「それではイレーネさん。ルシアン様との1年間の契約結婚の件、了承していただいたということでよろしいでしょうか?」
イレーネに心変わりしてもらいたくないリカルドは念押しした。
「ええ、勿論です! 是非ともお願い致します!」
「ルシアン様がどのような方でも……大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫です。元々本当の夫になる方では無いのですよね? 御主人様としてお仕えさせていただきます」
ニコニコと返事をするイレーネ。
「分かりました。では早速書類にサインをして頂けますか?」
「分かりました」
頷くイレーネの前に、リカルドは一通の書類をテーブルの上に置いた。
「雇用契約書ですね? 拝見致します」
早速書類に手を伸ばすイレーネにリカルドは慌てる。
「え? あ、その書類は……雇用契約書ではなく……」
「まぁ……これは……婚姻届ですね?」
イレーネはリカルドを見つめた。
「はい、そうです……イレーネさんにはルシアン様と婚姻していただきますから。この婚姻届が雇用契約書だと考えて下さい」
「そうなのですね」
「あの……それで、サインする前にもう一度確認させていただきたいのですが……本当に、結婚してもよろしいのでしょうか?」
無邪気なイレーネを見ていると罪悪感がこみ上げてくる。リカルドは目を伏せながら尋ねた。
すると……
「はい、サインしましたのでお願いします」
うつむくリカルドの目に、イレーネの名前が記載された婚姻届が目に入った。
「え……? ええ!? も、もうサインしてしまったのですか!?」
「ええ。そうですが……何か問題でもありますか?」
「問題と言うか……結婚というものは人生の一大イベントですよ? それを、この場であっさり承諾してしまわれるとは……」
「ええ、こんなに素晴らしい求人を断るはずはありませんわ」
「そ、そうですか……」
(まさか、躊躇うこと無く婚姻届にサインしてしまうとは……)
リカルドは信じられない思いでイレーネを見つめる。
「それで、少しお伺いしたいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」
「ええ、私で答えられるものであれば何なりと」
「あの……お仕事の延長ってありますか?」
「はい?」
一瞬、リカルドは何を問われているのか理解できなかった。しかし、目の前のイレーネはどこか恥ずかしそうに頬を少しだけ染めてリカルドを見ている。
その様子に彼は焦った。
(ま、まさか……仕事の延長って……時間のことか? よ、夜の時間の延長のことを尋ねているのか!? イレーネさんはあくまで契約妻。戸籍以外でも傷物にさせるわけにはいかない!)
「い、いえ! 絶対にこちらでそのようなことは強要致しません! 仮にルシアン様に求められたなら、断固として拒否して下さい! 何なら、私を呼んでいただいても構いませんから!」
「そうなのですか……」
すると、何故か残念そうにシュンとなるイレーネ。
「え……? イレーネさん……?」
(まさか、イレーネさんは残念がっているのか!? まだルシアン様のお顔も知らないのに……!?)
けれど、リカルドの考えとは見当違いの言葉がイレーネの口から出る。
「そうですか……夫になるルシアン様が雇用期間の延長を求められても、1年間の契約という事は決定事項なのですね。雇用契約も結ばれていないうちから来年の話をするなんて。妙なことを尋ねてしまい、申し訳ございませんでした」
「あ……そ、そっちの話でしたか……?」
リカルドは自分の勘違いに恥ずかしくなり、思わず頬が染まる。
「え? そっちの話とは?」
「いえ、何でもありません。そのことでしたら、ご安心下さい。もし、ルシアン様が1年後もこのまま婚姻期間を継続したいと言われましたらイレーネさんが決めて下さい。そのまま期間満了になった場合には先程申し上げました退職金と家のプレゼント以外に紹介状を書きましょう」
「え? 紹介状ですか?」
イレーネの目が輝く。
「はい。こちらで厳選させていただき、イレーネさんにぴったりの求人を紹介させていただきますので、どうぞご安心下さい」
「ありがとうございます! それだけ伺えればもう十分です。ルシアン様の良き、契約妻になれるよう精一杯頑張りますね?」
契約妻という部分を強調しながら、イレーネは明るい笑顔を見せた――