食事会の後――
イレーネを先程の客室まで案内してきたリカルドが尋ねてきた。
「イレーネさん。着替えの用意はあるのでしょうか?」
「着替えですか? いいえ、ありません。もともと日帰りの予定でしたから」
「ああ! そうでしたよね!」
突如、リカルドが顔を両手で覆い隠した。
「あの……リカルド様? どうされましたか?」
「申し訳ございません……私を5時間も待っていたせいで、汽車に乗って帰ることが出来なくなってしまったのですよね……? 切符も無駄にさせてしまいましたが……御安心下さい!」
突如、リカルドは顔を覆っていた両手を外した。
「本日は日当として、イレーネさんに3万ジュエルをお支払い致しましょう。5時間も待たせてしまったお詫びと、汽車代として明日お渡ししますね」
「3万ジュエルですか!? ほ、本当にそんなに沢山頂けるのでしょうか?」
イレーネの顔が興奮のあまり、赤くなる。
「ええ、私の言葉に二言はありません」
「ありがとうございます! これで辻馬車を使うことが出来ます」
実は今までイレーネは口にはしなかったが、両足に豆ができていたのだ。その足で長距離を歩かなくてすむのだから。
「イレーネさん……本当に……うう……あなたという女性は……苦労人だったのですね……」
リカルドの目がウルウルし始めた。イレーネに出会ったことで彼は涙もろい青年になっていたのだ。
「いいえ、苦労だなんて思っていません。世の中にはもっと苦労している人々が大勢いるのですから。それに本日は最高の仕事に就くことが出来たのですから。今、とても幸せな気分です」
あくまで前向きなイレーネ。
「イレーネさん……絶対に、1年後……素晴らしい就職先を探してさしあげますね?」
「ありがとうございます。リカルド様」
そのとき、リカルドはあることを思い出した。
「あ、そういえば……着替えの用意が無かったとお話されておりましたよね?」
「ええ、そうです。でも平気です。1日くらい同じ服を着ていても」
「いいえ、そういう訳にはまいりません。……そうですね。すぐに戻ってまいりますので少しお待ち下さい」
リカルドは何かを考えた様子で返事をすると、足早に部屋を出ていった。
「……足も痛むし……少し座って待たせていただきましょう」
イレーネは客室に備え付けのソファに腰掛けると、静かに待っていた。
5分ほど待っていると、大きな衣装ケースを抱えたリカルドが息を切らせながら戻ってきた。
「ハァハァ……お、お待たせ……致しました……イレーネさん……ハァハァ……」
「だ、大丈夫ですか? リカルド様」
イレーネは立ち上がると、リカルドに声を掛けた。
「は、はい……大丈夫です……こ、こちらに女性用のナイトウェアと、着替え一式が入っておりますので……ど、どうぞお使い下さい……」
衣装ケースを床の上に置くリカルド。
「ありがとうございます」
「で、では後はバスルームの準備を……」
客室の備え付けのバスルームにフラフラと近づくリカルドにイレーネは声をかけた。
「あの、それなら大丈夫です。先程客室で待たせていただいたときにバスルームの使い方は覚えましたので。後は1人で出来ますので、大丈夫ですよ?」
今日は1日、リカルドの世話になりっぱなしだった。
これ以上自分のことで迷惑をかけるわけにはいかないと思ったのだ。
「そうですか? それでは申し訳ございませんが……本日はこれで失礼させていただきます。明日、7時にまた伺います」
「はい、ありがとうございます」
笑顔でリカルドを見送り、1人になるとイレーネは早速衣装ケースを開いてみた。
「まぁ……これは……」
衣装ケースの中には、真っ白なナイトウェアに、高級そうなモスグリーンのデイ・ドレスが入っていた。
「こんなに素晴らしいドレス……一体どなたのかしら? どう見ても若い女性向きのドレスに見えるけど……? まぁいいわ。考えても分かるはずもないし……ありがたく使わせてもらいましょう」
その後、イレーネはこころゆくまでバスタイムを堪能し……上質なナイトウェアに着替えるとベッドに潜り込んだ。
とても疲れていたイレーネに睡魔が訪れる。
「良かったわ……足の豆がそれほど酷くなくて……おやすみなさい……おじい様……」
すぐにイレーネの寝息が聞こえ始めた。
こうして、イレーネの思いがけない1日が終わりを告げる――