放課後になり、部活紹介後にもらった入部届を職員室に提出しに行く。
仮入部期間ではあるけれど、入部届は受理された。これで俺も陸上競技部だ。
そうして、陸上部の先輩に挨拶に行く。
緊張でよくわからないことを口走った気がするが、先輩たちは仮入部期間初日に入部届を出した俺を気に入ってくれたようだ。
仮入部期間の緩い期間中に、一通りの競技を試させてもらおう。
どうやら先輩たちは得意な種目があるらしく、それぞれの専門の先輩に教えてもらうことにした。
「じゃあまずは私からだな!陸上競技と言えば短距離走だろ!」
そう語りながら短距離走の基本について教えてくれたのは、声の大きい熱血系2年生女先輩だった。
短距離走の練習場所は学校とグラウンドの間の一番目立つ場所だ。
人の目がすこし多いのが気になるが、熱血先輩はあまり気にしていない様子だった。
「短距離走ではほとんど道具を使わないけれど、唯一使う道具がある!それがこれだ!」
そういうと先輩は、発射台のようなそれを俺の目の前に降ろした。
それは使い込まれて傷だらけで塗装はボロボロになっている。
しかし、放置されてできるような錆などは一切なく、丁寧に使い込まれていることが見て取れた。
「スタブロだ!正式名称は忘れた!スタートブロックかスターティングブロックだったかな?」
100m走のテレビ中継とかでよく見るあの踏み台のようなものが、俺の足元にある。
テレビごしに見ているとかなり小さくて頼りがいがないように見えるが、実物の大きさを感じ少したじろぐ。
熱血先輩は続けて話す。
「これを使うと、スタートが気持ちよくできるぞ!早速実践して見せよう!」
そう言って先輩は足でグラウンドに線を引き始める。そして、スタブロを持ち上げて線にかかとを合わせて立つ。
先輩は2,3歩進んだ場所にスタブロを置き、足をスタブロにかけて腰を上げる。テレビで見るようなスタート前のあのポーズだ。
ピタリときれいに静止した状態から突然猛ダッシュ。
あまりにも突然に、そしてきれいにスタートするので、思わず半歩後ずさりしてしまった。
自分より小柄な人に驚いて後ずさりするなんて、なんと自分は情けない。
「じゃあ君もやってみようか!」
目の前で、あのきれいなスタートを見せられてハードルが上がっている状態で、今からやってみようというのは…。
「それだけの説明でやってみるのは無茶があるよ…」
緊張で固まりかけている俺に、もう一人の先輩が助け舟を出してくれた。
「隣で教えるから一緒にやろう?」
ああ、なんてさわやかで頼もしい先輩なんだ。俺が女だったらこういう人と付き合いたい。
ほぼ初対面の相手にそんなことを思いながら、熱血先輩の真似をしてスタブロに足をかける。
隣でさわやか先輩がアドバイスをしてくれた。
「それじゃあ説明していくね。まず、…」
さわやか先輩の説明は、とてもわかりやすい説明だった。
まず、スタブロの役割について。
スタブロをうまく使うことで、スタートの時に上方向に逃げてしまう踏み込みの力を前に最大限使うことができるそうだ。
そして、加速に必要な前重心の姿勢をスタート前から作れるというメリットがあることも教えてくれた。
さわやか先輩のアドバイス中は熱血先輩は退屈だったらしく、俺の視界の端で謎の動きをしていた。
なるべく気にしないようにしながら、アドバイス通りにスタブロに足を置く。そして手を前につき腰を上げる。
体重を前にかけていくと体を支えている指先に全体重がかかっていく。
腕が震えて静止するどころじゃない。改めてこの状態でピタリと静止していた熱血先輩のすごさを感じる。
「大丈夫?苦しかったら手のひらついても大丈夫だよ?」
さわやか先輩からアドバイスを受けたので、手のひらも使って構えなおす。
おお、何かいけそうな気がする。
そんな根拠のない確信を持ち、スタートを切る。
スタブロを蹴りだすと体重を支えていた腕は置き去りになりそうになる。
支えをなくし、地面に落ちていく体を支えるために前に足を出し、そのままの流れで反対の足を出す。
置き去りにしかけた腕を引き戻して前への推進力を追加し、全身を使って加速する。
頭の先から足の先まで加速するために一体となり、どこまででも加速していきそうな感覚に襲われる。
歩数でいうと7,8歩。距離にしておそらく10mそこそこの走りだったが、今までに体感したことのない速度で走ったことにより、俺は息切れをしていた。
「いいスタートだったよ」
そう言って男先輩は不敵な笑みを浮かべた。
体全体が完璧な連動をして、自分の最大値を引き出せた時の最高の感覚。
陸上競技にハマっている人たちはその最高を求めてるのだろうなと今思う。
たかが中学3年しかしない部活だと考えていたけれど、前言撤回したい。
俺も陸上競技にハマりそうだ。