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第4話『二人だけの思い出、そして二人の小さな一歩』

 ぶいーん。


 すーっと開く自動ドアを潜り抜け院内へと足を踏み入れる。

 見慣れた受付場所、顔馴染みになった受付担当の人、いつもの手続きはすっかり手馴れてしまい躊躇なく終わる。そろそろ顔パスで通してくれそうな気配すら感じる。いや、正直に言うと顔パスで通してほしい。

 記入欄を遡って見ると午前中に紗雪のお母さんがお見舞いに来ていたようだ。


 お菓子入りの袋を両手いっぱいに持ち、病室へと向かう。

 改めて思うが、さすがにこの量は買いすぎな気もする。良いように考えれば数日分を一気に買ったと思えば悪くないのかもしれない。


 それにしても、陽夏のやつ意外だったな。

 あんなに意気込んで真剣な感じを漂わせていたから、てっきり選ぶのにかなり時間がかかると思っていた。だから今日は面会の時間が少なくなると思っていたのに、予想を覆してあっさり決めてたな。


「お、奏音くーんやっほー」


 後方から良く通る声に引き止められた。声の方向を振り向くが相手は考えるまでもなくわかる。


「あ、どうも千明さん」

「どうも、どうも! こうして会うのは久しぶりだねー。うんうん、元気そうでなにより、なにより。はあ、毎日のように見せつけてくれるよねー、羨ましいったら羨ましい」

「たしかに、久しぶりですね。なんかこのやり取りもなんだか変な感じがしますね。お互い顔や声は画面越しに見聞きしてたので」

「まあ、たしかにそうだね。昨日は数日ぶりに直接会えた紗雪ちゃんどんな反応だった? ねえねえ、どうだった? どうだった?」

「あんまり、からかわないでくださいよ。――うーん、いつもとあんまり変わりなかったですかね」

「ふーん、そうなんだ」


 少し以外と言いたげな表情をしている。

 連絡自体は取り合ってたわけだし、そんなもんじゃないのかな。


「それにしても、すっごい量だね」

「あっはは、これには少し事情がありまして――」

「まあ、別に良いと思うよ。食べ盛りだし、これくらい食べても大丈夫でしょー。それにしても大好きな彼女に会いに来るのはわかるんだけど、新学期が始まったばっかりで忙しいだろうし、奏音くんも体調に気を付けないとダメだよ。お見舞いに来てるのに自分が体調を崩してたら元も子もないんだからね」

「ご心配ありがとうございます。気を付けたいと思います。もう少しだけ話の続きをしたいですけど、そろそろ行きますね」

「はーい、それじゃあね。紗雪ちゃんといちゃいちゃしてらっしゃい」


 千明さんは僕達をおもちゃだと思っていて、日頃のうっぷんを晴らすために使われているに違いない。

 でも、あんな感じで気さくに接してくれるからこそ、紗雪も姉のように思えているだろうし、気兼ねなく頼ったり話をしたりできるのだろう。

 紗雪の担当看護師が千明さんで良かったと本当に思っている。




 両手いっぱいのビニール袋を抱えている様子は周りの人からすればまさに異様といえる。これから友達の家に泊まりに行く人間が、気分上々で買い物した結果のような状態だ。

 廊下を進むにつれて入院している中高年の男性や点滴スタンドを操作して歩いている女性とすれ違う。行き過ぎる人達からは生暖かい目線を送られている気がする。

 看護師の人達からは、にっこにこの笑顔を向けられ、『あらあら若い子はいいわね』と遠くから聞こえてくる始末である。


 目線が合ったとなれば、羞恥心を顔に出さないように頬をぴくぴくさせながらひきつった笑顔を作る他なかった。

 そんなこんなで羞恥に耐えながら進んでいくと、いつものこじゃれた扉の前に辿り着いた。


 コンコンコン。


「はーい、大丈夫ですよー」


 紗雪からの返事が聞こえて来て扉に手を掛ける。


「きたよ」

「うん、待ってたよ」

「あとこれ、お見上げ」

「あれ?」


 紗雪は僕の両手に抱えているものに目線を運び不思議そうに見ている。

 いつもは片手で持っている袋が今日は両手に抱えている。


「うわ、なにその量。なにか良い事でもあった? それともパーティでもするの?」

「あー、これには事情があってね、ちょっと待ってね」

「そう……?」


 なにやら怪しいぞと言わんばかりに首を傾げて疑問に満ちた顔をしている。

 他の荷物を置き、早速紗雪の目の前にお菓子を広げた。


「あれ、これって……」

「あれ、もしかしてもうわかっちゃった?」

「うん、だってこれって――」


 紗雪は並べられているお菓子を見て両手で口元を覆い、何かを思い出しているようだ。その目には薄っすらと涙が浮かび上がっている様に見える。


「そうだよ、陽夏が選んだお菓子。しかもついさっき一緒に買って来たばっかりのやつ」


 頬を薄っすらと涙がぽろっと零れ落ちたように見えた。


「はあ、なんだか昔の事思い出しちゃった。陽夏が、陽夏が選んでくれたんだ……」

「そうだよ。自分から言い出したんだよ」

「へえ、そうなんだ――――ちょっとごめんね」


 次第にぽろりと零れ落ちた涙は一度付いた線をなぞるように、抱えていた感情と一緒に溢れ始めた。

 想定外の感情を抑えられなくなって、顔を伏せて溢れる涙を服の裾で拭っている。


「――そうなんだ、陽夏が、陽夏が自分で言ってくれたんだ」

「うん、そうだよ。自分から、陽夏から僕にお願いをしてきたんだ。お見舞いに行くときのお菓子を私にも選ばせてって」

「――そうなんだ。良かった、良かったよ」


 紗雪は一度収まった感情がまた溢れ始めた。


 本当に二人の距離は離れてしまっているのだろう。あんなに仲良しだったのに、もしこんな状況じゃなければ何の問題なく、楽しく青春を謳歌していたに違いない。


「――ごめんね……落ち着いた。それで、陽夏は相変わらずなの?」

「うん、毎日毎日変わりなく元気が有り余ってる感じだね。手の付けられない犬みたい」

「ふふっ、なにそれ、おっかしい――でも、陽夏らしい、ね」


 思い返せば二人は中学生の時からほとんど一緒に居た。

 それはもう、僕と紗雪が一緒に居る時間と同じぐらいに。

 というか、僕達三人はいつも一緒に居た。


「それでね、陽夏が今度お見舞いに行きたいって言ってたよ」

「えっ! それほんと!?」

「うん、でも一人で来るのはまだ出来なさそうだって」

「そうなんだ……」

「でもね、僕と一緒なら大丈夫だって。だから、その時はまた、三人で話しをしよう」

「うんっ!」


 二人だけで話した方がいいとは思うけど、陽夏がそうしたいと言うなら仕方がない。条件がどうであれ、二人が少しでも早く昔みたいな関係に戻ってくれればそれでいい。


「ほんと、陽夏は変わってないみたいだね」

「ん?」

「いやさー、あんなに溢れる元気と活発さで、人のためなら頑張っちゃう性格なのに、自分が何かやるって時だけ少しだけ臆病になるところがね」

「まあ、たしかにそういうところあるよね」

「それで、いつ来るか決まってるの? 明日!? 実はもう来てて、廊下で待ってるとか!?」

「いや、いつかは決めてはないね。てか、興奮しすぎじゃない? そんな感じならスマホで連絡取り合えばいいのに」

「あーいや、それなんだけどね。一応、連絡はしたんだ。初めて陽夏がお見舞いに来てくれた日の後に。でもね、見てないみたいなんだ」

「……そうだったんだ」

「それでね、私ずっと待ってたの。でも、今日の今日まで返ってこなかった。だから、私もう嫌われちゃったのかなって思ってた」

「……」


 本当に不器用な二人だ。

 お互いに大切に思っているのに、こんな状況になってしまったせいで二人の心はすれ違ってしまっていた。


「でもね、このお菓子を見て、しかも今度お見舞いに来たいって話を聞いて、私嬉しかった。嫌われてなかったって思えた」

「紗雪のことを嫌いになるわけないだろ。二人は親友でしょ?」

「うん……うん……そう、だね……」


 紗雪は堪えていた涙がまた、つーっと流れ落ちた。

 離れていた二人の距離がようやく近づき始めた。

 きっと昔みたいにまた三人で笑って過ごせる日が来るのは遠くないだろう。




「――はぁ~あ、なんだかとってもスッキリした。ほんと良かった」

「うーん、なんだか勿体ないなー」

「なにが?」

「いやさ、紗雪の泣き顔が可愛かったし、綺麗だったなって。ずっと見てたかったなあって思って、あああああ! 後でじっくりと眺めるために写真か動画を撮っておけばよかった!」

「な、なにそれ! そんなことやめてよねっ! ほんと、やれやれね。奏音くんはいつからそんな変態趣味に目覚めちゃったのかな?」

「あー、いやこれはですね。自分の彼女が可愛い、綺麗と思うのは当然じゃないですか? そして、そんな僕が世界一大好きな彼女の泣き顔なんて滅多に見れるものではないですよね? そうなるとやっぱり、保存しないと勿体ないと思うんですよ」

「まーたそんな恥ずかしい事を言う! そんなに大袈裟に言われなくても奏音くんが私のこと大好きなのはちゃんと知ってます!」

「ふーん、僕が好きってことだけは知ってるんだ? 僕は紗雪がどう思ってるかあんまり知らないんだけどなー?」

「なにそれ……きよ」

「え? なんて言ったのか聞こえなかったなあ。残念。片思いだったのかあ、今日は枕を濡らす夜になりそうだなあ」

「……好きよ。大好きよ。大、大、大好きよっ!」

「ありがと」


 紗雪は物凄く恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしながらその言葉をくれた。

 この瞬間、この表情を堪能できるのは僕だけの特権だ。


 僕の悪ふざけにも付き合ってくれる当たり、今まであった寂しさの影が無くなったように感じる。

 悩みの種消えたようで良かった。


「ほんっと奏音くんってそういうセリフすらっと言っちゃうよね。他の女の子にはそういうの言っちゃダメだよ?」

「こんなこと他の人に言うわけないじゃん。そんなこと言えるような相手も居ないし」

「ならいいんだけど、ちょっとだけ心配になっちゃうよ。あ~もう小腹空いたー。お菓子食べよ」

「そうだね」


 外は段々と暗くなり始めていた。部屋の明かりをつけて、お菓子をつまみながら会話に花を咲かせる。

 昨日見たテレビ番組、読書をしてみたいとか明日は何をしようかなとか。

 次の日は何がしたいなんて話を紗雪からし出したのは初めてかもしれない。

 陽夏の件でやっと前向きになれたということだろう。






 今日も楽しい時間はあっという間に終わってしまった。

 外はすっかり暗闇に飲まれている。カーテンの隙間から覗かせる空は雲一つない満天の星空だ。

 このまま楽しい時間がずっと続けばいいのに。こんなことを思ったことは一度だけではない。出来る事なら学校を休んで紗雪と一緒に居る時間を増やしたい。でも、もちろんそんなことは紗雪が許してれない。

 一度冗談交じりにそんなことを零した時に『学生なら学生らしく学業に専念すべきよ』と軽くあしらわれた。口ではそう言っていたけれど、たぶん自分のせいでそんなことをさせたくないという気持ちの方が大きいのだろう。


「じゃあもうそろそろ時間だから、帰るよ」

「うん。じゃあ」


 いつもは両手いっぱいに広げてハグされるのを待つだけだったが、ベッドから立ち上がり紗雪から抱き着いてきた。なんだか新鮮な気持ちではあるが、それと同時に少し前までの関係を思い出した。

 でも、そこまで何が変わったわけでもない。

 いつも通り、変わらない暖かさを感じる。

 いつも通り、安心する匂いを感じる。

 これだけは変わらない、僕が紗雪を、紗雪が僕を感じるこの時だけは。


「じゃあ後で今度行くデートの予定を決めちゃおっか」

「そうね。うーん、すっごく楽しみ。早く当日にならないかな」


 二人は別れの挨拶を済ませ、奏音は病室をあとにした。

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