します」
イレーネは部屋に入ると、言われるままルシアンの向かい側の席に着席する。
「それではすぐに朝食をお持ちしますので、少々お待ち下さい」
リカルドは会釈すると、急ぎ足で執務室を出ていった。
――パタン
扉が閉じられると、部屋の中が途端に静かになる。その静寂の中、何故かルシアンは苦虫を噛み潰したかのような表情でイレーネを見つめている。
(どうなさったのかしら……? 私、何か粗相をしてしまったのかしら?)
「あの……マイスター伯爵様。どうかされましたか?」
「マイスター伯爵では無く、ルシアンと呼んでくれ。契約結婚とは言え、一応君はこれから俺の妻になるのだからな」
「はい、分かりました。ルシアン様」
笑顔で素直に返事をするイレーネ。
「……ところで、イレーネ嬢。いま着ているドレスだが………」
「あ、こちらのドレスですか? リカルド様に用意して頂きました」
「何? リカルドに……?」
「はい、とても素敵なドレスですね。 こんなに上質なドレスを着用するのは初めてです。貸して頂き、ありがとうございます」
「……別に、もう必要ないドレスだからな……」
ボソリと呟くルシアン。
「ルシアン様? どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
そこへリカルドが料理の乗ったワゴンを押して書斎へ現れた。
「お待たせいたしました。すぐにお料理を……え? な、何でしょうか? ルシアン様」
ルシアンはリカルドに恨めしそうな視線を向けている。
「リカルド……」
「は、はい……?」
「食事の後、話がある」
「わ、分かりました……」
震えながらリカルドは2人の前に料理を並べていく。
「まぁ……今朝も何て豪華なお料理なのでしょう……」
一方のイレーネは目の前の料理に釘付けで、2人の緊迫した様子に気づくはずも無かった――